裁ち屋伝承録

芦屋 瞭銘

プロローグ

第1話 裁ち屋

「こんにちは、時枝さん」

「ああ、鼓太郎くん。おばあさんの頼んでた物、届いてるよ」

 小さな町にある小さな布屋に、南里 鼓太郎(なんり こたろう)は訪れていた。鼓太郎の祖母である円子(えんこ)より着物用の布を取りに行ってくるよう頼まれていたためである。

「はい、これだよ。柄は聞いてるかしら?」

「聞いてます……がこれはすごいですね。思ってた以上に綺麗だ」

 布屋の店主である時枝(ときえ)は慣れた手つきで注文の品を広げた。薄赤い生地の上に牡丹の花びらが舞った素敵な布だった。

「円子さんもお目が高いよねぇ、昔から布の話ができるのはあの人だけだよ」

「昔から本当に好きですからね。祖母も時枝さんがいて嬉しがってますよ」

「嬉しいねぇ、相当長い付き合いになるから。私は円子さんが大好きだよ」

 たわいもない話をしながら時枝は布を纏めていった。大切に包んでいく。

「はい、これでいいね。お代は貰ってるから持っていきなさい」

「ありがとうございます、また来ます」

 包まれた布を持って鼓太郎は出口を向く。その服の裾を時枝はそっとつまんだ。

「ちょいと、鼓太郎」

「時枝さん?」

「アンタ、どこか窶れてはいないかい?」

「そう見えますか……」

「何があった?」

 鼓太郎は力無く微笑み、軽く息を吸った。時枝は静かに言葉を待っている。

「最近この辺で騒いでいる若者がいるでしょう」

「ああ、確かここより少し離れた学舎の学生だったかねぇ」

「ちょっと目をつけられていて困り果てているんですよ」

 最近この街で好き放題に振る舞う連中がおり、街の人たちもよく思っていないのは時枝の耳にも入っていた。

 彼らが店を荒らすので、早めに閉めて商売が上がったりな店もあるという。

「それは困ったねぇ」

「今日もこれを滅茶苦茶にされないようにしないといけません」

 きゅっと鼓太郎は布を大事に持ち直した。それを見て、時枝は複雑そうな顔をし、じっと鼓太郎を見やる。

「その人たちともう関わりたくない、と言うことよねぇ」

「出来ることなら縁を全て切って二度と会いたくないくらいです」

「そう……」

 あまりにも真剣な顔を時枝がするもので、鼓太郎慌てて笑顔を作った。第三者である時枝にこのような話をするのも困らせてしまいますね、と言って店を出ようとする。

「鼓太郎。今日の夜少し時間があるかい?」

「夜、ですか?」

「奴等に見つからないようこの店に来てほしいんだけど」

「構いませんが、一体何を……?」

「奴等と金輪際関わりたくないのなら、黙ってここに来るんだねぇ。ワケはここに来てから……気が向いたら話すよ」

 時枝は静かにそう告げた。鼓太郎は何も言う気にならず、わかりましたとだけ答え、店を出た。


ーーー


「時枝さん……一体どうしたんだろう」

 店を出て鼓太郎は彼女のただならぬ雰囲気に首を傾げていた。もともと謎の多い人物だったが、さらに今夜それが増えそうな予感がする。

「そもそもあの人、歳を取らなさすぎるんだよなぁ」

 時枝は鼓太郎が幼い頃にはすでにあの店の店主だった。

 祖母と手を繋いで通っていた頃から15年ほど彼女の容姿は30代のままほとんど変わらないように見える。15年で鼓太郎の祖母は歩くのがしんどくなるほど老けたと言うのに。

