第2話

総司たちは簡単な自己紹介を終え、三〇畳ほどある道場の一角に腰をおろした。

原田が聞いた。

「その、逸水道場ってのは……?」

沙羅は表情を陰らせて、静かに語り始めた。

「私の父、逸水玲馬は神道無念流の道場師範をしておりました」

沙羅は神田にある小さな剣術道場の一人娘だった。母親は彼女が幼い頃に亡くなったらしい。

「永倉様も同流のご出身とのことなのでご存知かもしれませんが、うちは素行の良くない門人も多く、外から反感を買うことが度々あったようです」

永倉は否定しなかった。彼が逸水の名前を知っていたのはそのせいだったからだ。

「お恥ずかしい話ですが……深夜に十人ほどで攻め込まれ、道場には父と私と門人が数人しかおらず不意を突かれる形となりました。私は相手方に気取られぬうちに抜け出して番屋に走りましたが、戻ったときにはもう……」

沙羅がそうして話し終えたとき、場の空気は澱のように沈みきっていた。

沙羅の隣りに座っていた近藤はいかつい顔でぱっと笑った。

「玲馬殿は養父上と若い頃からの友人だったんだ。他に身寄りもないそうなので、うちで住み込みで働いてもらうことにした」

重い空気が少し和らいで、総司は軽く息を吐く。

それまで伏し目がちだった沙羅は、背筋を伸ばし真っ直ぐに総司たちを見据えながら、

「未熟者ではございますがこのご恩に報いるため、精一杯働かせていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます」

そう言ってゆっくりと頭を下げた。

続けて近藤が、

「総司、年はお前が一番近いからな。ここの先輩として相談に乗ってやってくれ」

話の流れから完全に不意打ちを食らった総司の心臓が、とびきり跳ねた。

「はっ、はい!」

原田と永倉が抗議する。

「ズリィよ総司だけ〜」

「俺も沙羅さんと仲良くなりたい」

「ここのことは総司が一番知ってるからな」

と近藤の笑顔はにべもない。

土方は終始何も言わず仏頂面のまま、廊下へ出ていく総司と沙羅の後ろ姿を見送っていた。


その後、総司は沙羅を連れて敷地内を案内した。

表通りに面して道場、その奥の母屋が近藤や総司たちの居住場所となっている。今日からは沙羅の部屋もあるようだ。

広くない庭では先程土方と干した洗濯物がはためいていた。

「……沖田様は」

そう呼ぶ沙羅に、総司が眉尻を下げながら、

「総司でいいですよ、様付けなんてこそばゆい」

と言うと、沙羅は頬を赤らめて戸惑った。総司の心臓がまた強く跳ねた。

「そ、総司……さん」

「やっぱり沖田で! 沖田さんで結構です」

「はい……」

一瞬、沈黙が流れる。

「あの、沖田さんはこの道場に長くいらっしゃるのですか?」

総司は何気ない話の続きに安堵した。

「ええ、九つで周斎先生の内弟子に入りました。現師範の勇先生と、さっき隅にいた土方という目つきの悪い人は私の兄弟弟子です」

「まぁ」

沙羅はクスリと笑った。初めて見る穏やかな笑顔だ。

「他の方たちは、少々騒がしいですが気のいい方ばかりですからご安心ください。お父様たちのことは……その……残念でしたが……」

「いえ……お気遣い感謝します」

強めの春風が総司たちのいる縁側に吹き込んで、来し方知れずの桜の花びらが目の前をかすめて舞った。

「それはそうと驚きました。沖田さんはまだお若いのに師範代でいらっしゃるのですね」

沙羅がそう言って、風に揺れる後れ毛を手で押さえた。総司は面映い心持ちで、

「先生方には遠く及びません。剣術は好きですがそれだけです。門人たちには嫌がられます」

「嫌がられるんですか? とてもお話ししやすいのに」

「うーん、どうも俺は人に教えるのが下手みたいで……」

と、こちらを向いている沙羅の肩がビクリと揺れた。

振り向くと、土方が肩越しに総司を睨みつけている。

「あ、目つきの悪い人」

「土方歳三だ。沙羅殿、改めてよろしく頼む」

「こちらこそよろしくお願いいたします」

「……無視デスカ」

「ときに」

土方はそう言って沙羅を正面から見つめた。

「逸水殿のご息女は、剣が使えるとお聞きしましたが」

沙羅の眼がスッと細まったような気がしたが、彼女はそのまま微笑んで、

「……弱輩ですわ。切紙もいただいておりません」

と言った。

切紙とは、入門後の初期段階で授けられる実力証明書だ。流派によって呼び方が変わるが、神道無念流と天然理心流では同じく切紙という名称だった。

「左様でしたか」

「荷解きがまだ残っておりますので、いったん失礼します。沖田さん、ご案内ありがとうございました」

沙羅は一礼して、部屋へと帰っていった。

総司はその後姿を見送ると、

「いやぁ気付かなかったな。土方さん、沙羅さんをご存知だったんですか?」

「いや、勇さんに聞いた」

「なんだ、じゃあ若先生に言えば一緒に稽古できるかな」

土方は何も言わずに踵を返した。

「土方さん?」

彼は数歩歩いて立ち止まり、

「沙羅双樹の花の味、知りたくないか? 総司」

振り向いてニヤリと悪い顔をした。

「花の味、ですか」

総司がちょっと考える仕草をして、

「……食べられるんですか? お花って」

と言うと、土方は呆れたように手を振って廊下の角へと去っていった。

なんだか、ひどく馬鹿にされたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る