第9話
総司は口を噤んだ。
殊にこの時代、女に望まれるのは結婚して子供を産み育てることだ。剣で身を立てるなんて男性にだって難しいことを、女性ができる社会基盤ではない。
「……じゃあ、うちに入門する話は……」
ようやくそれだけ言えた。
沙羅は総司から視線をそらして俯く。
「……ごめんなさい……」
クツクツと米を炊く音だけが響いている。沙羅が続けた。
「沖田さんや若先生にあんなに熱心に誘っていただいたことが、まるで初めて陽の光を浴びたみたいに嬉しくて……でも私はそこへは行けません」
沙羅はこのまま諦めてしまうのだろうか。
それでも、こちらにきて欲しいと願ってしまうのは残酷だろうか。
総司は静かに、拳を握りしめた。
翌朝、沙羅はいなくなっていた。
井戸端でそれを聞いた総司が狼狽するのを、歯磨き中の永倉と原田がニヤニヤしながら見ていた。原田は総司の肩を小突きながら、
「毎月逸水道場の手入れに帰ってるじゃん。今日はちょっと遅くなるかもって言ってたけど」
「あ……そうでしたっけ……」
洗ったばかりの顔がもう熱い。
永倉は勢いよくうがいをしてから、
「若いねぇ」
と笑った。江戸っ子らしい湿り気のない笑顔が眩しく映る。
「総司が沙羅さんと夫婦になって、試衛館を継いで……それも悪くないな」
「悔しいけどそれもアリだな、おまえらお似合いだよ」
彼らはいつものように、やいやいと総司を冷やかす。
「……俺はフラれましたよ」
「マジ!?」
総司の言葉に二人は顔を見合わせた。
そして再びこちらを見て、無言で総司の頭をワシワシと撫で回すのだった。
沙羅がいない以外は、いつも通りの日だ。
総司はお馴染みの厳しい指導で門人たちを辟易させ、昼過ぎには疲労困憊で倒れ伏す者が続出した。
稽古が終わり、門人があらかた帰宅した夕七つ(午後四時)頃、試衛館に訪問者が現れた。
近藤が玄関口で応対していたが、総司は客人の声に聞き覚えがある。覗き込むと、近藤と着流しの上に黒い紋付き羽織を着た男が、式台に腰を下ろしていた。総司が声を上げる前に、声の主と目が合った。
「おや、あんたァ沖田さんだね? そういや、こちらにお住まいでしたな」
初めて『天狗』に会った夜、総司を取り調べた町同心・小田川だった。
近藤と並ぶと、快活な雰囲気がなんとなく似ている。三〇半ばくらいに見えるから近藤より年上かも知れない。
総司は意外な人物の来訪に少し驚きながら、
「ご無沙汰しております、小田川さん」
と言った。近藤が、
「おお、沖田のお知り合いでしたか。今お茶でも……」
と立ち上がろうとするのを、小田川は慌てて止めた。
「いいや先生、お気遣いなく。ちょいと人を探しているんです。知った顔がいたのは偶然でさァ」
江戸の警察業務を担う町同心の探し人というのは、少々不穏な印象がある。総司を訪ねてきたのではないのなら、天狗絡みのことではなさそうだ。
総司は二人の間に膝を置いて尋ねた。
「どなたをお探しでしょう」
「逸水沙羅という娘です。身寄りをなくしてこちらに引き取られたと伺いました。いらっしゃいますかな?」
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