第10話

 私はずっと、おかしい。

 それははっきりと分かっているのに、どうしようもない。というか、もうどうでもいいのだ。

 原因って様々にあるじゃない?でも、それら一つ一つは何の責任も取ってくれないのだから、すべて私自身にのしかかる。重いわ。

 そもそもだからね、この店は私が店主になるべきじゃなかったのに、勝手にそうなったのだ。たぬきじじいっていうか、得体の知れないおじさんがいるのよ。そいつはさ、いつも私にあれしろ、これしろって言ってきて、私はそれに逆らえない。

 まあ、父親なんだけどね。私とは20しか違わないから、結構若い。そしてこの店の全てを裏で牛耳っている。つまり、店の者は本当は私じゃなくて、あのじじい、いや父に従っているにすぎないのだ。

 だから、だから私は何の意味もない、ただ駒としてこの仕事をこなしている。そして、私はどうすることもできないから、失った。大事な人を。

 娘がいるの。ラリアと霧子という姉妹。血はつながっていない。だから苦労をしてまで愛情をかけることができないみたい。一応、人の心ってもんはあるから、多分。悪いわね、とは思っている。でもあの子たちは分かっていないようだわ。私の本音を。そりゃそうね、だってあの子たちは私の境遇も、父の存在も何も知らない。だって、幽閉されているから。まあ、これも父の命令なのだけど。

 それで、さっき大事な人って言ったじゃない。

 私、そういう人がいたの。お互いを家族のようと認め合うような存在が、いたんだよ。


 「真理子。」そうささやくのは私にとっては甘い声。この時だけは、別人になれると知った。

 「なあに?てか、何でそんなに眉毛、しかめてるの?」彼はいつも苦しそうな顔で近づいてくる。どうしてだか聞いてみたかったけど、私のこともあんまり話していないんだし、彼のことも知らなくていい。そう思っていたから。

 家族のようだと感じたのは初めてだった、ただドキドキするとかそんなのは一切なく、ただ外で見つけた家族じゃないか、と思っていた。だから一緒にいるだけで心地いいし、どうやら彼も同じみたい。

 「真理子はなんで俺といてくれるの?」

 「え?」と言ってしまった。彼はいつもそんな風に私の考えを確認してくる。でもそれでいいじゃないか、影なんて誰でも持っているし、むしろ私は守ってあげたいだなんて思いが増すばかりで。

 出会ったのは河川敷で、ふと足を向けた時に話しかけられた。

 「あなた、どうしてこんな時間にこんな場所をぶらついているの?ああ、いかにも手持無沙汰って感じだね。」と、妙になれなれしい。だが、その頃はひどく辛かったし、閉塞感から抜け出せず苦しかったのだから、そうやって話していく内に打ち解けていった。

 私は思う。もしかしたら彼じゃなくてもよかったんじゃないかって。でも、もう人生は曲げられないのだ。存在したことは帳消しにできない。

 そして、失うまではもう少し。積み重ねてきたものを崩すことは、こんなにも心を削っていくと私は心に鎖を繫ぎ、今もなお引きずっているから。

 でも、それは一瞬だった。彼はいなくなった。毎日逢瀬を重ねていた場所に現れなかったし、人づてに聞いてみても誰も彼のことなんか知らないという。え、じゃあ私が大切に思っていたのは何だったの?いや、誰だったの?そんな矛盾だらけの疑問を頭が駆け巡る、駆け巡る。

 あ、そうか。

 ある日私は悟る。

 それまでずっと心ここにあらずという放心状態で、店の仕事もろくにこなせなかった。だからさらに空白を持て余して、暇が加速して、私はもう死のうと決めていた。そう思って、滝の上に立っている。近場の滝だ。勢いが強く高さがあり、有名な自殺スポットとなっている所だ。もう短絡的に死ぬならあそこかなとぼんやり毎日考えている内に、ついに実行に移すところまで来た。ついに。

 ひゅっ。

 ああ、意識って何?ドラマの場面転換のようにカメラの切り替えと同じくぐるぐると、すぱすぱと、視界がなくなっていく。

 なんだか、ぼんやりしている。ただ、あったかい感じがなんかあって、だんだん、あ、私、もしかして生きていたのかも、と思う。でも死んだ方が良かったってがなるような気持ちでも絶望するでもなく、生きててほっとしている自分に気付く。

 運命にのっとって、レールを歩むのは案外楽でいいものなのかもしれない、なんて近頃は思う。だって、あんな狂おしい思いはもうしたくない。だって、絶対に叶わないのだから。

 そして知る。私をたぶらかしていたのだ、と。あの男は、父の命令で私に甘い口説き文句を唱えて、夫婦となるように仕向けられたものだと知ってしまったのだ。でも、だからあの困った顔は、だったら何だったのだろう。あの感覚はまやかしだったのだろうか、そしてそれを受け入れた時から私はもう何も信じることはできなくなったみたい。

 確かにあったと思ったものが何でもなかっただなんて、そのまま人生を繫いでいくことはきっと難しいのではないか。経験しなくて良かったんじゃないか、とその当時はずっと思っていたけれど、今になってみると私は確かにその時から、はっきりと物の見方が変わったのだ。これを世界が広がったっていうんだろう。ずっと押さえつけていた欲求に素直に都度都度従えるようになったから。

 でもだからと言って、私はどうすることもできず、その時の感覚だけなんとなく覚えていて、でもだんだんと薄れていって。また、抑圧と空っぽの生活を送ることになったのだ。

 ただ、一つだけ以前の私と異なっている部分がある。いつも、出歩きもしなかったのに、あの川辺に出向いてはなんとなくたまった閉塞感をいなしめるように、趣味に興じる。どんどん新しいことを見つけては始める。そんなこと。

 だから心の中は実は少し澄んでいる。

 でも、私は運命のレールに乗ったまま、そこから逃れることはしないのだ。

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