第12話

 この一族は、異質な存在だった。

 とてもじゃないが、まともに集落に溶け込むことはできなかったので、どこか別の場所で生きていくしかなかった。そう、そんな男が築いたのが始まりだったから。


 男はひどく憔悴していた。

 今にも死にそうなほど飢えていて、もう何日も意識はもうろうとしている。頭はグラグラとし、正気は遠くへ行ってしまったみたいだ。目の前はもうぼやけていて、マグマの中の揺らめきを見ているようだ。


 気が付くと牢屋に投獄されていた。

 男は思う。なぜ、自分が牢屋にいるのか、と。何かをした覚えはない。だが、数秒考えて納得する。ああ、またやっちまったのかって。

 昔からそうだった。10を数えた頃だったかもしれない。同じようなことがあった。気が付けば目の前は修羅場と化していた。傷を負った者たちが、睨みつけてくる。そして、妙に物分かりの良かったせいもあり、ああ、なにかやらかしてしまったんだろうなって、直感的に思う。

 不足していた。

 何もかも、全部。人間として生きるには、必要なものが何一つ満たされていなかったらしい。でも、それもしょうがないんじゃないか、と実はいつも思っている。だってそこらの子供と違って、何もなかったから。世話をしてくれる大人も、満たしてくれる存在も、はなから存在しないのだ。だからしょうがないと思っていたし、だから自分は悪くないと言い聞かせもしていた。

 それに理由はなかったのだ。ただ群れの中でそもそも捨て子のような状態だったし、誰も関わろうとはしなかったし。そう、特段何かひどいとか、そういうことはなかったと思う。

 だがやっぱり人の中で最低限生かされてきたという事実は消せないのであり、究極を突き詰めて非道にはなれなかった。はずだったのに。ここ最近はおかしい。

 なぜだか、意識が知らぬ間に飛んでいて、気付くと事件の惨禍の中心に追いやられている。もう、何度も何度も経験したから、ここ最近は慣れっこって言ってしまってもいいかもしれない。が、だが、得体の知れない状況というのはやっぱり気味が悪く、どうにかしたいという思いに駆られていた。

 どうすることもできない。

 四方八方を駆けずり回って答えを探しても、そもそもこんな孤独の中で生きている以上ツテもクソもないから、ああ、これが絶望ってやつか。耐えきれない閉塞感に、今押しつぶされている。

 そしてついに、生まれ育った集落から出ていくことになった。皆、奇異なものを見る目で凝視する。見世物じゃない、そう強がりながら出てきたことを実ははっきりと覚えている。結構繊細な自分にその時気付いた。繊細で強がり、これは性格なのか、気性なのか、まあ、いまいち分からないんだけれども。

 そうやってそれからはずっと死ぬか生きるかの瀬戸際で毎日を過ごすことになり、だが集落にいた時のように意識が飛ぶなんてことはしばらくなかった。正直、実感としてだが、どうやらかなりの緊張状態であったようだ。集落の中で居場所を作らないといけないという思いに駆られていたから。だからかもと思う。今あんな変な状態にならないのは、意識が飛んでいる間に人を傷つけているなんてことはさ。

 でもそうこうしている内にやっぱりきゅうしてきて、また目の前はぼんやりと、暗くなっていく。どこだっただろう、何だか草が生えている川の近くをふらふらしている時だったかもしれない。

 と、目を開けるとそこにはいつもの如く、と思ったけれど、惨状が広がっていた。だが今回はある意味でいつもとは異なっていた。だって、目の前に広がる視界には、何人も何人も血を流したやつらが転がっている。

 「ああ、こいつら死んでいる。」そうすごく冷静というか俯瞰しているような気持ちで呟くようだ。だが、だんだんもぞもぞとした感覚がしてきて、気付く、そして思う。

 あ、これ、やったのは自分だってことに。

 今回ばかりはねめつけるような視線も何もない。だって、誰一人として生き残ってなどいないのだから。

 そんな状況で思ったのは、はち切れた糸の様に、潰れかけたミカンのように、もういいやって。だって、どうにもしようがないし、やった覚えのないことなんだからきっと忘れたって構わない。そんなふうに思いながら、その場を後にした。

 ねぐらに帰ってきてから気付いたが、もう全く自分が動転していることに気付いていなかったみたいだ。というかむしろひどく大人びたようだったと感じている。もう全部の物事を自分と全く関係のないものだと決めつけているような、そんな感じ。でも実際は、違った。ねぐらという自分のテリトリーに足を踏み入れた瞬間、手にも足にも力が入っていないと気付く。ひどい脱力感だ、と感じる。だが同時に安心感を覚えたことも覚えている。だって、あの状況で、人を殺したかもしれないという状況で、何も感じないなんて、何も変化がないだなんて、自分が人間ではないと告げられているようで恐ろしかったから。

 そして徐々に戻ってくる手足の感覚を心地悪く感じながら、眠りにつく。


 ザワザワザワ。

 広場には人だかりができている。どうやら、何かがあったらしい。

 「どうかしたのかい?」もう60近い男が人だかりの中で呟く。その男からは人だかりができていること以外の情報は得られていないようだ。そして中年頃の女が失神する。何事か。男は事情をもっと知りたいと思い人だかりの中心に立ち入っていく。

