第19話 ねえ伯父さん、約束だよ。
37
目を開ける。雨が降っていた。大丈夫ですか、と声をかけられて私は上体を起こす。身体がひどく疲れていて、私は元の世界に戻ってきたのだということを理解した。
「伯父さんは……?」と言って周りを見ると、担架に乗せられて運ばれていくところだった。私は立ち上がって駆け寄る。
固く目を閉じている伯父さんは、つい先ほどまでの元気な姿と重ならなくて怖かった。「助かりますか」と口走った私に、救急隊員らしき人は「ご家族?」と尋ねる。私が頷くと、「今から搬送します。一緒に救急車に乗りますか?」と言った。私はもう一度頷く。
ふと、父が突っ立ってこちらを見ていることに気付いた。私もじっと父を見て、「あなたのこと、許さない」と言う。
「だけど、許さないだけにする」
父は目を伏せて、何も言わずに連れて行かれた。私は救急隊員の人に急かされ、救急車に乗る。
「娘さん?」
「……姪です」
「伯父さんの名前は何かな」
「江良……久志です」
「伯父さんのこと呼んであげて」
泣きそうになりながら頷いて、私は伯父さんを呼んだ。救急隊員の人たちが「血圧と体温、戻りません」と言いながら伯父さんに酸素マスクらしきものをつける。「江良さん、聞こえますか? 今病院に向かってますからね。しっかりしてください。姪っ子さん呼んでますよ。江良さん」と絶え間なく呼びかけていた。
こんな田舎で搬送先の病院がすぐ決まったのは運がよかったのだろう。数分で病院に着き、お医者さんなのか看護師さんなのか、とにかくテキパキと救急車から降ろされた伯父さんを連れて行く。私はそれをぼうっと見て、「あなたも降りて。しっかり」と声をかけられて降りた。一歩病院内に足を踏み入れ、とてつもなく怖くなった。
すぐに手術が始まったらしく、私は待合室に座らされる。雨に濡れた体が冷たかったが、伯父さんの体はもっと冷たかった。いやだよ、と私は呟く。死んじゃ嫌だよ、と。
いろんな人が私に話しかけていた。私はそれに答えたが、自分でも何を言っているのかよくわからなかった。知らないうちに母の連絡先を教えていたようで、気づいたら母がそこに立っていた。
「……何があったの」
私は上手く説明できず、うろたえる。「あんた、服が汚れてる。それ、血?」と言われ、私は自分の服が薄い赤で全体的に汚れていることに気付いた。「伯父さんの」と私が呟くと、母は両手を口に当てて「どうして」と言う。
「……私、お父さんの住んでるとこに行ってみたの。顔が見てみたくて。会うつもりじゃなかったんだけど、会って。そしたらそこに伯父さんが来て、お父さんが……伯父さんのこと刺した」
「孝利くんが? そんなこと……どうして……そんなことする人じゃ……」
それから母はぽつりと「私のせいだ。私がこの町に帰って来たいって言ったから。お兄ちゃんは反対してたのに」と呟く。
「……死ぬような怪我じゃないんでしょう?」
「わからない。本当に、わからないの。血はたくさん出てたし、救急車で運ばれる前から意識がなかった」
母は絶句して、「死んじゃうの? 嘘……嘘だ」と目を見開いた。私は「本当にわからないんだよ」と涙まじりに怒鳴る。母は黙って、「そうよね」と俯いた。それから私の隣に座る。
「一旦おじいの家に帰って、着替えようか?」
「いい」
「そう……」
それから私たちは、ひたすら待った。私は途中で眠っていたかもしれない。数時間経って、ようやく手術は終わったようだった。
「大丈夫。成功ですよ」と、お医者さんがなぜか私の肩を叩いて言う。私は「ほんとう?」と確認した。お医者さんは頷いて、それから母に「妹さん?」と尋ねる。
「はい……ありがとうございました……」
「うん。お話したいことがありますのでこちらにいらしてください」
私も、とついて行こうとしたがお医者さんから「とりあえず妹さんだけで」と言われて省かれてしまった。また待合室の椅子に腰かけ、とにかく伯父さんは生きているということだけを噛みしめる。
戻ってきた母が、ちょっと目の縁を赤くしながら私に「帰ろ」と言ってきた。
「でも、」
「この後色々処置してからじゃないと麻酔を切れないから、目を覚ますとしても朝だって。あんた、そんな恰好で病院にいたら迷惑よ。シャワー浴びて、着替えてからまた来よう」
「……お医者さん、なんて言ってた?」
「そんなに大したことじゃないわ。手術は成功したし、あとは本人の体力次第ですねって。それなら大丈夫でしょう、お兄ちゃんは体力だけは人一倍あるんだから」
