第二節 紡ぎ屋
第4話 作られた縁
「…………」
砂利を踏む音だけが静かな街に響く。夜の大通りは人気が全くなく、時折道に明かりが灯してあるだけだった。新たな裁ち屋への依頼があり、それに同席するよう言われていた鼓太郎は布屋の裏口を目指し足速に向かう。
外は少し肌寒く、さらに鼓太郎の足を早くさせる。
「やあ。こんなところで会えるとは思っていなかったよ。」
「……?」
突然視界に何か黒い影が映り、向かいから来る何者かに呼び止められる。鼓太郎は足を止めて勢いよく目を上げた。直前まで全く気配がなく、少し心臓が跳ねる。声をかけてきた人物をよく見るが、心当たりがない人物だった。
「すみません、どこかでお会いしましたか?」
「そうか……うん。わからなくても仕方ないか」
道に灯された明かりで彼の顔が見える。彼は悲しそうな顔をして、鼓太郎を見ていた。しかしそれも一瞬で、次には優しく微笑んでいる。
「……まあ今日は挨拶しにきただけだからさ。また今度会おうね」
「は、はあ……」
そう言うと彼はすっと足音を立てずにその場から去る。あまりにも不思議な雰囲気で鼓太郎は少しだけ彼を追いかけた。
「あれ……?こっちじゃなかったのか」
一つ曲がり角を曲がったところで彼の姿はすでになかった。あたりを見渡しても人の気配すらない。
「なんだったんだ……」
首を捻り、鼓太郎は再び布屋に向かって歩き始める。少し遅くなってしまったから急がなければならない。
幸い布屋はすぐそこというところまで来ていた。着いて早々鼓太郎は裏口へと回る。
コンコン、コンコンコン。控えめな戸を叩く音だけですんなりと戸は開いた。
「鼓太郎、待ってたよ」
「すみません。少し遅くなってしまいました」
「こっ、鼓太郎……」
「わっ!?鼓太郎さん、大丈夫ですか…!?」
店に入った鼓太郎を見るなり、時枝と雪は目をギョッと見開いた。鼓太郎は訳がわからず何がでしょうか?と尋ねることしかできない。
「首に縁がくくられている。私怨の類だねぇ。……これはどんどん太くなって縄みたいになるんだ」
「ええ!?」
全く見えないし気が付かなかった。2人の様子を見るに、ものすごいことになっているに違いないと鼓太郎は首元を触る。
「どちらでこのような縁を……!」
「ひとまずこちらへ!」
いつもの丸椅子に座らされ、鼓太郎は下を向かされた。少しだけ息苦しさを感じたが、それは一瞬で終わる。
シャキンッ……
「よし。これで大丈夫だ。」
「よかったです……随分と太かったですから……!」
「そうなのか……全く気が付かなかった」
切った後の糸も全く見えなかった。何が見えて何が見えないのか、まだまだ知りたいことが多くあるなと、降りかかった身の危険も忘れ、鼓太郎は感心していた。
「誰かからの恨みを買ったとしてもこの育ち方はおかしいねぇ。昨日から今までで怪しいやつには会ったりしてないかい?」
「あっ……!」
その問いに1人だけ心当たりがいた。先ほどの正体不明の人物が最有力候補となる。
「……会ったんだねぇ」
鼓太郎はつい先ほど会った青年について話をした。時枝は話が進むにつれ険しい目つきになっていき、細く息を吐く。
「なるほどねぇ……。鼓太郎。もう二度とその男と関わってはいけないよ」
「そうですね……そのと男が先ほどの縁を紡いだ可能性が高いです」
「紡いだって……あれが紡ぎ屋だったってことですか……?」
「はっきりはわからないが、この類の私怨は自然とこうはならない。昨日はなかったものがここまで育っているなら、ほとんど決まりだ」
他に違和感はないか?と聞かれ、鼓太郎は首を横に振る。時枝はそうか、とだけ告げて立ち上がった。そろそろ依頼人の屋敷に向かわなければならないらしい。
「今日は正式に依頼をされたってことですか?」
「そうだ、さっきの話をしていたら伝え忘れていたね」
時枝は一枚の紙切れを鼓太郎に手渡す。昨日もちらりと見せられたが、書かれた内容はまだ見ていなかった。