 そして目にしたものは。

 「これは、これは。一体?」

 言葉にならないとはこういうことを言うのだろうか。

 広がるのは、たくさんの人間の死体だった。怖ろしいほどに血が流れていて、これを猟奇的というのだろうと得心する。


 もういくら歩いたのか、換算できない。いつまでたっても何かに追われているような感覚がぬぐい切れない。元々罪悪感の強い方だったてことに、またこの時気付く。

 さあ、もう今までしばらく使っていたねぐらである小屋には帰れない。もう、あそこは足を踏み入れてはいけない場所だ、と。

 だったらどこへ行けばいいのだろうか。どこへ行けば、何の不満もなく日常を営めて、普通を享受できるのだろうか、とそんなことをぼんやりと考える。だが、もう自分には普通という言葉がいくらもしっくりこないといことにも気づいてしまったみたいだ。

 そうこうしてのらりくらりと道中で物を盗みながらなんとか生き抜き、海の近くまで来ていたらしい。これは、盗みをしないとこの人間社会では生存できないということの証明である。なぜなら、社会に溶け込むか、徹底的に反発するか、この二択しかまあ、自分みたいな人間には残されていないと思っているから、これは、痛感として。

 「海。ずいぶん来ていなかったようだ。」水平線が見える。ここは広く開けた美しい海。なんだかずっと狭い場所で立ち往生していたように思えてきて、しばらくはこの場所にいよう、と何となく決意するのだった。

 正直もう、どこでも良かった、というより、どこへ行ってもそう、自分は一人なのだと心の空洞をさらに拡張するような感覚に陥る。

 むしられているような、ほだされているような、なんとも心に至る感傷的な心地をただ味わっていた。味わっている間はいいのだ、だがその後に来るなんともいえない焦燥感が、蝕む。ずっと、蝕む。

 そんなこんなでもうこの土地にもしばらく滞在している身分なのだが、最近ある場所へよく通うようになっていた。生活は盗みで成り立っているのはもちろんなのだが、海が近いのだから釣りなどをしてその日の食事を賄えるほどの技量を身につけていた。いつも桟橋のような場所でじっと座っている。この海の空気に触れて、太陽の日にさらされていると、溶けそうだ、と思う。もうこのまま溶けてしまえばいいのに、とも思うのだが。

 「お兄さん、いつもそこにいらっしゃるのね。どうして?だって、この町の人間じゃないでしょ?」

 急に不意に、女の声がした。この桟橋には漁業を営むものや周辺の住人などいくばくもよく通る場所であるから、雑音として認識しかけていたが、なぜかいつもよりクリアで、まさに自分に話しかけられているようだなと思ったのだけれど、え、いや、そうみたいだった。

 「お兄さんに話かけてるのよ。お兄さん、町中の噂になっているよ?変な怪しいいかつい男が桟橋に毎日たむろしてるって。」と告げる。

 ああ、確かに。目立つ風貌ではあるとは思う。だって、生まれつきなのかは分からないがギラギラとした目をしているから。見たものにどうやら不快感、というか恐怖に近い感情を与えてしまうらしい。まあ、これが自分がずっと大事にされてこなかった理由でもあるとか考えてしまうのだが、結局はどうでもいいし、分からないことなのだ。が、じゃあ、なぜ?そんな男にこの女は話しかけてきたのだろう。そんなふうに思っていると、

 「お兄さん、ずっと黙ってるじゃん!何か言ってよ。私、一人でしゃべってる変な女みたいになってるし、もちろん悲しい。」となんだか感想のようなものを告げてくる。

 だからつい、「悪い。」と一言呟いた。本当は何も言葉を発するつもりなどなかった。そもそももう誰かとの会話など意味不明な自分という同定の存在からして必要ないと決めつけていたから、思い込んでいたのか、とふと気づく。

 すると女は、「何だ!話せるじゃん。よかったよ。」と嬉しそうにしていた。そして続ける。

 「実は私、毎日見ていたんだよ。でも、何だかみんな避けているから私もそうしてた。けどすごくあなたに魅かれるの。何故だかは分からないんだけどね。」と言う。

 何に、いったい自分の何に魅かれたというのか、この女は。こんな、泥やゲスと同じような虫けらのごみカスをどうして、どうして、一体?

 頭の中がぐるぐると駆け回る、だが次の瞬間全てはどうでもよくなった。

 そうして、全部を理解する。自分が求めている物、求めていた物、なにもかも。こんな些細な、ちっぽけな時間だけで、すべてが報われたような感覚。

 これがまあ、一族の誕生ということになる。


 その後二人は、繫栄していくが、やっぱりどこか明るい道を歩むだけとはいかなかったようだ。それは彼らが悪いのではないだろう、ただ二人の進む先が、ただ二人の絆の行く先がそこに向くしかなかっただけ。だから彼らは幸せだったという。

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