第4話

一晩経っても、総司の気は晴れなかった。

あの直後、騒ぎを聞いて駆けつけた近所の寺男によって自身番に通報された。遺体の引き渡しや取り調べがあったものの、容疑はすぐに晴れて釈放された。

総司を取り調べた町同心は、昨今出没している「天狗」の辻斬りと同一犯だろうと言っていた。目撃例が少ない上に、被害者が全員二本差しだったという以外に共通点はなく、捜査が難航しているらしい。

総司は、天狗の風体を覚えている限り伝えた。

中背で細身の姿に黒い着物と袴、手甲、宗十郎頭巾。それと、

「手貫緒を手に巻いてました」

手貫緒とは、刀が手から離れないよう鍔や柄に結ぶ紐のことだ。

同心はふむ、と考え込んだ。

「手貫緒たぁ今時分には珍しいな。奴さん、随分と殺る気みてぇだ」

伝法な口調の同心は、総司の情報にひどく感謝していた。

試衛館に帰り着いたときには、介抱中についた血でべったりと黒くなった着物が不快で仕方なかった。

朝餉の後に、師範である近藤とも話をした。

近藤の部屋には所狭しと書物が積み上げられ、文机の上には筆の練習中と思しき紙が置いてある。

「少し落ち着くといい」

そう言うと、通りかかった沙羅を呼び寄せて、茶とまんじゅうを持ってくるよう伝えた。

「……俺は、あの場で何もできませんでした」

沙羅が台所に去ってから、総司は絞り出すように言った。

近藤は柔らかい眼差しで、

「お前は逃げずに立ち向かったんだろう?」

「でも……辻斬りは引き止められず、被害者も助けられませんでした。俺がいてもいなくても事態は変わらなかった……それに」

「それに?」

「柄に手をかけながら、あの光景をほんの一瞬だけ、美しいと――」

月光が浮かびだした辻斬りの輪郭と、抜き身の刃の青白い光。それらはひどく嫋やかに記憶されていて、そのことが恐ろしくなるのだ。

近藤は目を閉じ、また開いてまっすぐに総司を見た。剛い眼だ。

「取り憑かれるなよ、総司」

総司も近藤を見返した。

「美しいものには近づきたくなるが、越えてはならない境界がある。剣の強さとは、境界の手前でできる選択肢を増やすことだ」

「……はい」

「その恐れを忘れるな。忘れれば――ただ奪うだけの化け物になる」

「……はい……!」

総司は膝の上の拳を握りしめる。そこに沙羅が戻ってきた。

「失礼します、お茶をお持ちしました」

廊下で手をつく沙羅に、近藤はいつもの笑窪を作って、

「ありがとう。戸棚にあったまんじゅうは、君も食べていいからね」

と言った。沙羅の顔がぱっと明るくなった。

「いいのですか……?」

「ああ」

「ありがとうございます」

「沙羅さんは甘いものがお好きなんですか?」

総司が何気なくそう尋ねると、沙羅は赤面してうろたえた。

その様子が、ひどく愛らしいと思った。

近藤が二人をニコニコしながら眺めていることに気付いて、総司はとっさに、

「あの、若先生。沙羅さんと道場で稽古できませんか?」

と言った。

「も、もちろん沙羅さんが参加したくないのであれば無理にとは言いませんが……せっかくならと思いまして」

近藤はふむ、と沙羅を見遣る。

「俺は構わないが、沙羅さんは?」

「ぜひお願いしたいです」

沙羅はそう言ってニコリと笑った。

空気の変更に成功して、総司はホッと胸をなでおろした。


数日後。

総司が沙羅に稽古をつけていると聞きつけて、原田と永倉は好奇心に駆られながら道場に向かった。

総司の稽古は荒いと評判で、試衛館に通う門人たちは毎度戦々恐々と

している。

天賦の才を持ち、腕前は師範の近藤を超えるとまで言われる総司には、できない人間がなぜできないのか、どうしたらできるようになるのかが理解できず、指導が乱暴になるらしい。

だが元々が明るく話好きの若者なので、稽古以外の場ではよく慕われているのだった。

「沙羅さんのこと泣かせてなきゃいいけど」

と言いながら永倉が道場の戸を開けると、ひたすら打ち合う総司と沙羅の姿があった。

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