第2話 何も知らない身内が一番怖いってこともある。
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夢を見た。
幼い頃、私は伯父さんに「どうしてうちではおじさんのこと、お父さんってよばないの?」と聞いたことがある。まだ自分の家庭の事情というやつをわかっていなかったため、みんなの言う『お父さん』というのが自分の家にいる『おじさん』と同じ存在であると思っていたのだ。
「みんな、パパとかお父さんってよぶんだよ。おじさんってよぶの、うちだけだよ」
伯父さんは私のことを抱き上げて、「ごめんな。おじさんはおじさんなんだ。嘘はつけない」と言った。もちろん幼い頃なので記憶は定かじゃないが、伯父さんの容姿はこの頃からほとんど変わっていないように思う。
「だけど、佳乃子。どこの家の父親より、お前のこと────」
大事に思ってるよ。
そう、優しく囁いた。そしてそれを私は、当然のように受け止めてきた。
今日の今日まで。
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「佳乃子、佳乃子」
耳元で名前を呼ばれ、私は目を開ける。瞬間、全てを思い出して嫌な気持ちになった。これから何が起きるのか、考えたくもない。
伯父さんは私を起こしながら「家の中か?」と眉をひそめている。
中には真っ赤な絨毯が敷いてあり、その上で眠っていたが全く体が痛くなっていなかった。玄関に背を向けると右と左に階段があり、どちらも二階に通じている。
そしてどこからか、オルゴールの音が聞こえていた。曲は、たぶんパッヘルベルのカノン。綺麗な音色だった。
「いきなり眠くなって……どうして中に? この家の人が見かねて中に運んでくれたのかな」
伯父さんは物凄くポジティブだ。
「すみませーん、中に入れてくださりありがとうございまーす」
きょろきょろしながら、伯父さんがそう声を張った。「すみませーん」とまた叫ぶ。
誰も出てこないので「弱ったな。歩き回るのもいかがなものか」と真剣な顔をした。
一方私はといえば「もういいから外に出よ?」と玄関のドアに手をかける。開かない。まったくもって想定内である。
「出られない」
「鍵がかかってるのか? 中から開けられないなんて珍しいな」
「あのね、伯父さん。はっきり言うけどたぶんめちゃくちゃ今やばいよ。やばい状況だよ。閉じ込められたのかも」
「……心配するな。そうだとしても、伯父さんは強い」
「本当かな……」
とにかく家主に会わなきゃならん、と伯父さんは玄関から離れた。私も伯父さんについて行こうとし、不意に床に転がっているものに目をとめる。
ぬいぐるみだろうか。二体あり、どうやら男と女の形をしている。というか────
「これ、私たちでは?」
髪型も服装も、今の私と伯父さんに酷似している。伯父さんもそれを見下ろし、「気味が悪いな」と顔をしかめた。気味が悪いどころの話じゃない。この館の人間は――――どうか人間であってほしいと私が願っているだけだけど――――私たちがここに来ることを予期してこれを用意したとしか思えない。何のためにそんなことをするかわからないし、どうやってそれができたのかもわからないのだ。
その時である。
重たい布を引きずるような音がした。顔を上げると、何か黒い影が見える。
目をしかめたが、姿はよく見えない。そしてそれが十分に近づいた時、私たちは呆気に取られていた。
姿などないのだ。その影こそが、本体のようだった。
「なん、だ? あれは……女? 全身真っ黒の女、か?」
「何か持ってる……包丁だ!」
私は咄嗟に伯父さんの腕を掴んでその場を離れようとする。伯父さんはまだそれをよく見たがっていたが、ここがホラーゲームの世界だと確信を持っていた私はとにかくあれに捕まったらやばいということを察していた。
ここはホラーゲーム。相手は化け物。――――本当に、まだ人間相手の方がよかった!