私は母に並んで歩きながら「生きてる?」と確認する。「生きてます」と母はハッキリ言った。
要二おじいの家に戻ると、親戚は子ども以外みんな起きて待っていた。私の格好を見てショックを受けた親戚のお姉さんが貧血を起こして倒れたりした。
母の説明を聞いた要二おじいは両手で顔を覆って「どうしてお前らばかりそんな目に合うんだ」と嘆く。それから急に目を怒らせて、「あの酒蔵の息子、殺してやる」と立ち上がろうとした。私たちはみんなでそれを押さえる。
「そういうことしないって、伯父さんと約束したんだよ」と私は言った。「伯父さんは、憎むなって。これで終わりにしようって言ったの」と。要二おじいはすっかり沈んでしまって、「あいつは本当に人間が出来すぎてる。どうしてそうなっちまったんだか」と呟く。
「それに、あの人はもう捕まったんだから」
「そうか……」
もし伯父さんが死んでいたら、私はこんな風に言えていただろうか。わからない。もしこれから伯父さんの容態が急変したら? それでも、私は父を憎まないように努めるだろう。私は伯父さんに育てられた子なんだから。
シャワーを浴びて新しい服に着替えた私と母は、また病院に向かった。伯父さんは集中治療室にいるらしく、看護師さんが「江良さんは低体温と大量の出血がありましたから、覚醒遅延があるかもしれません。なかなか目覚めないからといって、あまり気にしすぎないようにしてください」と話した。
結局のところ、その日伯父さんの意識が戻ることはなかった。
私たちは自宅に帰ることはせず、要二おじいの家に留まった。要二おじいもそうしろと強く私たちを引き留めていた。
「そうだ、お兄ちゃんの職場に連絡しないと」と母は言って、電話をかける。私にできることは何もなかった。
部屋にいると、親戚の奥さんが私の隣に座って「久志くんも今に元気になる」と励ましてくれる。
「佳乃子ちゃんにとって、お父さんみたいなものだもんねぇ」と私の頭を撫でた。私は自分で思っているよりずっとその言葉が刺さってしまい、膝を抱えて泣く。何だか、色んなことがどうしようもなかった。
容態が急変したらどうしよう、生きていてよかった、でもいつ目が覚めるんだろう、伯父さんはずっと奈津さんのことを言わずに悲しいのを隠して生きていたんだ、私はそれにも気づかずにずっと甘えてきたんだ、私はずっと足手まといだ、だけど伯父さんのことが大好きで仕方ないんだ、早く元気になって。
そんなことがぐるぐるぐるぐる回っていた。親戚の奥さんは黙って私の頭を撫でている。母の前では泣けなかった。母だって、本当は私より泣きたいのを知っていたから。
「大丈夫。久志くんは佳乃子ちゃんのこと、置いていかない。大丈夫よ」
「そうかなあ?」
「そうよ。久志くんだって佳乃子ちゃんのこと、大好きだもん」
「だけど……」
だけどそれは、伯父さんを縛り付けることにならないだろうか。私はあの海を知っているから、そう思う。『そうだとしても一緒にいたいと願ったのは私だ』ということもわかっている。
戻ってきた母が私たちのことを見て「ああ、ごめんなさい晴菜さん」と頭を下げた。「いいのよ。七美ちゃんも、無理しないで」と奥さんは微笑んだ。
その日、私と母は手を繋いで眠った。どちらから言い出したわけでもないけど、何となくそうした。
「ねえ、お母さん」
「なに?」
「伯父さんに恋人がいたの、知ってる? 中学生の時からで、この町を出るまでずっと付き合ってたんだって」
「知らなぁい。そんな人いたの? お兄ちゃん、そういうこと全然言わないんだから」
「死んじゃったんだって。伯父さんが町を出てから」
母はハッとした様子で黙る。それから小さな声で「何も言わないのよね、あの人は本当に。そういうこと、全然」と呟いた。
「ちょっとでも頼ってくれたらいいのに、私じゃ全然力になれないのね。ずっとそう。守られてばかり」
「ねえ、お母さん。伯父さんがその人のところ行きたいって言ったらどうする?」
「……そりゃあ、止めるわよ。我儘でも、必死に止める。行かないでって縋りついて、泣き落としでも何でもする。その人もお兄ちゃんのこと大好きかもしれないけど、私の方が大好きな自信があるもの。まだそっちに行かせられないわ」
私は目をつむって、「そうだよね」と言う。あの時母がいたら、きっと私と同じようにしただろう。だから正しかったとかそういうことではなくて、仕方のないことなのだと思う。伯父さんが何度だって奈津さんを救おうとしたのと同じように、私たちだって伯父さんのことを諦めない。
