第8話

 重苦しくなってしまったようだ。

 息をしようともがいてみるけれど、目の前はただ闇が広がるだけ。でも、僕はもがく。

 もがいて、立ち直る。

 そして進む、目的の場所へ。

 そもそも少し這いずると灯がふうっと見えたのだ。ああ、あの場所を目指そう、そう思い進化過程の動物みたいに少しずつ立ち上がる。

 「やっと外だ。」思わず言葉が漏れた。そしてそれに反応するように体中に力が抜けていく。そもそも僕は何で拘束されていて、いやそれはこの店に忍んで嗅ぎまわっているからなんだろうけれども、でもそれにしては容易く外まで出れたなとも思う。

 空白を埋めたいから立ちはだかろうと思ったけれど、やっぱり何にもならないなと考えて、止めた。そんな経験を過去に幾度もしていて、さあ、例えばえっと、まだ子供だった頃、僕は学校へ行くでもなく働くでもなく、川辺で突っ伏していた。なんでかって、家には居場所はなかったし、働く必要も経済的になかったし、でも居場所はなかったから、それだけなんだ。

 もうそんなことをずっとしていたから、自分が空白を抱えているなんてちっとも思わなかったし、思えなかったみたいだ。そしてそれが後々僕を苦しめるんだけれども。大人になってみて、僕は明らかに他の人とは異なると感じた。なんだか、ずっと子供のままみたいに、大人になり切れず、幼いままなのだ。そしてそれは社会へ溶け込めないという重しになり、結果としてあまり人と接点を持たない物売りという職業に落ち着いた。

 そんなことをぼんやり考えたのは、今外気に触れてみて、不自然な光景を目の当たりにしたからだ。僕の眼前に広がっていたのは、ひどくメルヘンで洋風チックな部屋。正直、挿絵の世界でしか見た事がない感覚だった。

 そしてそこに住むのは、一人の女の子。僕が見つめた先にいるのは、ドレスを着た身長の高い女性だ。まあ、うん、女性というか、来ている服がなにぶんひらひらしたいわゆる幼子が着るようなものであったから、女の子とも解釈できるんだけれども。

 なぜ。なぜ、僕が拘束され抜け出した先にいるのがこんな変な女で、こんな変な場所なのだ。そう疑問には思うけれども、一向に答えは出ないし、そんなことを考えるよりも先に目の前にいる女の行動を凝視している。

 「……。」一言も話さず、僕に気付く様子もない。ただ何か本を読んでいて、ひどく退屈な様子である。そして少し近づいてみて気付いたのだが、ずいぶん器量よしなのだなと思った。肌は透き通っていて、眼鏡をかけているけれども、それが良く似合っている。

 小説の中に出てくる登場人物のようないで立ちだ、と心の中で呟く。

 そして、「あなた、誰?」と単調な質問が飛んできた。やばい、気付かれた、でもなんだかどうやらあまり警戒はしていないようだと感づく。

 突然で驚いたからつい、向谷尚右むかいやなおすけと本名を語ってしまった。

 「向谷って、珍しい苗字ね。でも、私には苗字なんてないのだから。いいわね。」なんだか気取った口調で多分年下だと感じられる女は颯爽と話し続ける。

 向谷尚右という名前は、仮の名だ。なんていうか、商売をするにあたってつけた源氏名のような。黒ずんだ空はずっと晴れることはなくいつも曇った様子を誇っている、という話を祖父から聞いたことがある。これが由来で、僕は雲丞うんじょうという名も有している。なんだか詩的な爺さんで、暇だからって僕にばっかり語りかけていたなあ、なんて思うのだ。

 それで話を戻すと、え、何だこの女、ずいぶんとしっかりした口調で話すんだなとそのことにも少し意外さを持つ。

 見た目は年齢に似つかわしくないくらい幼く、でも中身が詰まっているような哲学を抱くようなそんな印象を受ける。だから、だから僕とは正反対だなと思ったし、だから少し魅力を感じてしまったのかもしれない。

 「てか、なんで私の部屋にいるのよ。もしかして、あなたも奴らに捕まったの?」

 意外なセリフだった。だって、僕の状況をはっきりと語っていたから。

 「そうみたいだと思う。気が付いたら暗い部屋にいて、君の部屋へ行きついたから。」

 「じゃあそうね。私はずっとここに軟禁されているから。本当はね、理由は分かっているんだけれど。」もの知った言いぶりでそういう女に僕は問う。

 「どうして?」だって何でそんなこと知っているのか、軟禁されているのに。僕にはこの状況が全く掴めていないのに、君は何かを知っているのだろうかと。

 「え、だって私はここの店の人間だから。だからこんなに変な部屋を与えられて、でも三食住、生活に困ることがないのよ。」

 「じゃあ、何で軟禁されているの?」これは至極当然な疑問であり質問だ。一体なぜ?

