第8話

店員が茶飯膳を持ってきて去っていった。

一膳飯屋の片隅で、総司は土方から「素振りよりも楽しいこと」の誘いを受けている。

「辻斬り狩り……ですか」

「おまえは一度会ったことがあるだろ? あいつを俺たちで仕留める。なんでも天狗の仕業らしいじゃねぇか。妖怪相手の喧嘩も面白そうだ」

「……斬るってことですか」

そこで土方は総司の肩を離して両手を広げた。

「そう簡単にゃやられてくれねぇだろうよ、だから喧嘩だ。ただやるからには勝つ」

この多摩のバラガキ、ものすごく生き生きとしている。生来の喧嘩好きなのだ。

「怖いものを減らしたいなら、場数を踏むのが一番だ」

「場数……」

総司は長年剣を学んできたが、人間を殺めたことはない。

人の死が現代より身近だったこの時代、さらには多くの死者を出した大地震や疫病の流行の中で少年期を過ごしてきてなお、己の腕の中で人が死ぬのを肌身に感じたのはあの夜が初めてだった。

そして「天狗」の仕業と思われる凶行は、未だ月に一、二件は起き続けている。

「――やります」

あの時逃していなければ。もっと早くに駆けつけていれば。被害者は増えなかったかも知れない。

それともう一つ。

剣の境界の向こうにいたあの姿を、もう一度見たいという淡い期待があった。


茶飯膳を食べ終わり、本当に花街に行くという土方の誘いを断った後、一人になった総司はぶらりと町を歩くことにした。

考えることが多い。

目下の問題は、試衛館に帰って沙羅と顔を合わせるのが気まずいということである。

振り返ってみれば、総司の独り相撲なのだ。

他人に対するひりついた気持ちは、無根拠な期待の裏返しであることが往々にしてある。話してみればなんてことなかったりするものだ。

沙羅には他意などなかったのかも知れない。そう思い直したら、自分の言動がひどく幼稚なものであったと反省できた。

途中の店で羊羹を買い、これを持って沙羅に謝ることにした。

試衛館に戻ると、沙羅が竈の火の様子を見ている。

「あの、沙羅さん」

呼びかけると、沙羅はこちらを一瞥して、特に感情のない声で、

「おかえりなさいませ」

と言ったきり、再び火の方に視線を落とした。

総司は一瞬怯んだが、どうにか気を奮い立たせて、

「羊羹を買ってきたんです。沙羅さん甘いものがお好きだったから」

「吉原のお土産ですか」

「えっ、どうしてそれを」

そう返して、あわてて口を押さえた。まるで本当に吉原に行ってきたような口ぶりになってしまった。しかしもう遅い。

「若先生のお声が庭まで聞こえてましたから」

土方に連れ去られて近藤に小遣いを渡された時だろう。近藤の声は平素でも大きくよく通るのだ。総司は慌てた。

「いえ、これは普通に店で買ってきたもので、吉原には行ってなくて……ほ、本当です」

やましいことなどないのに、なぜかしどろもどろになってしまう。

「昼間のことを謝りたいんです。あなたには才能があるのにもったいないと……」

「……おかしな方ですね、沖田さんは」

沙羅はそう言うと、困ったような顔で少し笑った。

「勝ったのに、相手が負けたことで怒るなんて」

「それは……」

苛立ちの原因は、あの夜土方といるところを目撃したことにもあるのだが、そこまで言及するのは止めた。

沙羅が続けた。

「あの時は、握力が限界だったんです。そう言ったことも含めて実力のうちでしょう?」

総司は、木刀の向こうにいた沙羅の姿を思い出していた。

昼の二の舞にならぬよう、落ち着いて言葉を吐き出す。

「沙羅さんは腕力がない分を敏捷さで補っていたし、気迫もそこらの男より断然感じました。俺と同じように、きっと剣が好きで鍛錬を積んできた。違いますか?」

「……初めはそうだったかもしれません。だけど」

沙羅は燃えきらなかった薪を隣の竈に移して、炊飯中の火をざらりとかき混ぜながら、

「女が剣を極めたところで、先なんてありませんから」

そう言って、また悲しそうに笑った。

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