第11話

試衛館がある牛込柳町から神田の逸水道場まで、徒歩で半刻(一時間)ほどだった。

武家屋敷が多い牛込とは打って変わり、町人街の神田は夕間暮れにも人々が行き交い、活気に溢れている。

目的地に近づくにつれ、総司の足は重くなった。

沙羅は、殺人の容疑者として奉行所に目をつけられた。まして親を殺したともなれば、獄門級の大罪だ。このまま彼女を試衛館に連れ帰り、小田川に引き渡すまで素知らぬふりをしていられる自信は、総司にはない。

いっそ入れ違いで沙羅が先に帰っていればと、気休めすら期待してしまう。

「俺は、試衛館をあの子が帰れる場所にしたい」

ここに来る前、近藤が言った。

彼は優しい人だから、きっと本気なのだろう。ならば総司もそれに従いたい。まだすべて推測でしかないのだから、沙羅に会えば誤解は解けるはずだ。

怒涛の思いを巡らせてたどり着いた逸水道場の前に、薬売りが一人立っていた。その背負った葛籠に描かれている、丸に傘のようなくの字をかぶせた印には、見覚えがあった。

「土方さん……? なぜここに」

総司の声に、薬売りは笠の端を持ち上げて、

「おう総司、待ってたぜ」

と言った。

葛籠の印は、土方の実家で製造している家伝薬『石田散薬』のものである。彼は若い頃からこの薬を売り歩きながら、剣を修行して回っているのだ。

「俺がここに来ることを知ってたんですか?」

「勇さんに言われて来たんだろう?」

「ええまぁ……」

「よし、行くぞ」

土方は言うが早いが、目の前の簡素な門扉を開けて足を踏み入れた。

総司も後を追うが、不測の事態の連続で状況が全く飲み込めない。

一間先にはもう道場の入り口があり、土方はすでにその戸に手をかけている。日が沈んでいるので、見えるのは影ばかりだ。

「……土方さん!」

総司は思わず土方の腕を掴んだ。

「俺は確かに若先生に言われて、沙羅さんを迎えに来ました。俺も彼女に聞きたいことがあるけど――まず状況の説明をお願いします」

「あ? おまえ何も聞いてないのか?」

前触れなく訪れた小田川の話を、あの場で聞いていたのは総司と近藤だけだった。ならば恐らく、近藤と土方の間で共有されていた、別の話があるのだろう。それは間違いなく沙羅にまつわることだ。

嫌な予感がする。

「だったらもう、本人に聞いたらいい」

土方はそう言って式台に上がり、目の前に広がる暗がりの道場に向かって、

「お望み通り連れてきてやったぜ。いるんだろう?」

大きく声を張り上げると、奥の戸からゆらりと黒い影が現れた。


総司は、いつかその影に出会っている。


「沙羅――いや、天狗サンよ」


そう呼ばれて、沙羅が笑った、ような気がした。

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