第7話 思わぬ遭遇

 水平距離ほぼ1km、垂直距離およそ100mを一気に登りきる。

 境界標を海側から数える事25本目で尾根筋に辿り着いた。


 それにしても身体強化魔法の威力は大きい。

 この魔法、筋力や心肺機能等を強化しているだけではないだろう。

 おそらく未知の科学的、それも物理学的手法で動きを補助している。

 見えないパワードスーツを操作しているようなイメージで。

 そうでなければ骨や筋肉が力学的に耐えられない。


 さて、支尾根の植生はずっと同じ、アルカイカとセテリムばかりだった。

 しかし尾根筋の向こう側は少し異なる模様。


 日が当たり乾いている部分まではアルカイカやセテリムが主体。

 しかしその先は拠点近くに生えていたヘイゴや、あの悪夢の森に生えていたクァバシンが多いようだ。

 地面も湿気ている部分が多いらしく、小シダ類からなる下草がわさっと生えている。


 こういう森はもう通りたくない。

 自分の土地では無いから入り込む気はないけれど。


 さて、ここは稜線上でそこそこ視界がいい。

 だから周囲を見回してみる。


 この尾根は東側はほぼまっすぐ進んでより高い尾根と合流している。

 そこそこ人が歩いているようで、登山道程度には歩ける状態。

 これを進んであの高い尾根を越えた先がイロン村の筈だ。


 西側は少し先で南側へ曲がり、更に少し先で低くなって消える。

 やはり登山道程度の道? が尾根に沿って続いている。


 南側は緑が深く広い谷を挟んで、その先にこの尾根より高いが東西にあまり高低差の無い稜線が見える。

 谷間にはそれなりに生物らしき反応を感じる。

 下で出会ったアルケナスのようなのがいるのだろう。


 あとは南側の谷、向こうの尾根に近い場所に何カ所か緑が薄い場所が見える。

 おそらくあれは移住者が開拓している場所だろう。

 畑らしき場所と放牧地らしき場所があるように見える。


 これらの風景の中にちひはいるのだろうか。

 それとも此処から見えない場所なのだろうか。


 さて、少し気になる事がある。

 ここにある境界標、今までと違って黄色だ。

 何故だろうと思って知識魔法で確認。


『指定境界標 ヒラリア共和国開発局が設置したもの。指定開発区域において、通行路あるいは将来の道路用地と定められた場所に設置される。無断で移動や廃棄等、損なう行為をすると罰せられる』


