第4話 

 嫌味だったら言わなくてもいい。

 私はいつも強く思う。でもその瞬間だけ。あとはすぐにぼやけていって、何だかどうでもよくなるの。

 私は妖精だ、と誰かが言った。誰がはじめに言ったのかは分からない。だが、それから私は妖精という名前の人間以下の存在と化したのだ。


 僕は引き続き周囲をうろつく。

 何か手掛かりはないだろうか、と。何かおかしなことはないだろうか、と。

 だが、しばらくすると店じまいの時間が来たらしい。店の人たちはみな休息へと向かっていく。

 だがいつもいつもこの店の住人は慌ただしい。慌ただしく立ち働いて、泥のように眠りに吸い込まれる。それをこの場所に潜入して初めて知ったのだ。

 ここは会員制の店であり、入口の重い扉をいちいち開け閉めして来客を制限する。僕はどうやって忍びこんだかって?それは裏口があるんだ。見た事がある。女たちがたまに出入りする扉を。そして僕には錠前をいじる趣味があってね、簡単に入れたってわけさ。

 そしてこの時間になり、人々の動きはおろそかになった。

 今がチャンスだろう。この店の何かを探るには。そう思って、入念に慎重に奥へもぐりこむ。

 「がたっ」

 音がした。その方向を向くと、何かが落ちたようだ。何が落ちたのだろうかと、様子をうかがうのだが、跡形もなく何もなかった。

 するとひっそり、おばあさんが現れた。

 奇妙なほどよぼよぼしていて、なぜこの店にこのような人がいるのかとも思ったが、古参の世話役のような人かなとも思っている。

 「おばあさん、どうしたの?」

 侵入者である僕を見て驚かないかの人につい軽口を叩く。

 「あなたこそどうしたんだ。私は分かっている。何かを探しているって。」

 老婆はそう答える。

 「どうして?何でじゃあ僕を店の人に知らせにいかないんだ。」

 そのままの疑問を僕は老婆にぶつける。

 「それは…」と言い、押し黙ったまま手招きをし、僕を部屋へ迎え入れる。もちろん警戒心はあったけど、今は行くしかない。


 老婆の部屋はあっけない程狭かった。畳3畳ほど。なぜこれほどまでに狭い空間をわざわざ部屋にしたのかと思うほど。しかもそのほとんどは物置となっていて、生活できるのは1畳くらいだ。

 どうやって睡眠をとるのだろうか。腰を折って眠るんだろうか、なんて考えながら、老婆の出したお茶をすする。

 正直ずっと緊張状態だったから、こうやってくつろげるのが心地いい。

 そして語りだす。

 老婆は彼女が僕に伝えたいことを、つらつらと。せきを切ったようだった。


 この店は私が幼いころから、あった。

 主人は今とは異なり、別の人物。私の母親が務めていた。

 そもそもこの店は、代々政府の命を受けて依頼をこなす一族が始めたものだ。その頃、政府なんてものは消え去ってしまったし、路頭に迷うかどうかという瀬戸際で繰り出した道なのだ。

 簡単に始められて、儲かること。そして今までの生業を生かせること。そういったら人身売買というか、女を売り買いするという発想に至ったらしい。本当に汚いやつらだと、思う。

 警戒心を強めて建物も作られた。今まで蓄えてきた元手で、何人も侵入できない様に。私たちは思考が似通っていて、常にそんなことを一族皆思うらしい。

 私の母はおとなしい人だった。物静かで、何を考えているのかさっぱり分からない。だけど、テキパキと仕事をこなす優秀な女だった。

 一族の中で秀でた能力を買われ、店の店主になったのだ。私がまだ小さいころだったけれど。

 いつまでたっても母が家に帰ってこない。

 ある日、そういうことがあった。そしてそのまま母は二度と帰らなかった。

 じゃあ、店は?店はどうなったのかって、また一族の女から店主が選ばれた。誰が選んでいるのかもはっきりしない。だが、いつも女が選ばれるという。

 その後はいつもいつも空腹感に悩まされながら町を徘徊する羽目になった。食べ物を、必死で乞うのだ。

 だけど気が付けば店で立ち働くことになっていたし、私には外で風を受けるよりも内で辛抱する方が向いているみたいだと痛感する。

 ぼんやりぼんやりすぎて行った日々だったが、もう60を手前にして店の世話人のような古い知り合いのような、何だか店に居つく人として定着していた。

 母はどうなったのだろう、とかこの店はいったいどうなっているのだろう、とかさも自然な疑問は溶けていって、もう死を待つばかりだろうと決め込んでいた。

 しかし、私はそんなときに限って見てしまったのだ。

 ラリアが殴られているのを。

 もちろんラリアのことは知っていた。この店の主人の娘で奏者である。それ以外は特にこの店にいる他の女と変わったところなんてないと思っていた。むしろ、売り買いされる立場ではないから、その女たちからのひがみの対象くらいだと認識していた。

 が、毎日観察を重ねると、ラリアは一日中殴られているようだった。誰かしらに、不満のある誰かしらに、そう、サンドバッグのように。

 しかしラリアは一切の傷を表には出さず、いつものように振舞う。それがとてもはかなくて苦しいように感じたんだ。


 「ラリアが?それは僕も見た。あの子が殴られているようなことを。あざが見えたんだ。」そう言うと、

 「そうか。あなたも知っているんだね。そうだよ。ラリアはこの店で暴力をうけている。そしてその理由を私は知っている。」そう老婆は断言する。

 「え?」僕は素っ頓狂な声を出して、老婆を凝視する。

 そしてまた、語りだす。


 ラリアは女主人の娘ではない。

 建前上そうなっているだけに過ぎない。彼女は拾われてきたのだ。しかも薄汚い川の側で、今にも死にそうな幼子を、命を助けるという都合のいい条件の下で何の価値判断もなく、それをする権利も与えられず、この牢屋のようなところに閉じ込められているのだ。

 だって、拾ってきたのは私だから。

 いいと思ったんだ。子供のいない女主人が気の毒でっていうのもあったけれど、あの汚い川辺で光輝くように美しいあの子を私が手を引いて連れてきた。

 だけど本当はいけないことだったんだ。

 だって、あの子は今その薄暗い過去を理由にこの汚い場所で何かの罰ではないかと疑うようなひどい目に遭っている。そう、この老婆なんかは思うのだ。

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