「おい、鼓太郎じゃねぇかぁ」

「あ……」

 柄の悪い声と数人の笑い声に顔を上げる。目の前には獲物を見つけたと言わんばかりに歪んだ目が並んでいた。

 最近この辺で騒いでいる所謂輩たちである。鼓太郎は考え事をしていて、完全に奴らのことを忘れていた。どうしても布だけは死守しなかければと、しっかり荷物を握る。

「何大事そうに持ってんだよ」

「見せてくれよ。滅茶苦茶にしてやるから」

「みせることはできない。これは頼まれものだ」

「尚更気になるなぁ」

 奴らの1人の手が布に伸びる。その手は砂埃に汚れていた。

 触れさせるわけにはいかない。

「駄目だ!」

 触れられる前に鼓太郎は踵を返し、走り出す。家とは逆方向だが仕方ない。遠回りして奴等を撒かなければ。

「おい待て!」

「うわっ!!!」

 どさり、と鼓太郎の体が地面に転がった。彼らが鼓太郎の服を勢いよく引っ張り足を引っ掛けたためだ。布は何とか守れたようだが、向こうの人数が多く、伏せった姿勢では武が悪い。

「逃さねぇよ」

「……っ何故、こんな事をするんだ」

「何故って?楽しいからに決まってるだろ」

「いっ……!」

 身体を押さえつけられ、顔を殴られてしまった。このままでは本当にいけない。

「お前みたいな東演の奴をこうするとスカッとするのさ」

 東演とは鼓太郎の通う高等学校である。一応この辺では一番の進学校だった。彼らの服装を見ると、ここから少し距離のある棚越という学校の制服を見に纏っている。棚越はここらでは有名な不良高だ。

「っ…!!」

 砂利が頬を傷つけチリチリと痛む。しかし向こうの動きは単調でなんとかタイミングを測れば拘束を抜け出せるかもしれない。鼓太郎は頭を回転させ、思いつく限りを口にすることにした。

「こんな話を知っているか」

「なんだ、急に」

「街にある饅頭屋が雪が降る日は店を閉めると言う。何故だと思う?」

「はあ…?」

 彼らは一度考えようと手を緩める。拘束が甘くなったと判断し手に力を入れた。

「っ!!!」

 鼓太郎は一瞬の隙に彼らを振り払った。

「あっ、待て!!」

 そのまま走り抜ける。幸いにも、自宅方向へ走ることができた。

「はぁっ、はあっ……」

 ガラリと自宅の戸を開けて閉めるまで、声を出さずに細心の注意を払った。心臓の打つ音だけが鼓太郎の世界を支配する。

「あら、鼓太郎。おかえりなさい」

「っただいま、ばあちゃん……」

「その顔は……こんなに服も汚れて……」

 鼓太郎が顔を上げると、祖母の円子がちょうど廊下を通りかかったところで、怪我と服の状態を心配された。あまりバレたくなくて、鼓太郎はぎこちない笑顔を作る。

「ばあちゃんごめん、これ。時枝さんのとこから受け取ってきた。……少し汚れてしまったかも。しわが寄っていたら伸ばすからね」

「ありがとう、鼓太郎。大変だったねぇ」

 包みを渡すと、円子は鼓太郎の頭を撫でる。彼女にとっては幼いままの孫なのだろうと、最近の鼓太郎はそれを拒まず受け入れることにした。

「夜になったら少し用事があるから、かあさんにも伝えておいて」

「あら。危ないよぉ、夜に1人で出かけるなんて」

「大丈夫、絶対に心配ないよ。そんなに遅くはならないから」

「(……多分だけど)」

 最後の一言を鼓太郎は小さくつぶやいた。耳が遠い円子にはそれは届かない。円子少し納得しないながらも新しい布に目を瞬かせ、リビングへ向かっていった。それを見送って鼓太郎は自室へ入る。