「私ね、お父さんのこと悪い人だとは思ってないの」
「……私は孝利くんのこと許さない」
「私も許さないけど、でも悪い人じゃないんだってことも忘れないようにしたいの。弱くて臆病だったよ、あの人。それはたぶん私の中にもあるものなんだって」
「……あなたは本当に、お兄ちゃんに似たわね」
本当は伯父さんが言ったことなんだ。だけど私はそう言わなかった。伯父さんに似ている、そんな風に言われていたかった。
もう寝なさい、と母が言う。私は頷いて、もう何も言わなかった。しばらくして、母のすすり泣く声が聞こえたような気がした。
38
伯父さんは次の日、目を覚ました。酸素マスクをつけながらひどく朦朧とした様子で「随分と懐かしい夢を見た」と言った。「綺麗だった」と。
それから二日、すっかり意識のハッキリした様子の伯父さんが本を読みながら「暇すぎる」と言い出した。
「病院食は不味くはないが、何の楽しみもない」
「我儘言わないの。ほんと、生きてるだけで奇跡みたいなもんなんだから」
母は言って、しかし嬉しそうに笑う。「ほんとに奇跡よ。お兄ちゃんの状態じゃ、間に合わない可能性の方が高かったって話なんだから」と続けた。伯父さんは「ああ……」と歯切れ悪くなる。
「まあ、その……それについては俺も感謝をしているところだ」
「誰に?」
「色んな人に」
私も無意識に頷いてしまった。奈津さんがそうしてなかったら、やはり伯父さんは死んでしまっていたのだ。彼女は最後に『ゆっくり来てね』と言った。私だったら恋人に、そんなことが言えるだろうか。
「また仕事を休むことになった。そろそろクビだな」
「昨日会社の方がいらっしゃったとき、『江良さんに辞められちゃあ困ります』って言ってたわよ」
「家族にはそう言うもんなんだよ」
「どうしてお兄ちゃんって自分のことになると途端にネガティブなの?」
「どうせクビならこっちに小さな家でも買って暮らそうかな」
「また思いつきでものを言って……」
果物の皮剥くから、と母は病室を出て行った。伯父さんはぼんやりとその後ろ姿を見送る。
「佳乃子」
「何?」
「ありがとうな。俺を助けようとしてくれて」
「……でも、助けたのは奈津さんとお医者さんだよ」
「いや……いや、お前たちに助けられたんだと思う。俺はさ、」
生きていてよかったよ、と伯父さんは言った。ちょっと笑って、空を見て、「絵でも描こうかな。お前が前に言っていた通り」と話す。私はなんだか泣けて、ごまかすように「そうだねー」と同意した。
39
伯父さんは病室の窓を開けて、海を見ている。風に吹かれながら、何か歌を口ずさんでいた。私は近づいて、隣に立つ。
「それ、奈津さんが歌ってたやつ?」と声をかけてみた。伯父さんは初めて私の存在に気付いたようで、少し目を丸くする。
「……We've Only Just Begun。愛のプレリュード。昔の曲だ」
「愛のプレリュード……」
「幸せな歌なんだ。本当に、全てが上手くいって、夢みたいに。たとえばお前の結婚式なんかで歌うのもいいかもしれないな」
「私、結婚なんかしないと思う」
「そうか? 俺はお前の花嫁姿を見るのが夢だけどな」
私は伯父さんと見つめ合った。言いたいことはたくさんあったけれど、一つも言葉になりはしない。ただ伯父さんの腰に抱き着く。「おい、腹を縫ったばかりだぞ」と伯父さんは呆れた声を出した。
「ずっと一緒だよね?」
「ああ」
「ほんとにほんと?」
「……佳乃子、嘘はつけない。本当のことを言うなら、『ずっと』なんてないんだ。みんなそうだ」
伯父さんは私の頭を撫でる。
「だけど、一緒にいよう。だから一緒にいよう。『ずっと』なんてなくても、ずっと一緒にいよう。大丈夫。俺は元気だし、お前も元気だ。我儘を言うのがお前の特権なら、一番最初にお前の我儘を聞くのは俺の特権だ」
「……もし結婚式を挙げるなら、ヴァージンロードを歩くのは伯父さんとじゃなきゃやだ」
「なんだ、それくらい。伯父さんに任せておけ」
ようやく笑って、私は「約束だよ、絶対だよ」と伯父さんに言う。伯父さんは私の頬を撫でながら「本当に楽しみだなあ」と目を細めた。
転生したら伯父とホラゲ攻略することになった件 hibana @hibana
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます