【三節】阿那律 ─anaritsu─


 表口にほど近い一脚を空け、カウンター席にはレディバードと牡丹が順に座っている。

 仮に自分が一見客だったのなら、と判断してテーブル席に座るだろうと、リュリュはほとんど無意識のうちに考えていた。


 手近なレディバードの隣に距離を空けて座っても良いのだが、それでも末席を汚すことには抵抗がある。

 そもそも知らない客の隣席が居心地良いとは思えないし、来客がある度に一々気配を消さなければならないのも面倒だ。


 くだんの男もそう思い、そうするだろうと踏んでいた。

 だが違った。むくつけきその男は、事も無げな足取りで牡丹の隣席を選んだ。

 いくら牡丹が幼いと言えど、それを偶然に感じるほどの子どもではない。


「一応まだ、ランチも大丈夫なので」


 言いながら、リュリュはグラスに水を注ぐ。手は軽く震え、トプトプと不作法な音が立った。追い詰められているわけではないが、気を回すだけの余裕を持てなかった。


「今日はその、北部の野菜が多く入っているので、ラタトゥイユやポトフ辺りが彩り豊かでおすすめです。ご希望でしたら、ポワソンも……」


 取り繕うように早口で続けると、男はもだしたまま僅かに微笑んだ。だが、それだけだった。


 男はグラスに手をつけず、一緒に差し出したメニュー表にさえ目を向けない。

 自分の何かが気に食わなかったのだろうかと、リュリュはさらに困却した。


 聞くにはどうも気がとがめる。どうして微笑んだのか、その理由さえまるで分からない。ささやかな愛想をひとつ、後は構うな、話し掛けるなという合図なのだろうか。或いは──。