「ええっと、突然の依頼となり大変失礼します。私は高原遊善と申します。……ええっ!? 高原遊善ってあの陶芸家のですか?」
「そうだよ。少しいったところに邸宅があるだろう?そこが彼の家だ」
「ああ……!誰が住んでいるのかとは思っていましたが……まさかあの高原遊善だとは……」
驚きながらも鼓太郎は紙切れに目を通していく。内容は、最近毎晩悪夢を見て困っているというものだった。その悪夢とは、亡くなった義父に殺されかける夢だという。毎晩それを見るなら相当な負担だろう。
「死人との縁は死者が生者と繋がった糸を引っ張って死へ引き摺り込むとも言われている。なるべく早く対処する必要があるんだ」
「そうなんですか……あれ? 雪? どうした?」
「い、いえ……なんでもありません」
先ほどから雪はあまり会話に口を挟まず、浮かない顔をして歩き続けていた。時枝は諦めたように首を振る。
「今朝からずっとこんな様子なのさ。何を考えているのか教えてくれなくてねぇ。鼓太郎が加われば何か変わるかと思ったけど……」
「すみません……僕」
「無理に話せとは言わないよ。ただ、心配なだけなんだ。話せるようになったら教えてくれるかな?」
雪は控えめに頷く。その様子を見て時枝はそっと微笑み、高原邸を目指した。
ーーー
「綾瀬様。お待ちしておりました」
「少し待たせ過ぎてしまったかねぇ」
「いえ。まだ宴会の最中でございます」
高原邸に着くと、落ち着いた色の着物を着た若女が出迎える。女中であると名乗った彼女は低い姿勢で軽く挨拶をした。鼓太郎は邸宅に目を向け、ほうっと息を漏らす。それほど幻想的で本の中にあるような屋敷であったのだ。屋敷は夜にもかかわらず、全体に明かりが灯っており、男女の騒ぐ声が塀の外まで聞こえていた。
「部屋の中を覗かせてもらえるかい?遠くからでも構わないから」
「もちろんでございます。」
庭の一角から宴会を催している様子が見えるということで、女中と3人は屋敷の庭の方へ回り込んだ。庭もこれまた広く、普段生活している場所とは世界が違うようだった。
「かなりの数が繋がっているようだねぇ……」
時枝は何よりも先に依頼人の姿を確認したようだった。鼓太郎も庭から高原に向かって視線を移す。
「うわ……」
高原の体には黒色の複数の糸が絡まっていた。鼓太郎は先日のテツの母親のことを思い出し、背筋を凍らせる。
「不思議な色ばかりですね……首元は特に」
雪が身を乗り出して宴の様子を眺めている。それに対し鼓太郎は声を漏らした。
「え? 全部黒に見えるけどな」
「なるほどねぇ、色までは判別がつかないか。あれは鮮やかな黄色をしているよ」
鼓太郎には黒く見える糸が、時枝と雪には違う色に見えているようで、鼓太郎は不思議そうに唸る。時枝は鼓太郎を試すように続けた。
「鼓太郎。首の糸はしっかりと見えるかい?」
「見えます。周りと比べて太めの糸ですね」
「それはどこと繋がっている?」
「ええっと……後ろの……写真でしょうか?」
「当たりだ。今回はあの糸を切るんだよ」
時枝は面白そうにふっと微笑んだ。女中から、写真に写っているのは当主の義父であると情報が付け足される。
「金縛りに会っている人間にあの糸か……随分直接的だな」
「思いや思考に大きく作用されるからねぇ。特に誰かが無理に結んだ時は」
時枝は声を低くして疎ましげに糸を見ていた。それは今見えるあの糸が何者かによって紡がれているということなのだろう。糸を紡ぐことができるのは紡ぎ屋だけであることも予想がつく。
「綾瀬様。奥様より事前にお話があるとのことです」
「ああ、わかった。どっちみち宴が終わらなければ切ることはできないからねぇ。少し行ってくるから、2人は様子を見ていてくれるかい?」
「わかりました」
時枝は女中に連れられ、スタスタと屋敷の方へ行ってしまった。ポツンと2人残され、宴の様子を眺める。
「……なぁ、雪。何故宴が終わるのを待たなければならないんだ?」
「鼓太郎さんにはまず、銀糸の話をしなければいけませんね。」
「銀糸?」