 なるほど、通行路として指定されている訳か。

 知識魔法、やはり便利でいい。


 それでは西に向けて出発しよう。

 地面は先程と同じ乾いた土と岩。

 ただしなだらかな下り傾斜で歩きやすい。


 それでも身体強化魔法を解除する気にはなれない。

 起動する前と比べて疲労具合が違いすぎるから。

 魔力消費もそれほどではないと感じる。


 そんな訳で順調に西側に1km程度、黄色い境界標20本分歩く。

 地図と偵察魔法で現在地を確認。

 僕の土地の境界線は此処から右側の支尾根を下るようだ。


 しかし降りる前に昼食にしよう。

 これから先は見晴らしが悪くなりそうだ。

 どうせなら景色がいい場所で食べたい。

 ちょうど座るのにいい岩もある。


 アイテムボックス内にはすぐに食べられるものをある程度用意してある。

 メインは半額シールが貼られた弁当とおにぎり、サンドイッチ。

 転移前日夜7時30分過ぎに、少し遠くのスーパーでまとめ買いしたものだ。


 サンドイッチを取り出し、包装を剥いで口へ。

 やはり景色がいいところで食べると味も美味しく感じる。

 空は青いし緑は綺麗。

 北側と西側には海も見える。


 異世界移住して良かったとしみじみ感じる。

 これもちひのおかげだ。

 あのメールが無かったら今頃はどうしていただろう。


 今日は週休だから車で何処かへ逃げていたかな。

 実家にいるとろくな事がないから。


 いや、もうあの世界の事を考えるのはやめよう。

 僕はこの世界で暮らすのだから。


 コップをアイテムボックスから取り出し、魔法で中に水を入れて飲む。

 ゴミとコップを収納して立ち上がる。

 それでは下るとしよう。


 生えている植物はアルカイカとセテリム、つまり下は乾いている模様。

 しかも下りだから上りよりは楽な筈だ。

 身体強化魔法も使っているから余計に。

 半ば跳ねるような感じで下り尾根を進んで行く。


 下りは尾根を間違いやすい。

 だから偵察魔法で上空から自分の位置を確認し地図と照らし合わせて進む。

 それでも身体強化魔法の威力は絶大だ。

 あっさり川に出た。


 この川はおよそ5km先の谷から生じている。

 河原の幅は10mに満たない程度。

 水の流れそのものの幅は1mくらい。

 大小の石伝いに勢いよく水が流れている、いわゆる沢だ。


 手を水に浸してみる。

 冷たい。

 先程魔法で出した水より美味しそうだ。


 先程のコップを出して水を汲み、念の為一度収納した後再び出す。

 これで原虫なんかがいても死滅している筈だ。

 飲んでみるとやはり美味しい。

 魔法で出した水より美味しく感じる。


 これは汲んでいった方がいいだろう。

 アイテムボックスから20リットルのポリタンクを出す。


 水を容器を使わずにアイテムボックスに収納する事も可能。

 ただしその場合、出す時に少し面倒だ。

 鍋等の容器を用意して、こぼれないように出す必要がある。


 だから容器があれば入れてから収納する方が便利だろう。

 少なくとも液体の場合は。 


 ポリタンクに沢から水を入れるのは面倒だし難しい。

 だからアイテムボックスに一度水を収納した後、ポリタンクに対してその水を出すという方法を使う。

 ポリタンクが濡れるがこの方が楽に水を入れられる。

 しゃがんだり水の中に手を入れたりしなくても済むし。

  

 ポリタンクを収納したら、あとは川沿いに海辺まで帰るだけ。

 河原を浮き石を踏まないように歩いていく。


 身体強化魔法をつかったままなので、いざ浮石を踏んで体勢が不安定になってもとっさに反対側の足が出る。

 だから多少早歩きでも問題ない。

 そう思った時だった。


 偵察魔法で100m程度前方に大きな動物の反応を発見。

 しかもこっちへ近づいてくる。


 詳細を確認。 

 ヒラリアで最も警戒するべき中型爬虫類、アルパクスだ。


 見る間に奴の速度が上がる。

 僕の気配に気付いているようだ。


 自分より体高がある人間は襲わないと聞いていた。

 しかしこの個体はおかまいなしの模様。

 早速例外にあたってしまったようだ。


 もっと慎重に、偵察魔法の範囲を広げて確認すれば良かった。

 ゆっくり歩けばよかった。

 そう思ってももう遅い。


 アルパクスの足は速い。

 この河原なら身体強化状態の僕と同じかそれ以上。

 逃げ切る事は出来ない。

 つまり迎え撃つしかない。


 足が速いから攻撃可能な時間は短い。

 下手に外すと接近されてしまう。

 そうなったら大怪我必須だ。

 だからこそ、確実に魔法を当てられる距離まで待つ。


 反応は奴1匹だけ。

 この距離ではまだ僕の魔法は届かない。

 何かあったらすぐ動けるよう膝を少し曲げた姿勢をとる。


 目で見える距離まで近づいた。

 全身は灰色。

 ほっそりしたスタイルで頭がやや大きい。

 手というか前脚は短めだが強力そうな 鉤爪。

 しっかりした脚を持ち、尾がそこそこ長い。


 体高が結構ある。

 アルパクスとしてもかなり大きい部類だろう。

 ただし正面から見ると細い。

 だから狙いにくい。


 恐怖に耐えつつ確実に倒せる距離まで待つ。

 もう少し、もうすぐだ。

 

 奴の腕の上、首と胴の境目を強く意識。

 断面の形がはっきり把握できたその瞬間、僕は独自魔法を起動した。


『剪断魔法!』


 アルパクスはそのままの勢いで近づいてくる。

 だが次の瞬間、ふっと頭部分が身体に遅れた。


 まず頭がゆっくり後方へと落ちる。

 胴体はそのまま数歩進んだ後、僕の10m程前で右横に倒れた。

 それでもまだ脚は空を掻き動き続ける。


 冷却魔法を起動。

 脚の動きが止まった。

 血だけが別種の生き物のように広がっていく。


 無事倒せたようだ。

 急に息苦しさを感じる。

 緊張のあまり呼吸を止めていた模様。

 僕は慌てて大きく深呼吸をした。


 深呼吸5回でようやく少し落ち着いた。

 改めて周囲を観察する。

 倒したアルパクスの胴体からはまだまだ血が流れ出ている。

 頭からも血がにじみ出ている。


 本当ならある程度ここで血抜きをした方が楽だろう。

 作業場を血で汚さずに済む。


 しかし他の個体が襲ってくるという事はないだろうか。

 血の匂いが何か他の危険なものを惹き付ける可能性は。

 念の為偵察魔法で最大限に警戒。


 大丈夫、大型の反応は無い。

 しかし正直なところ怖い。

 アルパクスが出た此処に留まる事が。

 もう少し安心できるところまで早く移動したい。


 まだ血を出し続けている死骸をアイテムボックスに収納する。

 胴体側と頭側、両方とも。


 本当はダッシュで拠点へ戻りたい。

 しかし今の邂逅を考えるとある程度ゆっくり注意深く歩くべきだ。

 出来るだけ派手な音を立てないように。

 何があってもすぐ対処できるように。

 

 偵察魔法の視点を更に上げて警戒範囲を広げる。

 視覚と熱、振動を重ね合わせて周囲を警戒しつつ歩く。

 走り出しそうになるのを必死に堪えて。

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