 考えれば考えるほど、疑問符は自責にも似た気まずさに呑まれていく。初めから分かっていたことだが、は裏の勝手口から牡丹だけでも逃がさなければ。

 リュリュはレディバードに目顔でそれとなく知らせながら、浅くなっていた呼吸を整えた。


「随分と面白い食べ合わせだな。しかしい香りだ」


 男が品のある口調で牡丹に語りかけた。けれども牡丹は真ん丸と目を見開き、頭上で冷水の入った桶をひっくり返されたかのように生きた空もなく首を竦めている。

 そうして牡丹が目を見開くのは、その善し悪しに関わらず思考が完全に停止をした証だ。


「あの、すいません。その子は人見知りでして」


 正視に耐えず窮余きゅうよの一策を挟んだところで、男はなるほど、と顔を伏せた。その表情がどこか薄気味悪い。


「……そう来るか。連中も考えたものだ」


「は、はい?」


「いや何、此方の話だ」


 そんなことより、と男は顔を上げる。


「時に店主、君の言葉はひどく優しいな」


「い、いえ。無視されていると勘違いさせては、お客さんにも悪いと思って……」


たがえるものか。この娘子は、人見知りが故に言葉が覚束おぼつかぬわけではあるまい」


 思わず、眉が吊り上がった。

 この男は急に何を言い出すんだと、リュリュは目を白黒させた。


 ──何か、答えなければ。


 敢えて認めるべきか、それとも違うと念を押すべきか。

 そもそも何故、男は牡丹のを知っているような口振りなのか。会ったこともなければ、知っているはずもない。もしや本当に──。


 次から次へとほとばしる思いに黙考もっこうするほど、胸の裡がすうっと冷えていく。

 有り得ない。それは有り得ていい話ではない。だが、


「えっと、それは……」


 先の言葉が続かない。リュリュの不安な声は、牡丹の不安をさらに増長させている。自覚はある。言わなければならないことも分かっている。

 けれども情けなさは洋々不安の燃料となるばかりで、頭の中では落ち着きを持てない焦りが奔命ほんめいに疲れ始めていた。

 リュリュの技量が男の存在を持て余しているのは最早、火を見るよりも明らかだった。


「何も取って食いはせん。なじるつもりもない」


 見透かした心意をたしなめるように、男が言った。


「すいません。その、ちょっと驚いてしまって。でも本当に、その子は人見知りなんです」


 リュリュは目を伏せ、嘘に念を押した。 


「では何をそう焦る?」


「そう、見えますかね。はは……」


 焦りの根源から何故かと問われたところで、誰が莫迦真面目に答えようか。何もそこまで見失ってはいない。

 だが今にも昏倒こんとうしそうなほどに蒼白の牡丹は、抱えきれない恐怖から逃げるように──見えない安心を求めすがるように──マグカップを握りしめたままだった。

 それが見るに忍びなく、ひどく痛々しい。


「……ごめんね」


 リュリュは絞り出すように非力さをこぼした。牡丹はすぐさま申し訳なさそうにかぶりを振ったが、それを等閑とうかんに付してはおけない。

 そんな心算などまるで意に介さない素振りの男は、再び妖しい顔を牡丹に向ける。


「君は、不自由を感じているのか?」


 牡丹は顔を伏せたまま、何も答えなかった。


「得手不得手とは誰もが備え持つものだ。それは天子てんしから民草たみくさに至るまで例外はない。たとえば俺の双眸そうぼうは一点の光さえ捉えられぬ盲目である。見る、という行いにおいては明確な不得手と言えよう」



 時が、止まった。



 瞬きほどの一瞬、何を言っているのかが本当に理解出来なかった。

 それまでの怖気おぞけ之繞しんにゅうを掛け、ぞくりと全身が総毛立った。静観していたレディバードでさえ、おそれを抱きながら男の顔を覗き込んでいた。

 だがが見えていないという男は、全く動じる気配を見せない。


「う……」


 再び顔を向けられ、リュリュは反射的に顎を引いた。

 ふわり、と馥郁ふくいくとした白檀びゃくだんの香りが鼻を抜ける。男がめた衣香なのだろうか。どこか甘ったるく、蠱惑的こわくてきで、ともすれば嫌味ったらしい香りだった。


 ──怯んでばかりではだめだ。


 深呼吸をひとつ、八の字に寄ったしわを緩めた。

 その綺麗な翡翠色ひすいいろをした虹彩は、生命が芽吹く春のように美しく、強かに見えた。

 しかしどれだけ真っ直ぐに見つめても、視線が交わることはない。瞳孔は明らかに焦点が飛んでいる。


 大きな体にそぐわない杖も、メニュー表に反応しなかった理由も、今になって見当がついた。だからといって極印ごくいんを打つような言い方で、牡丹の傷に塩を塗っていいわけではない。

