息子篇 彼こそは神の子
第十六節 三百日分の対価
過越祭が終わって、暫くの間、私達はまた各地で伝道活動をした。
私はあの裁判の後、澹仰とやりとりをした。そして、私も断食をし、節約に勤しんだ。
「じゃ、ちょっと仕事に行ってくるから。」
と、あっさり席を立ってしまう。行かないでくれ、と、泣いて縋っても、
「じゃあ、お前がぼくを買ってくれる? あいつらより高く?」
そう言われてしまったら、私は何もできなかった。家が違うということを確信したとはいえ、ずっと兄弟として育ってきたのだ。家族というものを私に教えてくれた人だ。どんな理由で、その彼に値段などつけられようか。ローマの国庫全てを差し出されても渡さない、大切な唯一の兄だというのに。
昼間は何かと反感を買う
その様子を知っているはずの
そんな暮らしが二年ほど続いた。私は何度も睡眠不足と過労で倒れたが、諦めずに断食と夜更かしを続けた。無論、そのうち一度たりとも、
昼頃、休みに来ていた
「はい、これ。」
「ん?」
その日は過越祭が近く、私達はベタニヤ村に泊まることになっていた。既にこの村では、
「これ、ムナ金貨じゃないか! しかも三枚! 一枚百デナリ(約四十八万円)はする、ローマ高官の金だぞ! 何して手に入れた!?」
「盗んだんじゃないよ。分かりやすいように、高い両替料払って、三枚にしてもらった。」
「それで買う。」
「え?」
「
「………。」
「お願い……。父さんだって、悲しむよ。」
私が顔を覆って涙を隠すと、
「………。
つまり、買わせてくれないということだ。
「なんでよ!! 足りないなら追加で払うって―――。」
「もう遅いんだ!」
ダン、と、
「
「お前に初めて仕事を止められた時より、ぼく達は大きくなった。大きくなりすぎた。とてもじゃないけど、たった三百デナリじゃ、もう全員分のパンは買えない。なのに
「そんな………。じゃあ、せめて百日だけでも―――。」
「無理だ、
エルサレムには、唯一のユダヤ人の神殿がある。あそこで働く祭司や、その関係者ならば、
「なんで………。どうしてそんなに、自分を大切にしないの?
「………。そっか、割と早くから、お前も見てたんだな。なら尚のこと、止めてくれたらよかったのに。」
「とめる?」
いきなり話が変わった。そして、
「気付いてたんだろう? 知ってたんだろう? だからそんな事が言えるんだよな?」
あの夜のことだろうか。アレはどちらかというと、遭遇してしまったというのが正しいのだが。
だが、
「父さんがいない時、毎日ぼくがツィポラで大工たちに姦通されてたってこと。」
「………。え?」
なにを、言っている。
毎日? 姦通? 何を言っているのだ、
いや、待て、待て、待て。あの時、
「まあ、仕方ないさ。実際ぼくは、そういう風に生きてきたからね。所詮他人から始まった家族、いつ壊れてもおかしくなかったとも。実際ぼくと漱雪は、父子でありながら夫婦のようなものだったしね。母さんが、神に操を立てていたから。漱雪は、母さんと夫婦になれなかったから。」
「待って、待って
「お前も
何故だ。何故私が責められている。何故私は、犯してもいない罪で罵られている。
何故、男である私が、男である
「でもまあ―――そうだな。三ムナもあれば、確かに安心は安心だ。買われてやるよ、
そう言って微笑む
私は今、
「や、いやだ! 違う
「はは、童貞にはちょっと刺激が強かったか? とりあえず筆おろしだけしておく? それとも一気に破裂したい?」
「や、やだ…やめて、せんぎょう………。おいらあやまる、おかねもあげる、だからもう―――。」
「もう入れさせて欲しいのか? ぼくはいつでもいいけど―――ん?」
「………。おい、
「な、なに…?」
「
「
「しゃ、しゃせい…? うん、したことない……。聞いたことしかない……。」
「………。」
「
「………ふふ、あはは………。あははははっ!」
「
「あー、良かった………。家族にヤられなくて。」
よく分からないが
「
「
「?」
「
「ふのう?」
「今まで、男でも女でも、ぼくに欲情しなかったのは、年寄りと不能と、お前だけだ。お前はまだ三十六で年寄りとは言えない。寧ろ盛りだ。ということは―――。」
「お前、不能だぞ。女が抱けない身体だ。きっと子供も残せない。」
その時、私の心には、なにやらしっくりとくる、納得したような諦観のような、不思議な感覚が訪れた。
「そっか。」
「なんだ、悲しくないのか?」
「悲しむべきなんだろうけど……。だって、ほら。骨を数え間違えられたなら、機能を忘れられても仕方ないかなって。」
「………。
「いいよ、別にどうでも。おいらみたいな奴に嫁がせたい父親なんて居ないよ。
「腰砕けちまうぞ、あんな事言ってたら。」
アハハ、と、顔を合わせて笑っていると、ふと
「しかしまあ……。よくこれだけ稼いだな。献金はしてたんだろ? 教団全体としては足りてなかったから、什一じゃなくて什二にしてたけど。」
「稼いだというか、節約したというか。」
「節約?」
「へへへ、
「…そっか。そんなに一緒にいたかったか。」
『買いたかった』という表現をしなかった
「
「………。お前まで、ぼくの仕事を否定するのか?」
「じゃあ、じゃあ、おいらの知ってる人には、買わせないで。」
もう驚かなかった。
「まったく………。悪い目玉だな、一体いつ盗み食いしてたんだ?」
「ね、約束して。買わせないで。買われそうになったら、おいらに言って。それより多く用意するから。一レプタ(約七十五円)だけかも知れないけど、多く払うから。だから、おいらの知ってる人には買われないで。」
「………。分かったよ、弟子の客は取らないようにする。」
自分を大切にしてほしい、というのは、きっと私の我儘で、身勝手な思いだ。
その日、私達は昼間、仕事を休んでいる間、ほんの暫くの間、二人きりで兄弟に戻った。いつの間にか、
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