第十一節 正気と狂気の狭間
何より母が、それで満足しているようだったし、明らかに栄養が足りていないのに、
「セン兄、とうとう村の外行ったの? もうすぐごはんなのに!」
私が一人で家に戻ると、
「うーん、さっき三人でちょっと多めに井戸水汲みに行くって言ってたから、入れ違いの可能性を考えて一度戻ったんだけど、そういうわけじゃ―――。」
その時、
「おいが見てくる。」
と、
「なんだ、騒々しい―――。」
母さんに負担をかけるな、と、続けようとして、私は言葉を失った。
母の足下には、砕け散った皿と乳粥が転がっており、
「え、
私が村を半日探していなかったのだ。
「
「お母さん…。」
喋った! ちゃんと、はっきりとした言葉を!!
「
母は、
私達は、本当に
「この子は私の子よ。私が間違える訳ないじゃない。ずっと傍に居たのよ、ここにいない時も祈っていたのよ。」
と、泣きつかれては、何も言えなかった。何度か話し合おうとすると、それを察知するのか、それとも
はて、そうなると
いずれにしろ、
しかしそんな母の心痛も知らず、
「どういうことだろ? 母さんが一番の味方なのに。」
「気まずいんじゃないかなあ。」
「気まずいなら帰ってこなけりゃいいのに。」
「
心底大変だったんだぞ、というのは飲み込んだ。
「キビ兄、セン兄はどうしてああなってたんだろ。」
私は、門の所にいた、あの本家の息子の事を話そうかとも思った。しかし、本家の息子、というだけで、弟妹達は気を悪くするだろう。私は黙っていることにした。
「さあ、わからないな。」
「こんなことなら、ヒコ兄が帰って来たとき、逃がすんじゃなくて匿うべきだったかなあ。」
「
ほんの一月ほど前の事だ。弟子らしい老人達を引き連れ、
その日は安息日であったので、会堂で説教をする予定だった。ナザレ村は
要するに
そしてあの日の
初めから揃っていない、初めから壊れている私達と、今の
好機にも、
けれど、母を支え、息子を支え、手を取り合って、白昼に散歩するあの優しい世界を、壊す必要も無い、と思ったのだ。汗を流し、木陰で休み、一目を忍んで、傷付けられた息子に寄り添おうとする母親を、誰が貶められようか。
「………これで、いいんだ。」
嘘で塗り固められたのなら、いつかはその嘘も暴かれる。でもそれは、
「こんにちは!
「こんにちは、
あの時、
「
仕事しろ。
「やあ
「安息日と言えば、最近、安息日を守らないラビ(教師)がいるそうですね。」
「そんな馬鹿な。ラビと呼ばれる人が律法を守らなくなったら、この世の終わりだよ。」
「ホントですよ。でも律法を守らないのに民衆に人気があるんです。」
「ハハッ! へえ、
まさか
「石で殺される前に、頭がおかしくなっちゃうかも知れませんね。凄い人気だから、行く先々で民衆に取り囲まれてるんですよ。もうガリラヤ湖周辺の村で、知らない人は居ないんじゃないかってくらい。兄ちゃまも最近、話をよく聞きに行くんです。ボクも行ったことありますよ。」
「そりゃゴキゲンな跡取り息子さまなことで。」
「ちなみに、その人はなんて言うの?」
悪手だった。私はそんな、自分の弟が、そこまで愚かだとはとは思わなかったし、そもそも
一瞬―――
「ご存じかも知れませんよ、ナザレ出身だそうですから。―――
ガチャン!!!
動揺した
「
そこまで話をさせて、私は怒りで欠片を握り潰しそうになりつつあった。
「
「じゃあ、また次回。毎度ありがとうございました!」
「ええ、
「はーい!
気安く母の名前を呼ぶな!
私はどういうことか分かっていない
「…でもそれ、本当に頭がおかしくなってないのか、ヒコ。」
もし
「母さん、おいらヒコが心配だよ、見に行ってもいい?」
それは事実だった。
「ヒコ兄が心配なら、実際に会いに行けば良いじゃん。母さん、アタシ達に見に行かせてよ。」
母は尚も悩んでいるようだった。
「なんでアンタが決めるのよ!」
「
私がそう叱ると、ぐっと
「
「でもお母さん、カペナウムまでですら、歩くとしたら結構ありますよ。ガリラヤ湖の南の方にもし居たら―――。」
「アンタ、母さんの気持ちをフイにするの!?」
「少し黙りなさい、
「
「でも………。」
そういうわけで、翌日私達は急遽、旅支度をし、ガリラヤ湖へ向かうことにしたのである。
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