 だがどうしてか、リュリュは男を責め立てる気持ちにもなれなかった。

 だらり、と嫌な汗が鼻筋を下る。胸の裡をぞろぞろと這う何かに、強い吐き気が込み上がった。


益体やくたいもないことで怯えるな」


 痛みを感じるほどの沈黙を破り、男は呟くように言った。穏やかながらどこか芯の感じられる口調を受け、思わず反射でぱりっ、と背筋が伸びる。

 自分に向けられたと思い込んだ牡丹までもが、重ねて息を呑んだ。


 ややあって、男は鼻で小さくため息を吐いた。怯えるなと言われて度を失っているのだから、無理もない。

 そんな空気を仕切り直すようにして、男は指先でゆっくりとテーブルを叩く。


「目が見えなくとも、この音は聞こえる。触れればけやきの板だと分かる。耳を澄ませば乱れる息遣いが届き、鼻を利かせれば隣人の奇天烈きてれつな食べ合わせが薫る」


 言って、その表情が僅かに和らぐ。


事程左様ことほどさように目が見えないというばかりで、俺の感性は至るに自由だ。不得手と不自由は混濁させるものではない」


 その言葉にリュリュはハッとしたものの、牡丹の方は着物の衽を握り締め、相変わらず顔は伏せたままだった。

 察するに、言葉の半分も意味を理解出来ていないのだろう。く言うリュリュ自身も、自分の考えが詰みであることを理解しつつあった。


 頭では既に分かっているのだ。この危うさを増すばかりの現状を打破するには、男を追い返すしかないのだと。

 何を試してみたところで、元凶が目の前にある以上、牡丹は寿命を削り続けるはずだ。その痛みは思うだけでも胸に余る。


 分かっている。それもこれも分かってはいるのだ。

 しかし料理人としての矜持きょうじが、未だ納得に至らない。来客を追い返すという判断に、果たして正しさなど得られるのだろうか。


 そんなことが、気掛かりで仕方なかった。


もうひらくには至らぬか」


「感心しないな。人を試すような物言いだ」


 眼前のテーブルを睨みえ、レディバードが見識張って口を挟んだ。


「試す、か。どちらかと言えばはんを垂れてやったのだがな」


「どちらでも同じだと思うけど。要は偏頗へんぱな説法だろう」


 異なことを言うものだと、男は笑う。


「何も掻き口説いていたつもりはないさ」


「それは聞き手が判断することじゃあないのか? 頼まれてもいないのにおたくの示そうとしたものと、この子の歩む道が同じとは限らないよ」


しかり。であるからこそ、俺は正道ではなく邪道が何かを示したつもりだ」


 男の顔にぐっと鋭さが増し、口調が一層冷ややかになる。


「正しさとはこれ物事の側面であり、至るに多様性である。時に取り留めのない塵芥ちりあくたであり、求むれば虚空こくうを掴むが如し。個に当てはめるなど正に愚の骨頂であろう。しかし過ちは違う。人が道を違える方法などそうありはすまい。なればこそ、その邪道をひとつばかり示したまでのことだ」


「それが余計な説法だと言っているんだ」


 言うが早いか、レディバードは席を立った。男の方へじりじりと歩み寄りながら、牡丹の肩にそっと手を添え、安心を宿す。

 リュリュはそれを横目に感じていたが、牡丹への申し訳なさから直視出来ずにいた。


「この子はさ、友だちなんだよ。おたくもそうだって言うのなら、別に止めはしないけど」


「ほう、この街には友でなければ話しかけてはならぬ、という法度はっとでもあるのか?」


「いいや。でも僕は友だちだから、降りかかる火の粉くらいは払ってやらないといけないだろう?」


 憤懣遣ふんまんやるかたなしといった敵意を言語化しつつ、レディバードは男と牡丹の間に体をねじ込んでいく。そして澄んだ瞳を鋭く、真っ直ぐと男の横顔に突き刺した。


「言っておくけど、目が見えないからって同情なんか寄せないぞ」


 男はそれで構わんさと、心得顔で笑った。

 強がりでも皮肉でもなく、本心からそう思っているように─それが当然だと思っているかのように─リュリュには見えた。


「しかしこの身が火の粉になるというのは、些かならずとも心外だな。俺は其処そこな娘子の何を燃やすと言うのだ?」


「そんなことは僕にだって分からないさ」


 ただ、と付け加え、レディバードは静かに語気を強める。


「燃やされてからではね、遅いんだ」


 ──このままでは不味い。


 レディバードが言い終えるより早く、リュリュは身を乗り出してその肩に手を置いた。


「ど、どうしたんです。らしくないですよ」


 怖気を震わせながら、リュリュは出来るだけ柔らかく、ともすればおどけたような口調で言った。言ったことで、最悪の事態だけは何としてでも避けたいという思いが、加速度的に膨らんでいく。


「止める相手が違うんじゃあないかい」


 レディバードは男から一切目を逸らさず、尖った言葉を吐いた。自分への苛立ちというよりは、男に向けた怒りと殺気が消せないのだろうと、リュリュは理解した。


 だからこそ、危うい。


「そも、君たちは大きな勘違いをしている」


 足を組みながら、男はまたも窘めるように言う。


「思い遣ることと思い込むこととは似て非なる。違えて育めばその過程は元より、生じる結果さえまるで変わるものだ。これもまた、ひとつの過ちと言えよう」


「言っていることの意味がよく分からないけど、僕たちは赤の他人に指摘されるような過ちなんて、何ひとつ犯しているつもりはないよ」


 レディバードはさらに強めて即答した。

 呆れながらのため息は大袈裟で、牡丹に爪牙そうがが掛かるのを避けたい表れなのだとしても、やはりらしくないごうの煮やし方に見えた。


「だ、そうだが店主、君もこれに相違ないか?」


「それは、その……」


 返す刀で詰められ、リュリュは分かりやすく狼狽し、目を泳がせた。

 男の言わんとしているところは、それとなくだが分かる。牡丹に対して過保護になっているのではないかと、忠告したいのだろう。ともすれば肯綮こうけいあたっていると言えなくもない、のかもしれない。


