第一節 病縁
第2話 病縁
時枝の縁切りを見た夜から数日が経ち、鼓太郎はまた布屋を訪れていた。いろいろ聞きたいことは山積みだったが、訪れる機会がなく、数日空いてしまったのである。
「あ、鼓太郎さん!」
「雪。こんにちは。今日は店番かな」
いつも時枝がかけている椅子に、時枝の遠い親戚である綾瀬 雪(あやせ ゆき)が座っていた。彼は一年前時枝が引き取った子供で、鼓太郎はたまに勉強の面倒を見ている。現在鼓太郎より10つ下の8歳の少年だ。
「はい、時枝さんは夕刻まで出かけてますよ!僕が店番中です!」
「そうか。学校が終わった後は遊びたいだろうに。雪は偉いな」
「いいえ。時枝さんにはとても感謝してますから。こうやって力になりたいのです」
「相変わらず歳のわりに出来た子供だ……」
鼓太郎はぼんやりとつぶやく。時枝と同じく、雪もなかなか不思議な人間だった。
座る雪を見て、その手に鉛筆が握られていることに気がついた。
「おや、勉強中か?」
「そうでした、鼓太郎さん。もし時間があれば、宿題を見てほしいです!」
「うん。どれ、見てみようか」
彼と話をして宿題を見ながら、鼓太郎はあることに思い当たる。先日鼓太郎が目にした、“縁を切る”という時枝の裏家業について、雪は知っているのだろうか、と。
「鼓太郎さん?」
「ああいや。少しぼうっとしていたみたいだ」
雪にその話を振ってもいいかと思ったが、意図的に時枝が隠している場合も考えられる。
余計な話題を出して混乱させてはいけないと、鼓太郎は自分からは直接的に聞かないでおこうと結論を出した。そう、直接的には。
「雪。時枝さんが懐に持ってる鋏を見たことがあるかい?」
「えっ」
ガシャン、と音を立てて雪の文房具が床に転がる。明らかに動揺している様子。これは知っていると決め打ってもいい程である。
「す、すみません、鼓太郎さん!ええっと、鋏、はさみ……。はい、時枝様の鋏は僕も見たことがあります…!」
「様……?」
「ああ、違うんです、時枝さんです!」
雪は今“時枝様”と口走ったが、何故そんな言い間違いをしたのか。どんどん疑点が浮かんでくる。細かいところが気になる性分の鼓太郎は考えを巡らしていく。訳を聞こうとした時、どんどん、と店の戸の端を叩く音がした。
「おーい!雪ー!!」
「あっ……」
入り口から少年の声が店内に響く。雪斗同じくらいの少年が竹の棒を持って立っていた。服は所々がほつれて汚れ、いかにもやんちゃ坊主の見た目をしている。
「遊ぼうぜ、今暇なんだ!」
「テツ、ごめん。今日は店番で遊べないんだ……」
雪は悲しそうにそう告げる。その瞬間、テツと呼ばれた少年の顔はみるみる赤くなっていった。
「はあ?何やってんだよオレが暇してるのに〜!! お前なんか明日からずーっと遊んでやんないからな! 店番ばっかりやってればいいんだ! 店番大好き人間め!!!」
「ちょ、」
言うだけ言ってテツは走り去っていく。言い過ぎだと鼓太郎は口を挟もうとしたが、もう遅かった。
「なんなんだあの少年は……」
「同じ学舎で学ぶ友人です。一年前に僕が来てから仲良くしてくれています」
「しかし、友人の雪に対してあの態度はいかがなものかな」
驚いている鼓太郎と反するように雪は落ち着き払っていた。
「テツのお母さんは長く病気に臥せっています。彼は寂しい思いをしているんです……」
「そう……なのか。それは気の毒なことだね」
「はい。彼はお母さんを心配してる優しい子だとわかってますから。先程の言葉はきっと彼の本心ではないんです」
「そうか……」
雪と話をしていると変に自分が未熟に見える時がある。とにかく不思議な子供だとまた思い知らされた。
「……切ってあげられたらいいのに」
「え?」
“切ってあげられたらいいのに”?