「しかし変だ」

 鼓太郎は椅子に座り、首を捻っていた。時枝が夜に自分を呼び出したことも、考え出してしまえば時枝の存在自体も謎ばかりだ。

 少し考えて結論が出ないとわかると、鼓太郎は姿勢を楽にし息を吐く。不良に絡まれたことよりもなぜか妙に気になった。

「まあいいか。機会があったら聞いてみよう」

 鼓太郎は楽観的な男である。夜を待てば、時枝という人物に近づけるような漠然とした予感が彼にはあった。




ーーー


コンコン、

 時刻は夜の21時前。夕食を終えた鼓太郎は布屋の戸を叩いていた。中はうっすらと明るい気もするが、人の気配はあまり感じられない。

 ここまで来るのに棚越の連中とは合わなかった。しかし騒ぐような声は時折聞こえてくる。今夜も近くで好き放題やっているところなのだろう。

「鼓太郎、こっちよ」

 声に振り返ると、布屋の裏側から時枝が小さく手招きしているのが見えた。それにちょこちょことついて行く。

「裏口ですか?」

「そう。表は厳重に締めているから」

 店に入ると、しんとした静寂の中で色とりどりの布が光を放っていた。入ってくる月の光が反射しているのだろう。昼間見る景色とは違うものがあり、鼓太郎は感嘆の声を上げる。

「なんだか、夜は雰囲気が変わりますね……」

「そうねぇ、布達がお話でもしているのかしらぁ」

 時枝は嬉しそうに笑い、丸椅子に鼓太郎を座らせた。お茶を握らせるとさっきとは打って変わって真剣な顔つきになる。

「それで、奴等のことだけれど」

「ええ。今日もどこかから声が聞こえてきますね」

 時枝は目線をチラチラと動かし、鼓太郎の左腕で目を止めた。つられて鼓太郎も腕を見やるが、何も変わったところはない。

「あの、時枝さん。僕の腕、何かおかしいですか…?」

「ああいや、……ええっとちょっと見ただけだよ」

「……そうですか」

 疑問に思いながらも鼓太郎は少し気が散っていた。奴等の声がするたびに鉢合わせないか、ここに殴り込んでこないかと不安になってしまう。店の明かりをつけているため、寄ってくる可能性が高い。

「今日は、奴等のできるだけ近くに行って少しやりたいことがある」

「ち、近くにですか……!?危ないですよ!」

「アンタは縁を切りたいんだろう?」

「それはそうですけど、縁を切りたいことと、危険な連中の近くによることは繋がりません」

「繋がるんだよ、ここに私がいるからねぇ。」

「でも」

「とにかく行くよ」

 時枝に急かされ鼓太郎は慌てて店を出た。裏口から表に回る途中でちょうど彼等の声がする。時枝を守るため、前を鼓太郎が歩く。2人は店の壁に体をつけて通路の先を見ながら進んでいた。

「すぐそこにいます」

「そうみたいだねぇ。これは好都合だ」

「ちょ、時枝さん!」

 前を行っていた鼓太郎よりさらに前に時枝は出て行く。危ないと言うが、時枝本人は何らかの確信をもって動いているようだった。

「ん?……なんだ、これは」

 鼓太郎はあるものを見つけ、時枝から少しだけ目を離す。紅色の毛糸のようなものがキラキラと輝きながら張っていた。どこからどこまで繋がっているのはまではわからない。それはただ、建物と建物の間の暗闇で変に光っている。

「鼓太郎。もう少しこちらへ」

「あ、」

 その糸に触れようとする寸前で時枝に呼ばれる。彼等の声が聞こえ、鼓太郎の意識はそちらに完全に向いた。

「時枝さん?」

「じっとしていて」

 鼓太郎が近寄った瞬間、時枝は懐から鋏を取り出す。鼓太郎はぎょっと目を見開き、叫び出しそうになるのをなんとか堪えた。

「時枝さん、な、な、なにを……!」

「静かに」


シャキンッ……


 一瞬の静寂の間に鋏が空を切る音がした。ただ何もない場所で切っただけなのに、ビリビリと痺れるような感覚が鼓太郎を襲う。

「さあ、店に戻ろうか」

「え?」

 まるで用が済んだかの様子で、時枝は裏口に戻り始めた。何が何だかわからない鼓太郎は、声を抑えながら口々に騒いでいる。ガラリと裏口の戸を開けるまで、鼓太郎の声に時枝は応じなかった。

