第二十節 結婚の祝福
それから暫くして、
「
「!」
「ただいまー。」
「おかえり、
「何?
まあ座って、と、促され、私は
「うん、もう決めたことなんだけど。」
「ああ、日取り? いつ帰るの?」
「いや、そっちじゃなくて。」
「じゃ、どっか行くの?」
「そっちでもなくて。」
「じゃ、何の日取り?」
「
ブッ。
私は盛大に葡萄酒を噴き出した。少し
「今朝、確認した。
「か、家系?
「
初めて知った。なら、私が癒やされなかったのは、池の水が動いていなかったからなのか。
「
「………うん。」
「まあ、そうだろうな。知ってる奴は限られてる。エルサレムに住んでいるか、それなりの都市にいたか。いずれにしろ、ガリラヤ地方のナザレじゃあ、知らなくても無理はない。」
…気のせいだろうか。何だか慰められている気がする。それも、私にとってあまりこのましくない方向に。しかし
「盲目で、脚も動かない。そんな乞食が、どうやってシロアムの池まで辿り着いたと思う?」
「どうやってって………。そりゃ、シロアムの池の奇跡を知ってる人が、
「その通り。でも
「なんでそんなところに? 癒やされるように畔においてあげれば良いのに。人だって沢山通るんだから、乞食だってしやすいじゃん。」
「………。うん、そうだな、お前ならそういうと思った。」
…気のせいだろうか。
「まあ、大通りにいると、良いことも悪いこともあるもんだ。
「父親じゃなくて?」
「父親だったら、娘に売春させて自分の食い扶持を稼ごうとするさ。母親が売春婦になっていたから、
「なんでそんな事分かるの?」
「………。身体を売る仕事のあれこれっていうのは、同性じゃないと分からないものも多いのさ。」
…気のせいだろうか。まるで
「まあ、何にせよ、母親は、ぼくが行ったときにはいなかった。
「随分勿体ぶるな。要するに、
「…
私はヒュッと息を呑んだ。つまりそれは、
「普通の家系の女が売春婦になったなら、縁を切るだけで済む。だが、祭司の家の女が売春婦になったなら、その女の父親の名誉の為に、殺すように律法に書いてある。
違う、と言いたかった。違う、そうじゃない。だって、だってそれなら、それなら
「………だったら、相応しいのは
「なんでだよ。ぼくは大王の家系の子じゃない。…父さんがバラして、ぼくが暴露して―――。」
「だって
―――秘密だよ。
理由がずっと分からなかった。でも考えることも無かった。考える必要が無かった。
まさか、
―――否や、違う。私はそんなこと、望んでいなかった。私はそもそも、結婚出来るとは思っていなかった。諦めていた。私は穢れているからだ。メシア
「………本当は、
「…ごめんな。でも、ぼくは結婚出来ないんだ。」
「なんで!? 父さんのことを愛しているから? 父さんと夫婦になってたから!?」
「
「死んじゃったじゃないか、父さんは!
「
だん、と、叩かれて、我に返る。
迂闊だった。父とのことは、
「―――そうじゃない。そこじゃないよ、
「せ、
悪かった。悪かったから、その先は―――。
「娘を、男娼に嫁がせようとする父親がどこにいる?」
「―――ウァアアアアアアア!!」
私は
「そんな言い方するなよ!! 悪いのは
「
「悪いのは買った方だ、売り物があっても、誰も買わなかったら商売にならないんだから! 道端に味のしない塩があっても誰も気にしない、それと同じだ!」
「…つまりお前は、ぼくの身体は塩気のない塩と同じで、地面に打ち捨てられて踏みつけられるようなものだってことか?」
「そうじゃない! なんでそんな風にひねくれるんだよ! もっと自分のこと大事にしてよ! おいらの兄さんなんだぞ、たった一人の兄さんなんだぞ!!」
うわああ、と、年甲斐も無く泣く私の頭を撫でながら、
「自分の事を大切にしていないわけじゃないよ、
「じゃあなんで!!」
「
私は少し落ち着き、ふるふると首を振った。
「それと同じだ。お前の道具が定規であったように、ぼくの道具は身体なんだ。ぼくはいつ客がきてもいいように、いつでも客好みになれるように自分を磨く。常に商品として完璧に近く、常に商品価値を上げる。大工が鑿や鉋を手入れするように、ぼくは自分の身体を手入れする。だって、時々道具の使い方を知らないバカがいるからね。そういうときどう修理するかも分かってる。ぼくはきっと、ナザレ派の誰よりも、自分の身体を大切にしているよ。」
「嘘だ! 男に生まれて男に組み敷かれるなんて、屈辱だ。それくらいおいらも知ってる! もし明るみになったら、あの裁判の時みたいに殺されるんだ、一人だけ!」
「
「………。」
「ぼくは、自分の娘を男娼に嫁がせない。それは男娼が卑しいからじゃなくて、収入が不安定で、底辺だからだ。そんな男に、大事な娘を預けられない。だからお前がいい、
「………。」
「
その顔は、反則だ。
私は涙を拭って、頷いた。
「おいらだって、慕ってくれる
その時の私は、何も分かっていなかった。
穢れを持ったモノが、人並みの幸せを手にするということは、どういうことなのか。護るとはどういうことなのか。
―――何故、私のようなモノ達が、穢れと呼ばれ、社会に入ることを許されなかったのか。
母は既に、女弟子達と旅立ってしまっていたので、婚約の儀は私と
「末永く、先生と貴方をお支えします。」
と、言った。私はその芯のブレなさがとても愛おしく感じ、早く触れてもいい時期が来ないかと思った。
私はてっきり、慎みの一月の間、アリマタヤにいると思っていたのだが、
しかし、
「………。」
「………。」
婚約者という肩書き云々、というよりも、大事な
気のせいだと思うのだが、私が弟妹や母と寝ていた時よりも、
事件は、その日の昼間、唐突に起こった。
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