「あ、その……今のは間違いで……!」
鋏の話を振ってから、雪は焦ってボロを出し始めている。今言った“切る”とは縁を切るということなのではないか、と鼓太郎は考えた。だとすると、テツかテツの母親のどちらかに悪縁か何かがつながっているということなのだろうか。
掴めないこの考えが正しいと確認する為、鼓太郎は突拍子もない質問を問いかけることにした。
「もしそれが悪縁なら、時枝さんには切れないのか?」
「えっ!? こ、鼓太郎さん……まさかあなたは裁ち屋について知っているのですか?」
あっさりと雪はそれに乗せられた。裁ち屋という言葉を引き出せればもう何も迷うことはない。
「ああ。つい最近、悪縁を断ち切ってもらったんだ。家業について、多少は聞いているよ」
「そうでしたか、それならもう隠す必要はないんですね」
雪は安心したように息を吐いた。これで気を使わずに話ができると鼓太郎も力を抜く。切そうに雪は話しを続けた。
「実は、テツのお母さんに、タチの悪い病縁が結ばっているようなんです。」
「……病縁か。縁というものは人と人だけを結ぶものではないんだな」
「人や物、病や感情などさまざまなものとつながりが縁です。綾瀬家はそれのうち、悪いものを切っております」
なるほどなぁ、と鼓太郎は感心したように頷く。自分の知らない、知ることもなかっただろうことに興味津々だった。しかし、今回のことはとても単純な話なのではないかと思う。縁は縁。病縁とテツの母親を切り離せば病気は繰り返さず、テツも寂しい思いをしなくて済むのではないのかと考えた。
「先程も聞いたが、時枝さんに頼むことはできないのか?」
そう問いかけると雪は困ったような顔をして首を横に振った。
「できません。当主様にそんなことを頼むわけにはいかないんです。特に、時枝様には。」
「何故――」
「ただいまぁ、雪。」
続きを聞く前に、入り口から時枝の声がする。
「鼓太郎さん――……」
雪はこのことは時枝に黙っておいてほしいと告げて時枝の方を向いた。
「時枝さん。おかえりなさい」
「留守の間は何もなかったかい?」
「はい。鼓太郎さん以外誰も来なかったです」
あくまでテツのことは伏せておくようなので、鼓太郎は口を閉じた。
「あら鼓太郎。円子さんからまた何か注文かい?」
「いいえ、少し立ち寄っただけです。雪と少し、話をしていて」
話を聞くのはまた場を改めようと鼓太郎は立ち上がる。今話をすれば自ずとテツの母親の話になってしまうような気がしていた。雪に口止めされているのだからさすがに勝手な判断で言うことはできない。
「それではまた来ますね」
「ああ、またねぇ」
「ありがとうございました!」
雪は鼓太郎に挨拶をする前、そっと一言囁いた。それを聞いて、尚更話を出さずに一度引こうと決めたのだ。店を出て、鼓太郎は囁かれた言葉をもう一度繰り返す。
“もうしかしたら僕にも何かできるかもしれませんから”
ーーー
「うううん……」
先程の雪斗の話を思い出しながら鼓太郎は帰路に着く。考えるところが多くあり、モヤモヤが取れないままだった。
「おや。あの子は」
すると、路地の入り口に先ほど見た少年テツが座り込んでいるのが見える。雪と遊べなくなって、寂しさと悲しさが募っていることだろうと鼓太郎は少し近寄った。
「……って……る」
「ん?」
何かを言っているようだが、小さくて聞こえない。鼓太郎はさらに彼のそばに寄った。
「店で暴れてそれが雪の所為になれば、あいつは店番にならなくてすむよなぁ……!」
「な」
聞こえてきた言葉に鼓太郎はカチッと固まった。最近の子供はとんでもない思考をしていると変な偏見がついてしまう。
「全部こわしてしまえ」
「ちょっと待て少年っ……!」
走り出そうとするテツの肩を鼓太郎は掴み、引き止めた。テツは弾かれたように身体をこわばらせて鼓太郎を見る。
「誰」
「さっき布屋にいただろう。君が怒鳴り込んできた時に」
「覚えてない」
「それより、何を考えている?布屋に何をするつもりなんだ……っ」
テツは黙り込んで地面を見る。鼓太郎は彼の肩を掴んだまましゃがんで、目線を合わせた。
「布屋で暴れてそれが雪のせいになれば雪は店番をクビになる。そしたらテツくんと遊べる。そう考えたのか」
「だって、子供のくせにおかしいだろ」
「雪を思って考えたこと……ということか。……それとも自分が寂しいからか」
「違うっ!」
「それをしても、解決にはならない。雪は君に感謝はしないだろう。それどころか、どうしてこんなことをするのかと怒るぞ。テツくんは友人を失いたいのか?」
興奮で息を切らすテツに鼓太郎は優しい声で注意する。しかし彼の気は治る気配を見せなかった。
「うるさい!!!!」