「佳乃子、あれが何かわかるのか?」
「わかんないよ! でもどう見てもまともじゃないもん。逃げなきゃ」
階段を駆け上がる。化け物は追いかけてこない。
ちょうど階段の真ん中辺りで、いきなり伯父さんが立ち止まった。「ねえ、ちゃんと走って」と言いながら振り向くと、
伯父さんの頭がなかった。
血飛沫が上がる。私は呆然とそれを見て、伯父さんに手を伸ばした。しかし伯父さんの体を掴むことは出来なかった。私の腕もなかったから。
血だらけになりながら、何とか這って歩く。手すりに掴まり、下の階を見下ろした。
化け物は例の人形を執拗に滅多刺ししている。私は、自分のミスに気づいた。
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ハッと目を開ける。私は玄関のドアに手をかけており、そのまま突っ立っていた。
「鍵がかかっているのか? 内側から開けないなんて珍しいな」と伯父さんが呟く。
同じやり取り。やはりここまでリセットされて、ループしているのだ。
じっとりと汗をかきながら、私はすぐさま下に落ちている人形を拾って保護した。
「なんだ、その人形」
「これ……これ、持っていかなきゃ」
「その気味の悪い人形をか」
「完全に理解した。そういうこと。そういうルールなわけね」
「なんて?」
いいから、と言いながら私は伯父さんの腕を掴む。ずるずると布の擦れる音がして、振り向かずに歩き出した。
「なんだ、あれ。女? 全身真っ黒の女が……」
「あれに捕まったらやばいから。とにかく走って」
「お前、何か知ってるのか?」
「全然知らない。でもそういうことになってるの。私の言うこと、聞いて」
訝し気な伯父さんをただ引っ張っていく。
今できることは、この人形を死守しながらあの化け物から逃げること。そして何とか脱出の方法を探すことだ。死んでそのままゲームオーバーじゃないことはわかっている。でもできればもう死にたくない。
わからないことだらけだ、と伯父さんは呟いた。それはそうだろうと思う。これがホラーゲームの世界であると確信している私よりずっと、伯父さんにとっては訳のわからない事態だろう。それでもパニックになる様子が見られないのは、元々かなり適応能力が高いんだろう。
考えてみれば、私は伯父さんがパニックになったり強く感情を露わにしたりするところを見たことがなかった。いつも穏やかで落ち着いて、私が何を言っても適切な言動を返してくれる。それが伯父さんだった。今更に、それってすごいことだと私は思う。それを本人に言えるほど、私は素直な女子高生じゃないのだけれど。
階段を上りきり廊下を突き進んだ私たちは、少し歩くペースを落とす。「ちょっと人形を見せてくれ」と言われたので、私は伯父さんの人形を手渡した。
「しかし気味が悪いな。どうして俺たちと同じ姿なんだ? ここの住人は俺たちのことを知っているのか?」
「うーん……相手は人間じゃなさそうだし、そういう問題でもないんじゃないかな」
「人間じゃない、のか。やっぱりそうなのか。随分と妙なことになってしまったな」
伯父さんはしげしげと人形を見る。それからふと「この人形、何か入ってる。中が固いぞ」と言い出した。
そして――――
伯父さんは何のためらいもなく人形の腹を裂いた。
驚きと苦痛で顔を歪ませ、伯父さんはその場に崩れ落ちる。血だまりの中で、「な……んだ、これ……」と息も絶え絶えに言った。私は思わず悲鳴を上げ、伯父さんに近寄る。
衣擦れの音がして振り向いたときには、化け物が包丁を振りかざしていた。
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暗転後、私は数秒ぼうっとしてしまう。
「ちょっと人形を見せてくれ」
伯父さんはそう言って、手を伸ばしてきていた。私は思わず涙目になって、「触んないでっ」と拒絶する。
「次これに触ろうとしたら、縁切るから!」
「そんなに……」
悲しそうな伯父さんを無視して、私はとにかく歩いた。「ここから出ないと。どこかに鍵があるのかも」とぶつぶつ言う。
「この家の住人はいないんだろうか」
「さっき言ったじゃん。相手は人間じゃないんだって」
「そんなこと言ったか?」
私はハッとして立ち止まる。それから伯父さんを見て、「ごめん……ちょっと焦ってて……わけわかんないこと言っちゃった」と謝った。伯父さんは頭を掻きながら、「いや仕方ないよ。こんな状況じゃ、頭もおかしくなる」とため息をつく。
先ほどの行動からして、伯父さんが死に戻りしていないことは明白だ。伯父さんにとって、私の言動は不可思議極まりないものに見えるだろう。
「……あのね、伯父さん。わたし」
「うん?」
