6.夫婦

 以前よりもシエルと話すようになったと思う。彼と一緒にお茶をすることも、あまり抵抗がなくなった。最初はなんとも思わなかったが、彼は話し上手であったし、聞き上手でもあった。


 今日も、昔の思い出から、それぞれの家族構成の話となった。


「私には上に兄が二人と、姉が一人、それから下に弟と妹が一人ずつおります」


 彼はやはり子爵家の三男にあたるらしい。上と下に挟まれて、シエルはしっかりとした子に育ったのだろう。


「イレーナ様は?」

「妹が三人と……兄が一人」

「兄?」

「ええ。私の母の子ではないけれど」

「……すみません」


 余計なことを聞いてしまったと、シエルは気落ちしたように肩を下げた。それにイレーナは少し笑う。


「気にしないで。妾の子なんて、珍しくもなんともないわ」


 意地悪な性格ならともかく、兄はいい人だった。むしろ自分の立場に遠慮して、いつも肩身が狭い思いをしているようだった。


 ――イレーナ。ごめんな。


 イレーナが実家を出る直前、言われた言葉だ。きっといろんな思いが込められていた。決して兄のせいではないのに、愛人の子であるだけに陰口を叩かれ、冷たい視線にさらされてきた兄を、イレーナは不憫に思っていた。


 自分と兄では、育て方が違っていた。


 今まで別宅で暮らしていたのに、ある日突然跡取りとして引き取られた兄は人一倍厳しく躾けされ、期待に応えることを父に命じられた。


 長女であるイレーナは、そんな兄に比べて求められる水準は低かった。負担はなく、楽ではあったが、女である自分には期待されない虚しさも味わった。


 身分や立場。性別。いろんな違いやしがらみがあって、平等に子を育てることは難しいのかもしれない。


「ご兄弟とは、仲がよろしかった?」

「仲がよい……かどうかは自分ではよくわかりませんが、兄や姉には面倒をよく見てもらって、下の子たちとは一緒に遊んだりしました」


 ――ああ。彼の家は違うのだ。


 イレーナは眩しいものを見るかのように目を細めた。


「シエルは温かい家庭を築きそう」


 ぽつりとつぶやいた言葉に、シエルは困ったように微笑んだ。きっと彼のことだからあなたも築けますよと言いたいのだろう。

 でも言えない。だってマリアンヌという愛人がいるのにどうして築けるのだろうか。


「私には、きっと無理よ」


 彼の無言の問いかけに、イレーナは答えた。愛人がいようがいまいが、イレーナには夫を愛する自信がなかった。


「イレーナ様」


 スッと背筋を伸ばして、シエルは諭すようにイレーナを見つめた。こういう時の彼は、なぜか自分よりうんと年上に見える。イレーナよりも広い世界を知っていて、常識を身につけているような。


「私の両親は、最初夫婦仲があまりよろしくなかったようです」

「たくさん子どもがいるのに?」

「子どもの数は関係ありません」


 そういうものだろうか。


 ダヴィドと初めて夫婦になった夜。彼はイレーナを抱かなかった。部屋にすら、足を踏み入れなかった。子孫を残す。そんな役割すら、彼は妻に求めなかったのだ。


「でも……仲がよくなったから、子どもができたのでしょう?」


 イレーナの反論に、シエルは微笑んだ。


「子どもの有無は関係ありません」

「でも」

「人間は愛のない行為をしようと思えばできます」


 生々しい話で、イレーナは眉をひそめた。けれどシエルは構わず続けた。


「だから子どもを作ろうと思えば、いくらでも作ることができるんです」

「何が言いたいの」

「大切なのは、お互いの気持ちです」

「気持ち?」


 はい、とシエルの声は優しかった。


「互いを気にかけ、労わり、一生を共に歩んできたいと思う気持ち。それが何より大切なんです」

「あなたのご両親はそれができたの?」

「ええ。そう語ってくれました。それから本当の意味で自分たちは夫婦になれたのだと」

「私にもそれをやれというの?」


 何も答えない代わり、彼はじっとイレーナの目を見つめ返した。


 もしかして、ダヴィドに何か言われたのだろうか。ずっとイレーナは夫を避けるように行動している。同じ屋敷にいるのに顔を合わせようとしない。夜も、体調が悪いからとメイドに追い返してもらっている。


 そんなイレーナの振る舞いを、シエルは諫めているのだろうか。ダヴィドを受け入れろと、彼を愛せと言っているのだろうか。


 ――そんなの無理に決まってる。


「……マリアンヌさまはどうするの」


 予想外の指摘に、シエルはちょっと目を瞠った。


「彼女には、もうすぐ子どもが生まれるわ。母親になるのよ? それなのに、私が伯爵と本当の夫婦になったら……あの子はどうなるの?」

「それは……」

「捨てられるのよ」


 愛されないことは、恐ろしいことだ。イレーナはそれをよく知っている。


 髪を掻き毟って、なりふり構わず縋りついて、いかないで欲しいと叫んでも、相手は見向きもしない。冷たい一瞥をくれるだけだ。残された女はどうなるだろう。生まれた子はどうなる。


 ――お前のせいよ! イレーナ!


「私はいや……あんな恐ろしい思いを彼女たちに味あわせるくらいなら、ずっと愛されなくていい。伯爵の愛なんかいらない……!」


 カタカタと震える手に気づいたシエルがさっと立ち上がった。ゆっくりと近づいてきて、そっとイレーナの肩に手を置いた。


「……すみません。差し出がましいことを申し上げました。……イレーナ様はあの方の正式な妻です。あなたが毅然とした態度を貫けば、自ら歩み寄ろうとなされば、きっと伯爵と仲のよい夫婦になれる。マリアンヌ様は己の立場をご理解なさるだろうと……あなたにはその権利があり、そうすべきだと思ったのです」


 彼は悪くない。いたって正論を述べただけだ。けれどその正しさがイレーナには受け入れることができなかった。


「おねがい。そんなこと言わないで……わたしには、できない。わたしには……」


 誰かを愛することなんかできない。愛するのが、怖い。


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