第10話 夏という季節、焼きそばとカレー合いすぎ問題。
22
お墓の周りの雑草を抜いて、母はお線香に火をつける。手を合わせた母に倣って、私も両手を合わせた。伯父さんも私たちの後ろで同じようにしている。
母と伯父さんの父。つまり私からすれば祖父ということになる。祖父は母と伯父さんが若いころに亡くなったらしい。もちろん私は会ったことがない。
「おじいちゃんって、どんな人だったの?」
「……今思えば、何というか警戒心のない野生動物のような人だった。七美は親父似だよな」
「どういう意味よ」
本当にどういう意味? と母は不可解そうな顔をする。「いや別に悪い意味じゃないよ」と伯父さんはちょっと笑った。
おばあちゃんは? とは聞けなかった。伯父さんが自身の母親について、そう簡単には語れない複雑な感情を持っていることを私は知っていたからだ。母は……どのように思っているか知らないが、そういい感情を持っているとは考えづらい。どちらにせよ地雷だろうなと思った。
「あーよかった。お父さんに佳乃子のこと紹介できたし。十七年の気がかりが消化できたわ」
「そんなに気にしてたんだ?」
「そりゃそうよ。孫の顔は見せたいじゃない」
十七年か、と伯父さんが呟く。「本当に……随分経ったんだな」と軽く目を閉じた。「歳取ったね、お互い」と母が笑う。
「じゃ、海行っちゃいますか」
「やった!」
「先に行っててくれ。俺も後から行く」
墓地から海までは歩いて行ける距離だった。私たちは水着の入ったバッグを持って歩く。潮の香りが濃くなっていった。
防波堤の上から「うわー、人が少なくて最高!」と私は叫ぶ。母と伯父さんが言った通り、海はとても綺麗だった。
「そこの公衆トイレで着替えなさい」
「はーい」
水着に着替えて出てくると、伯父さんが浮き輪を膨らませていた。私はそれを受け取って、ぱーっと海まで走っていく。母と伯父さんも靴を脱いで歩いてきた。
「つめたぁ……まだ水冷たいじゃないの。あんたよく海入れるわね」
「これが若さですわ、お母さま」
「腹立つこと言ってくれるじゃないの」
じとっとした目で母が「あなたの姪御さん、あんなこと仰ってますよ」と伯父さんに言いつける。伯父さんは呆れた顔で「お前の娘だろ」と肩をすくめた。
私は浮き輪を身に着けて、海に浮かぶ。あんまり遠くに行くなよ、と声が聞こえた。
ぼーっと揺蕩いながら海岸を見る。伯父さんがふらつきながらトイレへ行くのが見えたので、足をバタバタさせながら浜に戻った。
「伯父さん、どうしたの?」
「さあ。熱中症かしら」
「やばいじゃん。ちゃんと飲み物のまなきゃダメだよ」
「あんたもね」
言われて、スポーツドリンクを差し出される。私はそれを飲みながら、砂浜に座った。
「焼きそば食べたーい。海といえば焼きそばとスイカだと思う」
「山でBBQやってても変わらないじゃないの」
「ロケーションが全然違うでしょ」
「不思議ね……人は山に行っても海に行っても焼きそばを食べたがるのよ」
「焼きそばかカレーかみたいなとこある」
顎に手を当てた母が真顔のまま「そう言われるとお腹すいてきたわね」と呟く。「だよねー」と私は伸びをした。
「あんた、もう海はいいの?」
「一人で泳いでて楽しい時間は通り過ぎた」
「でしょうね」
「でもここの海は綺麗だね。夜も来たい」
「何期待してるかわかんないけど、この辺は灯りもないし真っ暗で綺麗もクソもないわよ」
「あー……そうなんだ……」
夕焼けは綺麗かもね、と母は瞬きをする。「でも来るんなら私か伯父さんを連れてきなさいよ」と釘を刺した。
「てか伯父さんおそ……」
「まずい。忘れてたわ」
公衆トイレをちらっと覗いてみると、なぜか伯父さんはそこに突っ立ったままでいた。「何してんの?」と尋ねたが、伯父さんはどこか険しい顔で「何でもない」と言うだけだ。
「もう帰るのか?」
「お腹すいたから。どこかで食べていきましょうよ」
「それはいいな」
「大丈夫? 顔色悪いけど」
伯父さんは首を横に振った。「佳乃子、着替えないのか」と私の格好を指さす。忘れてた、と言いながら私はトイレに駆け込んだ。
それから私たちは地元の食堂のようなところで食事をした。私は焼きそばを食べ、母はカレーを注文する。伯父さんは「俺はいい」と言ってどこか上の空だった。
要二おじいの家に帰ると、すでに宴会が始まっていた。
「久志、お前こっち戻って来るなら言えよな」と男の人が数人で伯父さんを連れて行く。
「あれは?」
「お兄ちゃんの同級生たちよ。これは明日も泊まることになるわね」
私と母も宴会に顔を出し、料理を食べて程々の時間に抜け出した。伯父さんはといえば完全に酔っていて、同級生たちと小学校だか中学校の校歌を合唱していた。あまり見ない姿だ。楽しそうだったので置いてきた。
私がシャワーを浴びて出てくるころ、伯父さんたちは「遠藤んち行こう、遠藤んち」と言いながら外へ出て行くところだった。遠藤さんという人は可哀想だな、とちょっと思った。