 そして男の知った風な口振りに、レディバードが苛立つ気持ちも理解出来る。

 何を知っているわけでもないことに口を挟まれれば良い気はしないし、本音を言えば、自分だってレディーバードと同じ気持ちだ。


 未だレディバードの影に隠れて肝を消す牡丹を見れば、胸の奥の奥が焼け付くように熱くなる。湧き上がる気持ちは、確かにあるのだ。

 しかし畏れに尻込みした言葉はどれも喉元で窒息し、気持ちの丈ひとつ思い通りに言ってやることが出来ない。

 リュリュは自分の情けなさに震え、奥歯をカチカチと鳴らすばかりだった。


「重症だ。これでは街の有様も道理と言えよう」


 いくらか待っても答えが出てこないことに痺れを切らしたのか、男が吐き捨てるように言った。足りないことをあざけるというよりは、愚かさを軽蔑するような口調だった。

 刹那、レディバードの表情がみるみると逆立っていく。


「……調子に乗るなよ。一体何様のつもりだ」


 レディバードは騎虎きこの勢いで男の肩口に掴みかかった。同時に牡丹が背後からレディバードの胴を抱き寄せ、リュリュは掴みかかった腕に手をかける。


「だめですレディ、落ち着いて!」


「おいッ! 聞いているのかッ!」


 リュリュの制止は、まるで届いていなかった。自分の声が店中に響き渡っていることも、一生懸命に抱きつく牡丹の体が震えていることにも全く気が回っていないのだろう。


 レディバードは羽織っているショートベストのファーが一本一本全て逆立つような深甚しんじんの怒りを、眼前の男へと食い込ませている。そこには普段の冷静さも、大人びた優しさもない。