「ちょっと待て!そっちは駄目だ!」
テツは鼓太郎の手を振り切って全速力で駆け抜けていく。しかしその先は街の外れ、森の方角だった。
森は行方不明者がよく出ており、一般の者は立ち入り禁止とされている。
「しまったな、早く連れ戻さないと……!」
鼓太郎もその後を駆けるが、すでにテツは森の入り口を通ってしまったようで、視界に捉えられていない。変に刺激してしまったことをひどく後悔した。
ーーー
鼓太郎が森に入り、しばらく道を歩いていると、細い道の一箇所だけ草が踏み倒されているのが見えた。道の細さ的に動物か人間の子供だろうと見当をつける。
その先にテツがいるかもしれないと鼓太郎は進路を変えて歩み始めた。歩く先にボロボロの彼の服がチラリと見えて、鼓太郎は足を早めた。思ったよりも早く見つけられてよかった。
「っみつけた……。はぁ……あまり心配させるなよ」
道を進んだ先には大きい岩があり、その影にしゃがみ込むテツの姿があった。鼓太郎は安堵のため息をつく。テツはふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
「ついてこなくていい」
ぽつりとそう呟かれて鼓太郎は眉を吊り上げた。どれだけ心配をかけたのか、どれだけ自分が悪いことを考えたのか、彼はまだその分別が出来ていないのだろう。
「いい加減にしろ。帰らない君のとこを心配して君の母や雪がここで迷ったら、もし君がもう帰ることができなくなったら、どうするつもりだったんだ!」
ひゅ、とテツが息を吸う音が響いた。それぐらいの気迫を出して、鼓太郎が怒ったということである。声を荒げたことを一瞬で反省し、鼓太郎は笑顔に戻った。それを見て、テツもあげた肩をそっと下ろす。
「駄目だよ。帰りを待ってる人がいるんだから。ほら、道がわからないだろう?家に帰ろう」
差し出された鼓太郎の手を見て、テツはしばらく固まっていた。その手は葉で切られたような傷や砂埃で汚れている。
「悪い、拭くのを忘れていた」
「……」
「どうした?」
「母ちゃん、死ぬかもしれない」
黙っていたと思えば、ぽそり、とまたテツはつぶやく。鼓太郎は手を拭くのを止めてテツの隣に座った。
「病気が治らないうちに次のに罹る。もう、駄目かもしれないってお医者様が言ってた」
「そんなに悪いのか……」
「そしたらオレは1人になる。誰も、オレの味方はいない」
「雪は?」
「あいつはオレのこと嫌いだもん」
「そんなことないよ」
鼓太郎はテツの手をとって起き上がらせる。足元に気をつけろよ、と先を歩きながら話を続けた。
「テツくんがどれだけ寂しがってるのか、雪は知っていた。ちゃんと謝れば元通りになる」
「ほんと?」
「ああ、もちろん。ほら、家まで送るから道を教えて」
鼓太郎は歩きながら、テツの反省を聞いていた。言葉を聞けば、しっかりと理解していて、金輪際悪さはしないと言い切るほど反省しているらしい。本当にただ寂しかっただけなのだとわかり、愛着すら湧いてきた頃、テツは急に足を止めた。
「ついた」
「ここか」
少しボロい、小屋のような家だった。雨風はなんとか凌げる程度の単純な作りで、これでは療養もなかなか厳しいだろうと思う。
「母ちゃん、ただいま」
「――――」
2人が何か会話をしている間、帰る挨拶をしそびれた鼓太郎はその場で待っていた。壁際の奥に女性らしき人影が見える。
彼女がテツの母親なのだろう。微笑ましい親子の様子だと思ったのは一瞬、次の瞬間にはすでに、鼓太郎は体をこわばらせていた。
「なんだあれは…っ…!」
女性が寝返りを打った瞬間、彼女の前身に何かが絡みついているのがわかった。それは頭、首、手足、胴体に何重にも巻きつき、ドロドロと床にどす黒い何かを垂らしている。見知ったもので例えるなら、泥を纏わせた蔦のようだった。声がうまく出ない状態の自分を奮い立たせ、鼓太郎はテツに話しかける。
「テツくん、お、お母さんに絡まっている糸をとってあげたほうがいい。っ苦しそうだろう」
「にーちゃん何言ってんの?何もついてなんかいないよ」
「なん……っ」
どう見ても、今もなお糸は母親に絡み続けている。
これが見えないなんて、おかしい。そう思うが、鼓太郎は少しだけ冷静になった。普通は見えない糸。それはまさしく縁なのではないだろうか。何故、鼓太郎に見えるのかは不明だが、今は夜だ。条件は多少揃っている。
「テツ、すぐ戻るから少し待っていて!!!」
そう叫んで鼓太郎は布屋へ走った。布屋に着くまで数人とすれ違ったが、糸らしきものは何も見えなかった。
続く
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