4.奇妙な申し出
あんなことがあったので、シエルはもうやってこないだろうと思っていた。けれど――
「おはようございます。イレーナ様」
優しげに目を細め、シエルはイレーナのところへ訪れた。なぜか花束を持って。イレーナの好きそうな、控えめな花を手渡され、彼女は困惑気味にシエルの顔を見つめる。
「どうして……」
なぜここへ来たのか。そうまでして、伯爵に逆らえないのか。イレーナの疑問に答えず、シエルはただ微笑を浮かべるだけだった。
「今日のご予定は日課の散歩に、仕立屋へ伺うと聞いております」
「そうだけど……」
まさか、とイレーナが口を開く前に、シエルがさらりと言ってのけた。
「私もご一緒します」
「シエル」
咎めるように言っても、彼は引かなかった。
「イレーナ様。たしかに私はダヴィド様からあなたさまの相手をするよう仰せつかりました」
イレーナの指摘を素直に認めた彼は、どこまでも正直な人だった。真っ直ぐと射貫くようにこちらを見つめる空色の瞳に、イレーナの方がたじろいでしまう。
「あなたを傷つけてしまい、本当に申し訳ありません。許して欲しいなどとは言いません。ですがせめて謝らせて下さい。そしてできればこれからも……どうか私をあなたのそばにおいて下さい」
己の罪を認め、咎を受けても構わない。いいや、どうか罰してくれとシエルの顔には書いてあった。
「……大げさね」
怒るべきだったのだろうが、イレーナの気持ちはしぼんでしまい、どうしてこの青年はここまで……という興味にも似た気持ちがわく。
「私のそばにいても、あなたが楽しいとは思えないのだけど」
イレーナはお世辞にも社交的と言えない。話しかけてもらえればそれなりに返答はするが、自分から輪を広げる努力は特にしない。だからダヴィドと初めて会った時も、たまに会う時も、貴女は面白味もない人だという嫌味をそれとなく言われ続けてきた。イレーナ自身もそう思う。だからそんな自分のそばにいさせて欲しいと願うシエルの気持ちが皆目理解できなかった。
「今まで騙してきたお詫びのようなものかしら」
罪悪感が、この青年をここまで駆り立てるのだろうか。
「正直、私にもよくわかりません」
「まぁ……」
「罪悪感も、あると思います。ですが純粋に、あなたのそばから離れたくないのです」
それはどういう気持ちだろう。両親の愛情から遠く、今まで人を好きになったことのないイレーナにはわからなかった。そもそもシエル自身にもよくわかっていない気持ちを、他人である自分が理解することは可能なのだろうか。
「あの人は……ダヴィド様はどうおっしゃっているの?」
主人の名を出され、ほんの少しシエルが怯む。
「伯爵は、今まで通りに接しろと」
「……そう」
ならば、イレーナがどうこう言ったところで変わらない気がした。結局、イレーナは自分一人で何かをする権限など何もないのだ。
「いいわ。シエル。また、よろしくね」
シエルはぱっと顔を輝かせ、だがイレーナの寂しげな表情に、申し訳なさそうに眉を下げるのだった。
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