第12話
東の空に満月が昇っている。
今日の月は異様に大きい。
月光が窓から差して、道場の中を映し出す。
逸水道場は試衛館より少し狭いくらいで、荒れてはいないが少し埃っぽい。床の間には掛け軸が掛けられ、刀掛けに大小が置かれている。
床には人型の黒いシミが、いくつも広がっているのが見えた。
闇に溶け込む黒い着物と袴を着た沙羅は、気にする様子もなくその上を通り、総司と土方の方へと向かってくる。腰には一振りの刀を帯びていた。
鍔に手貫緒を通した刀。
あの夜、天狗が持っていた刀だ。
「沙羅さん……」
総司は深呼吸を一度して、沙羅の前に進み出た。
「今日、奉行所の同心があなたを訪ねてきました。逸水道場襲撃の件で進展があったと」
「奉行所が?」
沙羅は穏やかな声で言った。
「……もしかしてバレてしまいましたか。私が――父たちを殺したこと」
恐れていた告白に、心音が一際大きく鳴った。総司は動揺を握りつぶすように拳を固めた。
「本当……なんですか」
「……ええ」
「あなたが……天狗の辻斬りだということも?」
「……沖田さん、いつか私に言いましたよね。牛若丸のようだと――彼は」
沙羅はそう言って静かに刀を抜き放ち、手貫緒を手に絡めた。
「多くの物語で弁慶の刀狩りを止める英雄ですが、能楽の『橋弁慶』では、人を斬るのは牛若丸の方なんですよ」
総司も腰の刀の鯉口を切る。
正面にいる沙羅を見据えたまま、後ろにいる土方に尋ねた。
「土方さんは知ってて俺に、辻斬り狩りの話を持ちかけたんですね」
「……そいつがどうしても総司と戦りたいっていうからよ」
沙羅がため息をついた。
「女の気持ちを勝手に明かすなんて、見た目に似合わず無粋ですのね、土方様は。若先生にも告げ口したんでしょう?」
「辻斬りなんかより、竹馬の友の方が百万倍大切だからな。一度くらい抱かせてくれてりゃあ、話は違ったかも――」
言い終わる前に、大きく床を叩く音がした。
「土方さん!」
土方に迫った沙羅の白刃は、紙一重のところで首筋を掠める。
体勢を崩して膝をつきながらも脇差を抜く土方を、沙羅が冷徹な瞳で見下ろした。
「なるほど、速ぇな」
「馬鹿なこと言わないでください。私、あなたみたいな男がこの世で一番嫌いなんです」
そう言われて、土方が苦く笑った。
沙羅はいつもどこか悲しげだ。
出会った時も、入門を断られた時も、抜身の刀を手にした今も。
「……沙羅さん、なぜ……」
なにか事情があるのならと、この期に及んでまだ思う。
沙羅は、人型のシミがあるところをゆっくりと歩きながら、ひどく清々しそうに、
「忘れられないんです。初めて殺した時の気分を」
と言った。
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