第68話 我々は常に「時の試練」に曝されている

「時の試練」という言葉がある。

主に、本や芸術作品に対して用いられ、真に価値のあるものは、この「時の試練」に耐え抜き、現代に生きる私たちの前に、その姿を現すのだ。

そしてこの「時の試練」は私たち人間に対しても課されている。


「適者生存」という言葉がある。

この言葉はしばしば誤用され、「環境の変化に適応したものが生き残る」というような意味で用いられることがあるが、実際のところは、「たまたま環境に適応した性質を持ったものが生き残る」という意味でダーウィンはこの言葉を用いたのだ。


私たちが持って生まれた性質のうち、何が生存に繋がるのかは、実際のところ分からないのだ。

未来がどうなるかなど、誰にも分からない。

予想はできるが、人間の予想が当てにならないことは、毎日の天気予報、経済学者の経済予測などを見ればたちどころに分かるだろう。

その道のプロでさえ、こうなのだ。

ネット上に蔓延る正体もわからない人間の戯言など、論ずるに値しない。

悲観的な考え方をする者は、現代の日本に住む私たちのような、安全な社会では、ネガティブな作用をもたらす。

こうした人々は様々な気分障害や神経症に苦しめられる可能性が高い。

一方で、楽観的な考え方をする者は、失敗を恐れず、様々な事にチャレンジすることができる。

国家により安全が保障され、セーフティーネットが拡充された現代では、こうした人々には有利なのだ。


だが、もし、危険が多い時代ならばどうだろう。

人々はわずかな食糧を巡って殺し合い、天災がたびたび起こり、私たちは常に死の危険と隣り合わせである。

こんな時代では、悲観的な考え方をする人間の方が生存する確率が高い。

こうした人々はあらゆる危機的状況を予測し、危険に備えることができる。

一方で楽観的な考え方をする者は、危機を予測せず、安易な決断で死の落とし穴へと転がり込むのだ。


いったい、私たちのどんな性質が、生き延びるのに最善なのだろう?

誰にも分からない。

昨日の正解は明日の失敗なのだ。

選ぶのは私たちではない、時代だ。


私たちは、今日も時代の風雪を全身に浴びて生き続ける。

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