「前に、僕たち綾瀬家は悪縁を切っているとお話ししたと思います」
「そうだったな」
「しかし、良縁であっても切れないことはないんです。縁を繋いでいるもの同士が相当強いつながりでなければですが」
時枝の姿が屋敷の中に消え、鼓太郎は雪に目を移す。いつもかすかにある子供らしさはなく、淡々と簡潔に話を続けていた。
「しかし縁の中には絶対に切ってはならない縁、“銀糸”が存在します。夜になれば縁はたくさん張り巡らされて見える。その中に銀糸も確かにあるのです」
「なるほど。その銀糸とやらが今回の依頼の妨げになっていると?」
「そうです。依頼人と写真の間、そして女中と招待人の間も銀糸が張っていて、慎重に切らなければいけません。宴が終わってからゆっくりと切る方が確実です」
「その銀糸とやらはそこら中にあるのか?」
「はい。実はこの辺にもあります。そうですね……テツのお母さんの縁切りも周りに銀糸が多かったです。時枝さんはそれを器用に避けて切っておられました」
それを聞いて鼓太郎はまた感心する、時枝が鋏を使っている間、何かを避けているような素振りは一切なかったからだ。今辺りを見渡してみてもそのようなものは見えない。同時に出てきた疑問を鼓太郎は雪に問う。
「それでは、銀糸を切ってしまったらどうなるんだ?」
鼓太郎の問いに雪はびくりと体を跳ねさせ、拳を握り締める。
「もしも、銀糸を切ってしまえば……」
雪はあまり言いたくなさそうに口をつぐんだ。鼓太郎はあまり聞いてはいけないことだったのだろうと察したが、これは聞かなければいけないことだと何故か思った。
「おうい、そろそろ宴会が終わるよ」
雪への助け船のようにパタパタと時枝が現れる。雪は息を多めに吐き、緊張から解かれたようだった。鼓太郎自体も緊張していたのか、少しだけ肩の力を抜く。
「それでは、御三方はこちらへ」
女中に連れられて3人は屋敷の入り口から中に入った。中はどこもかしこも明るく、本当に夜かと疑うほどであった。
「あ」
しかし、そこらに縁が張っているのが見える。それは紛れもなく今が夜であることを示していた。
「こちらになります」
女中は控えめに扉を叩き、中の返事を聞いてすぐに開けた。だだっ広い部屋に長机があり、その奥に主人と思われる高原遊善が座っている。もう少し年齢が高いと勝手に思っていたが、意外と若そうな見た目をしている。長く伸ばした髪を緩く後ろで束ねていた。
「失礼致します」
「綾瀬様ですね。お待ちしていました。私が、依頼いたしました高原遊善です。」
遠目から見ていてもかなりの酒を飲んでいるはずだが、彼は落ち着いた様子で話をしている。時枝から順番に座布団に腰を下ろし、3人はお辞儀をした。
「裁ち屋現当主、綾瀬時枝です。昼間は近くの布屋で働いていましてねぇ」
「存じておりますよ。一度行ってみたいと思っているところです」
「まあ、それはそれは。お待ちしておりますよぉ。ああ、挨拶が遅れましたねぇ。こちらは私の親戚で綾瀬雪。隣の東演生は手伝いの南里鼓太郎です」
「よろしくお願いします」
その場で軽く挨拶をし、本題に入る前にお茶を勧められる。机の上に置いてある酒の種類を見て鼓太郎は口を開く。
「お酒、お強いんですね」
「本来強くも弱くもないはずなのですが、不吉なことが続いているので酔えなくなってしまいまして……つい飲みすぎてしまうのです」
そう言うと困ったように彼は笑った。思ったよりも幾分か控えめな印象を受ける。相当有名な陶芸家だが、それを鼻にかける様子は一切見られなかった。
「お義父様の夢を見られるとか?」
「ええ。毎夜首を絞められます。温厚でそのような印象は全くないのに、酷い夢です」
「なるほどねぇ」
「お義父様には本当に良くしてもらいました。恩を返したいと思うのは本心です。あの様な良い方が何故……という感じで。裁ち屋のことはお祖父様に聞いたことがありまして、藁にもすがる思いで依頼いたしました」
「わかりました。お茶もご馳走になり終わりましたし、そろそろ始めましょうかねぇ」