 「そんなの、」女はそこで言葉を切って、僕を部屋の奥へと手招きする。

 どうやら何かの足音がするから、僕に隠れろということらしい。そして招かれた先は衣装が山積みになっている衣装ダンスの前で、僕はそこに埋もれている。

 「ドンドンドン。」戸を叩く音だ。

 「はい、どうぞ。」そういって彼女は戸を開ける。

 よりも先に土足で男がズカズカと足音を立てて侵入する。

 「いかようか。何か変わったことなどはございませんか。」と突きつけるようにがなるのだ。

 それに彼女は「平気。」と一言呟く。

 そしてその他給仕の人間が現れて、食事を置き日用品を備えた上で皆、この部屋を後にする。

 彼女はいつもこのように過ごしているんだろうか、なんて考えていると。

 「そうよ。私はいつもこんな感じ。だって軟禁されているんだもの。欲しいものは、本当に欲しいものはない一つ手に入らない。飼い犬と一緒。」そう言い切って、なんだか少し切ない顔を見せる。

 「あのさあ」なんかなれなれしい口調で話してしまったが、「何?」と彼女も短く答えるから、つい、聞いてしまった。

 「ラリアって知ってる?」

 彼女は少し逡巡した様子ででも、「知ってる。」と言う。

 「あったことあるの?」と聞くと、「ある。」と不必要なことは言わないと決めたようにさらっと答える。

 でも僕は肝要なことを知らなくてはいけないから、「じゃあ、ラリアとはどんな関係なのか聞いてもいい?」と言ってしまった。言ってしまって後悔した。だって、だって彼女の表情がぐにゃりと崩れてしまったから。何でそうなったのかは全く分からないけれど、今言葉を交わしている少女風の女が傷ついているというのだけは感じ取れる。

 そして僕が何か言葉を継ぎ足そうとすると、彼女がくうに向かって呟く。

 「ラリアは、姉。私は妹の霧子。」

 僕ははっとした。あ、あ。もしかしたらラリアの隣にいたあの子ではないかと。僕のすそを引っ張っていたあの子じゃないか、と。でも普段の着物姿と異なり洋装をしている彼女が同一人物かどうなのかは僕には分からなかった。

 だから、「もしかして、もしかしてだけど。君、いつもラリアの隣で演奏していた子だろ?」そう言ってみたんだけど、彼女は困った顔をして見せた。

 「そうなるのかもしれない。私はいつもラリアに守ってもらっていたから。隣にいて、誰の目にもつかないように。」

 そうか。やっぱりあの子だ。いつもラリアの隣にいて、目立たない。そして僕のすそを引っ張っていたあの子だ。僕は思わず問いただす。「じゃあ、君は一体どうして?どうして僕のすそを引っ張ていたのか、教えてくれよ。」勢い余って少し汚い言葉遣いをしてしまう。

 そしたら、「ああ、あなただったっけ?」とそっけないセリフを吐く。そして、「確かに、私店に出入りする男性のすそを掴んだわ。だってその時、私死にそうだったんだもの。」

 ああ、やっぱり。僕のすそを掴んだ人は助けを求めていたのか、と妙に納得する。でも、「なんで死にそうだったんだ、今こうしてなかなかに優雅にしているじゃないか。」と豪華な部屋の印象とかけ離れた、死にそうという言葉に疑問があり言葉を続ける。

 だが彼女は、「だから何?世界は見た目で把握できることだけでできていないって、その年になって分かっていないの?」と感情のこもった辛らつな言葉を紡ぐ。

 「言っていいの?」と僕に問いかけ、「じゃあ、言うわ。」と続ける。

 一体何だろう、こんなにもったいぶって、どういうこと?そんなことを思いながら、僕は高ぶる感情を持て余し気味なのだ。

 ラリアはこの子の姉で、この子はラリアの妹。二人とも器量よしで、店の客引きにはちょうどいいような気がする。でも、だからこの子達姉妹はもちろんこんな、色を売る店で客引きをさせられているのだから、それは苦しいだろう、と思う。

 そして、「私はラリアの身代わりになったのよ。まあ、それまでラリアが受けていた仕打ちが回ってきたってだけのことだけれど。それでも、まさかラリアに、姉にあんな行動ができるだなんて驚いちゃったから。」と言う。彼女はいったい何のことを言っているのだろう。そう思っていると、「簡潔に言うと、今までラリアが理不尽に受けていた店の者からの暴力があの人の逃げのせいで、私に回ってきたってこと。」と言ずる。

 僕は、「じゃあ君は暴力から逃れるために僕に助けを求めたということかい?」と聞くと、「違うわ。あの時はたまたま物理的に衰弱していただけ。だから、精神的にも弱っていたせい。そう、それだけ。」とひどくさっぱりと吐き捨てるようだ。

 それもこれも全部、狂ってしまったみたい。私はただ、ここ以外の場所へ行きたかったのよ。

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