「佳乃子ちゃん、冷蔵庫にスイカ入ってるわよ」と親戚の奥さんが教えてくれて、私はスイカを片手に縁側に出る。すでに先客がいて、私は「要二おじい」と声をかけた。
「おじい、宴会は?」
「久志たちがいなくなったもんで、お開きだ」
蝉の声が聞こえる。夕焼けを見逃したな、と私は思った。微かな風が吹き、柔らかく風鈴が鳴る。スイカが美味しい。
「
「うん」
「俺が祖父さんって言うのもおかしな話だけどなぁ、あいつとは同い年だったから」
「そうなんだ」
要二おじいは団扇で仰ぎながら、「あいつとは学生時代からのダチだった。妹抜きでよく飲みに行ったよ」と瞬きをする。
「妹と結婚するって言った時も、あいつなら任せられると思ったもんだ。それがあんなに早く死んじまって」
「事故だったの?」
「そうだな。仕事中の事故だった」
ぼんやり暗闇を見つめながら、要二おじいは手元の飲み物を口に運んだ。氷のたくさん入った飲み物は汗をかいている。
「不運だったし、不幸な出来事だった。それで……まさか、妹が子供らを置いて蒸発するとは夢にも思わなんだ。あいつは帰ってこなかった。もし今会ったら、ぶん殴ってやりたいよ。お前、母親として絶対しちゃいけないことをしたんだぞって」
「……おばあちゃんは、そういうことをする人じゃなかったの?」
「いや……どうだろうな……。もう二十五年も前の話だ。俺は兄貴だから、贔屓目もあってあいつがそんなことをするような人間とは思わなかった。だが久志と七美からすれば、そう驚くようなことじゃなかったのかもしれん。少なくとも、久志は……あいつは落ち着いたもんだったな」
おじいはまたグラスを傾けた。お酒なのかもしれない。おじいの目の縁には涙が溜まっていた。
「あの頃……久志と七美にもっと何かしてやれてたらと今でも思う。俺のところにも子供が五人いて、いっぱいいっぱいだった。何を言っても言い訳になるけどな」
「お母さんも伯父さんも、おじいには感謝してるって」
「だけどなぁ、そもそも子どもはそんなことで感謝なんかしなくていいんだ。よくやったよ、あの二人は。特に久志は本当によくやった」
鼻をすすって、おじいは「それで佳乃子もこんなに大きくなって」と感慨深そうに息を吐く。
「お前が生まれる前も色々あった」
「……お父さんの話?」
「お前、父親に会いたいか」
「この町にいるの?」
要二おじいは頷いて、「お前の父親は、久米酒蔵って昔からある酒蔵の次男坊でな」と話し始めた。
「酒蔵は長男が継ぐってんで会社勤めを始めたが、久志が殴り込みに行ってから辞めたらしい。今は酒蔵で兄貴を手伝ってるって話だ」
「そうなんだ……」
聞きたいような聞きたくないような気持ちで、「どういう人かってわかる?」と尋ねてみる。おじいはひどく難しそうな顔で「どういうやつかってそりゃあ……どういうやつなんだろうな」と腕を組んだ。
「俺ら地元の人間からすりゃあ、ガキの頃からおっとりしてて、でも礼儀正しい子どもだったよ。七美と離婚した時には、ああいうのが逆に女殴ったりするのかねって噂になったもんだ」
「うわー……田舎の噂話ってこわいな……」
自分でもかなり嫌な顔をしていることはわかったが、何とか絞り出すようにして「私ってお父さんに似てるのかな」と聞く。おじいはなぜだか喉を鳴らして笑いながら、「いいや。お前は本当に……不思議なくらい久志に似てる」と答えた。私は妙にほっとして、「そっか」と呟く。
「墓参りにしては遅かったな。どこ行ってた?」
「海行って、ご飯食べてきたよ」
「海ぃ? 静浜に行ったのか?」
「たぶんそう。ダメだった?」
「ダメじゃないが……あそこは出るって噂だぞ」
「出る? とは? お化けとか?」
「そうだ」
私はびっくりしてしまって、「そうなの!?」と聞き返してしまった。おじいは自分の顎をさすり、「昔あの海で死んだ娘さんがいてな」と話す。
「十五年ぐらい前かな。入水自殺だった」
「ガチのやつじゃん!」
「そうなると、そうか。久志と七美がこの街を出てった後の話なのか。それじゃあ知らなくてもしょうがねえな」
だからそれほど人がいなかったのか、と私は思った。あの海にいたのはたぶん、私たちと同じように事情を知らない観光客たちだろう。
それからハッとして、「そういえば伯父さんが途中で気分悪くしてるみたいだった」と気づきを口に出す。久志がか、と要二おじいはちょっと気味悪そうにした。
「寺にでも連れて行け」
「怖すぎ……」
グラスに入っていた飲み物がなくなったらしく、おじいは「寝っかな」と呟く。私もすでにスイカを食べ終えていたので、「歯磨きしよ」と立ち上がった。
「おやすみ、おじい」
「おう。おやすみ佳乃子」
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