全員が一息ついて時枝の行動を見守っていた。先ほど庭から見えた縁は本当に糸の様で、近くで見ると尚太く、繊維までくっきりとみえている。相変わらず色は黒だ。
「こちらで切ります」
時枝は懐から鋏を取り出し、自分の縁切り鋏を見せた。遊善はほうっと声を漏らして興味深そうに眺めている。
時枝は縁に近づき、何かを掻き分ける様な動作をした。銀糸がそこにあるのかと検討はつくが、実際には何も見えない。
シャキンッ……
一回で時枝は縁を切り落とす。太くしっかり繋がっていたそれは一瞬にして空に消えた。
「はい、これで終わりましたよ」
「ふぅー……」
遊善は長く息を吐き、目をしっかり開けた。やはりあれほど酒を飲んだ後とは思えない。
「何も見えませんでしたが、なんだか……気持ち的にも、身体的にも軽くなった様です。万が一、騙されていたとしてもやっていただく価値がありますね」
「そう言ってもらえれば嬉しいですねぇ」
「その鋏、よく見せてもらっても?」
「ええ。もちろん」
時枝は遊善によく見える様に鋏を差し出す。鼓太郎も実はしっかりと見るのは初めてで、その装飾を目を凝らして眺めた。蔦の様な、花の様なやはり不思議な柄が刃の先までついている。
「あはは、お手伝いくんも興味津々だね」
「あ、なかなか見られるものではないので! お恥ずかしい……」
「好奇心があることはいいことだよ。流石は東演生というところか。」
めっそうもない!と鼓太郎はぶんぶん腕を振る。この様な有名人に褒められてはくすぐったくて仕方がなかった。
「しかしこの鋏……色はどの様につけられているのでしょう?素材の色なのかな」
「俺も思っていました。金色も桃色も混ざらずに綺麗で、なんと不思議なことかと」
「代々受け継いでいるもので、私たちにもよくわからないのです。記録もありませんで。何せ縁を切れる鋏ですから、想像もつかない様な材料でできているのかもしれませんねぇ」
「雪のは銀色に水色がのっていたよね?」
「はい、受け継いだ時から綺麗な色だと思っておりました!」
しばらく遊善の様子に変化がないことを確認し、鋏の話題が途切れた頃に、そろそろ帰ろうかと時枝が立ち上がる。遊善が入り口まで見送りに来ており、3人は数度お辞儀をして帰路に着いた。
「時枝さん、ひとつ聞きたいことが」
「なんだい?」
「今日、何故俺を呼んだんですか? 雪だけでも、なんなら時枝さんだけでもなんとかなったと思いますが」
「実はねぇ、一度鼓太郎に縁を切らせるつもりだったのさ」
「え」
さらっと時枝は話しているが、それはなかなか大そうなことであると鼓太郎にもわかった。
「アンタが何者なのか知る手っ取り早い方法だとは思わないかい? まあ銀糸が見えないのならこの方法は難しいかもしれないがねぇ」
時枝は笑い、くるりと前を向いた。鼓太郎に糸が切れるか切れないか。もしそれが前者であるならば、大きな肝となってくるのだろう。
「しかし、その様な大役を何故俺に? 万が一銀糸が切れてしまえば、罰があるのでしょう?」
銀糸について鼓太郎に話したのか、と時枝が雪に問う。雪は黙って頷いた。
「――それは、そこの落ちこぼれが糸を切れないからだろぉ。裁ち屋の後継がこれでは先行き不安だからなぁ」
「!!」
突然、その場にいた誰でもない声がその質問に答える。3人の目の前には不敵な笑みを浮かべた青年が立っていた。
「誰だ…っ!」
「綾瀬家の血を注ぐ人間が、糸を切れないなんてなぁ」
その言葉を聞いて雪は一歩後ろに下がる。首筋を一筋の汗が流れた。青年は、そのまま話し続ける。
「どうも、裁ち屋当主様。僕は和郷那央真だ」
「和郷家……紡ぎ屋か」
「紡ぎ屋……この人が……!」
紡ぎ屋。おそらくこの人物が悪縁を結んでいると、時枝が疑っている相手だ。鼓太郎を見て那央真はにぃっと気味の悪い顔で笑った。
続く
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