「夢を……夢を見てね、ここで死ぬ夢をたくさん。だから、『こうしたら死んじゃうかも』ってことが何となくわかるの。信じてくれる?」
「信じるよ。それなら、佳乃子。お前の言うことは聞いた方がいいな」
「本当に信じる? こんな話」
「ああ、信じるよ。もう不思議なことならいっぱい起きてるんだ。お前はそんな夢を見て辛いだろうが、それでもこの状況ですごく頼りになる情報だ」
この荒唐無稽な話を、伯父さんは一切の疑念なく信じた。私はなんでだか泣きそうになりながら、伯父さんを見る。伯父さんは真剣な眼差しで、「ああ……でも、本当にひどい夢だな。何度も死ぬなんて」と私の髪を撫でてくれた。
「伯父さん」
「うん」
「早く出たいね」
「そうだな」
とにかく状況を整理しようと、私たちは近くの部屋に入って声を潜めた。
「玄関は開かない」
「でもどこかに鍵があるかも」
「あの黒い影みたいな化け物はなんだ?」
「何かはわからないけど、包丁を持ってて襲ってくる。それだけは間違いない。それから、この人形はすごく大事なの。これを守りながら行動しなきゃ」
不意に伯父さんが動いて、「少し離れていなさい」と言いながら部屋の窓ガラスに近づく。それを最初コツコツと叩いて、それから思い切り蹴りつけた。衝撃でガタガタ揺れたが、ヒビも入っていない。伯父さんは「うーん」と呟き、「強化ガラスかもしれん。何か道具があれば割れるかもしれないが」と言った。私はホラーゲームのセオリー的にそれはないんじゃないかと思ったが、とりあえず同意しておく。
「つまり、俺たちはあの化け物から逃げながら玄関のカギを見つけるか、あるいは何か他の方法でここから出るってことだな」
「簡単に言うとそうだね」
「ちなみに夢の中では、その……まだまだ死ぬのか?」
「それがですね……その時にならないと思い出さないやつで……役に立たなくてごめん」
「そんなことはない。それに、自分が死ぬ夢なんて思い出さない方が精神衛生上いいだろうしな」
少し考えていた様子の伯父さんが、「よし」と手を叩いた。「ひとまず何か使えるものを探そう」と辺りを見渡す。私は探索パートが来たな、と思いながら頷いた。
「ここは子ども部屋みたいだな。絵本やおもちゃがある。兄弟か? どうも相部屋のようだ」
「とりあえず使えるものはなさそうだけど」
「次の部屋に行くか」
伯父さんが部屋のドアを開ける。そして、コンマ一秒で閉めた。
「いた」
「いた!?」
「目が合った」
「タイミングが悪い!!」
震えながら伯父さんの腕にしがみついていると、背後で衣擦れの音が聞こえる。まさかと思い振り向いた。
「い……っ」
伯父さんも振り向き、そして私が「いるーーーーッ」と叫んだその瞬間にドアを開けた。なだれ込むようにして部屋を出る。
「あっ……伯父さんの……人形が」
「後で回収に来ればいい。とにかく逃げるぞ」
「でもっ、違うの! 今すぐ回収しないと」
「いいから、ほら。走れ」
私は伯父さんに腕を掴まれ、引きずられるようにして走った。伯父さんの人形は部屋に転がったままだ。私は「早く! 早く戻ろう!」と訴える。しかし伯父さんはそれを無視して、ひたすらに廊下を進んだ。
肩で息をしながら立ち止まる。私は振り向いて、「早く戻らないと」と呟いた。
しかし、その時にはもう遅かった。
伯父さんの右肩から腹の辺りまで服ごと裂けて、真っ赤な血が飛び散った。伯父さんはふらついて、壁に背中を預けながらずるずる沈んでいく。
「これ、は……?」
「人形……が」
「にん、ぎょう?」
「人形に傷がつくと、私たちにも同じ傷がつくんだと思う。たぶん」
「なんだ……そう、なのか……」
ごぼごぼと血を吐きながら、伯父さんは目を細めた。「なら、落ちたのが俺の人形でよかった」と独り言ちる。
痛みからか、どっと汗をかきながら伯父さんは深呼吸をした。ひゅうひゅうと、空回りするような音がする。目を閉じ、「まあ……悪くないな」と不思議に穏やかな顔で呟いた。
ずるずると布が擦れる音が聞こえる。
「行きなさい」
「伯父さん」
「俺なら大丈夫だ……外に出られたら、人を呼んできてくれ……」
「伯父さんのこと置いていけない」
「ダメだ……っはぁ……行きなさい……っ、おれは大丈夫だ」
伯父さんの顔は真っ白になって、息も絶え絶えだった。時折咳き込んでは血を吐いている。私は頑なに首を横に振り、伯父さんの隣に膝をついて首に抱き着いた。やはりどこかで空気の漏れていそうな呼吸の音がする。
「一緒にいる」
「行っ、て……くれ。頼む、かのこ」
「大丈夫だよ、伯父さん。一緒に出よう」
耳元で刃物が空を切る音と、伯父さんの「すまない七美、守れないよ……」という声が聞こえた。
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