 こんなにもレディバードの人柄に危険を感じたのは、初めてのことだった。


「いきなりやって来て好き勝手に言い散らして、何なんだあんたッ! 気に入らないなら店から出ていけよッ!」


 グラスの水が震えるほどに激語し、レディバードは男の肩口を掴んだ手をさらに捻り上げた。

 こうなってしまえばもう、対等な会話などは望めない。その先にあるのは感情の濁流だけだ。

 しかしそれほどの圭角けいかくを以てしても、男の顔色は何ひとつ変わる素振りを見せない。


「何をそういぶかるのだ。俺には俺の定見があってこの店へ来ただけのこと。状況が気に染まらぬのはむしろ、君の方だろう」


「分かった風なことを言うなよ。気が立つように振る舞っているのはあんたの方じゃないか」


「なるほど、君にはそう見えているわけか」


「見えているも何も、答えもないような問答で繰り返し煽られて、それで嫌な気を起こさない人間がいるとでも思っているのか?」


 男は口の端を歪ませ、不遜に鼻で笑う。


「君の感じた義憤を否定はしまいが、そう蜂吹くな。そも。この場に俺がいる、という時点でな」


「……何を言ってるんだ。どういう意味だよ」


 はっきりしない男の言葉に、レディバードは決まりの悪い表情を寄せた。

 その張り詰めていた空気がほんの一瞬緩んだ隙を、リュリュの直感は奇貨居きかおくべしと捉える。


「レディ、お願いです。気持ちはわかりますけど、ひとまず落ち着きましょう」


 掴まえていた腕を優しく、なるだけ優しく引き寄せる。レディバードは肩で荒い呼吸を繰り返しながら、男の服にじ込ませていた指をぎこちなくほどいた。


「その、悪かったよ。店の中で……」


 バツが悪そうに言いながらぼとっ、とカウンターの上に落ちたその手は、小刻みに震えていた。

 めず臆せずに見えていたレディバードもまた、自分と同じく内心では怖気を震っていたのだと、リュリュは匹夫ひっぷゆうさえ発揮出来ない己の負い目の中に、やっとさとった。


「……いえ、良いんです」


 後ろ暗い余韻を噛み締めながら、微笑みの中に半端な吐息を漏らした。それに騙されて安心出来たのか、牡丹も強く抱き寄せていた腕を静かに解いた。


 レディバードは牡丹の体に手を回し、二人でゆっくりと男から距離をとる。これで、最も危険な山場は越えられただろう──としたいところだが、未だ事態は危殆きたいに瀕したままだ。


「卵を温めなければ子は殻を破らぬ。しかし温める者は必ずしも親でなくともよい。肝心なのは諦めず、そして怠らぬことだ」


 相変わらず要領を得ず、それでいて尚も悠揚迫ゆうようせまらざる口調だった。

 半畳を打つ言葉はどこか意味深げで腹立たしい。とは言え聞き返すことのわずらわしさは、その湧き上がる苛立ちを遥か上回る。まさしく頭が重くなるような煙たさだ。


「そういうわけの分からない文言はもういい。僕が聞いているのは、おたくが此処にいるからどうなんだってことさ」


 レディバードは片手で頭を抱えながら、最早何度目か分からないため息をこぼした。


しかり。論より証拠とは古式床こしきゆかしい言種であるな。では差し当って君たちの思い込みを一つ、この場で解いてやろう」


 言って、男はコートの内から見たこともない物を取り出した。ちょうどシュナップスの酒瓶ほどの大きさをしたそれは、とても奇妙な形をしている。

 木靴のつま先から角が生えたような木工品と、僅かにしなった細長い木の棒。それぞれにいくつも結わえつられた糸は美しさを、てかてかと鈍い艶を見せる木目には、質の良さそうな年季と気品が染み込んでいる。


 どう贔屓ひいき目に見ても、男の風体には不釣り合いな物に見えた。


「あ、あの、それは?」


 収まりの悪さが呼ぶ危険な予感を堪えきれず、リュリュは恐る恐る訊ねた。


「これはクロッグ・フィドルという、西国せいごくウエストリコ産の楽器だ」


 それをたとえるなら、蛇が林檎を運んでくるような意外性と危険性。とりわけ想像を超えすぎた現実は驚けばいいのか怖がればいいのか、或いは警戒した方がいいのかさえ分からなくなる。


 ただただ、気味が悪い。


 リュリュの頭の中では男の存在と楽器が繋がらず、この状況と楽器はもっと繋がらない。頭の中を埋め尽くす何故という言葉が、益々ますます焦燥感を駆り立てていった。


「凶器を握ったわけでもない。そう恐るるな」


 焦る気配を覚ったのか、男はねっとりとした口調で言うと、左手のクロッグ・フィドルを小脇に構え、右手の棒をそこに添えた。


「まさかとは思うけど、演奏する気なのか?」


「それにも許しが必要か?」


 挑発的な返しに乗ることなく、レディバードは大きく息を呑んだ。リュリュと牡丹もまた、眉を顰めながらそれを注視する。


 盲目の男は穏やかに微笑み、頷いた。


い。では最後の晩餐、その第一幕だ──」


 その瞬間、リュリュは背筋が凍りつくような錯覚を覚え、身震いした。

 張りつく空気の中、続けて楽器を持つ男の両手が薄ぼんやりと蒼白く発光し始める。


 それはまるで海面を揺蕩たゆたう月光のように、形を捉えられない妖しい光。普通に考えて、有り得て良いものではない。


 リュリュはレディバードとひと息の内に視線を交わし、男のそれが〝異能〟であるという認識を共有した。

 しかし問題はむしろ、その後だった。


「──なんて綺麗な曲なのかしら」


 耳に届いてきたのは、聞いたことのない声だった。

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