「ふぅ、寒かったねぇ。これでもう大丈夫だよ」

「あの……本当に何がどうなっているのでしょうか……」

「説明不足で悪かったねぇ。ちょうど奴等が近くを通ったから」

時枝は上着を脱いで椅子に掛けた。鼓太郎も先ほどの丸椅子に座り、時枝を見る。時枝は余裕そうに笑っていた。

「縁を切ったのさ。アンタと奴等とのね。」

「縁を……?」

「明日はいつも通りの時間に堂々と学校に行きなさい。もう奴等と会うことはないだろう」

「縁を切ったって……時枝さんは鋏を一度交差させただけじゃないですか。しかも、何もないところで」

 時枝は懐から大事そうに先ほどの鋏を取り出した。金色に桃色をのせたような色をした鋏で、刃の先まで不思議な装飾があしらわれている。

「これは特別な鋏なんだ。縁を切るためのね」

「それでその……俺と奴等との縁を切ったんですか?」

「そうさ。アンタが困っていたからねぇ」

 鼓太郎は目をぱちくりさせてもう一度鋏と時枝を見た。嘘みたいな話だが、そのような嘘をついて時枝に徳があるようにも見えない。そしてそう言われてみれば、時枝の鋏はかなり特別なものに見えてきた。

「それは……すごいことですね……! この世にはそのようなものもあるのか……」

「あはは、鼓太郎らしいねぇ。そう言う素直なところが円子さんにそっくりだ」

 自分の体を見ても、何も変わっていない。ただ、最初に店に来てここに座っていた時、時枝は意味もなく鼓太郎の左腕を見ていた。まさかと思い鼓太郎は口を開く。

「奴等との“縁”はこの左腕と関係があるんですか?」

「よく見ていたねぇ。鼓太郎の左腕から紺色の糸が跳びていたのさ。それが奴等との悪縁だ。もう切ってしまったけれどね」

「そうか……じゃあもう彼等とは」

「しっかりと切れているから、奴等には今後会うこともないだろう。」

「それは……なんというか……そうなったら感謝してもしきれないな。……でも、何故こんな時間に?」

 疑問は次々に生まれてくるが、鼓太郎はまず、一番に思いついたことを口にした。夜、人気が少ない時間を選ぶ意味がどうしてもわからなかったのだ。昼間なら彼等に気づかれずに糸を切れるのではないのかと鼓太郎は指摘する。すると時枝はそれができたら嬉しいんだけどねぇ、とため息をついた。

「糸は夜にだけ現れる。夜の世界ではみんなからくり人形みたいだよ。」

 世の中は縁だらけ。いい縁も悪い縁も直接その人間に繋がっているのならすごい量なのだろう。

「私は特別に夜だけ縁が見える。糸としてねぇ。そして夜が明ければ、また元の世界に戻るのさ」

 夜、彼女には特別なものが見える。それは何かと何かが繋がれた縁だ。糸のように繋がっていてそしてそれを時枝は切ることができる。


「知る人からうちは――“裁ち屋”と呼ばれているんだよ」


 これが布屋の店主、綾瀬 時枝(あやせ ときえ)の裏家業である。


ーーー


 次の日。鼓太郎はいつも通りの時間に家を出た。登校中、棚越の制服を着た奴等は見かけない。

「本当に、縁が切れたって言うのか……?あの一回だけで……」

 疑問に思いながらも足を動かしていく。するとあっという間に学校まで着いてしまっていた。いつも必ずと言っていいほどたむろしているのにおかしい。ただ単に鉢合わせなかったのかと思っていると、他の生徒の声が聞こえる。

「棚越の連中、今度は隣町で騒いでいるらしい。拠点ごと動かしたらしいな」

「この辺からいなくなったのは幸いだが、他のところでも同じことをして……。どうしようもない奴らだ」

 鼓太郎は手を止める。彼等がこの街を去ったのは自分との縁が完全に切れた為だと知っているからだ。昨日のは夢ではなかったのかと少しだけ身震いした。

「あ」

 そういえば、と一つ思い出す。昨日見た綺麗な毛糸は何だったのか、時枝に尋ね損ねていた。もうしかしたらあれもなにかの縁だったのかもしれないと、ぼんやり考えていたのだ。

「まあ、また聞けばいいか」

 楽観的な性格はそれをすぐに頭から消していく。あの夜見たものは何だったのか、その正体に鼓太郎が気がつくのはまだ少し先の話となる。



続く

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