第104話 最終話:魔術師の師弟

クレアが降り立った先にあったのは、一軒の家だった。

 寂しい荒野にポツリと建てられたその家は、十二年間クレアがイシルビュートと共に過ごした家だ。今となっては懐かしさすら感じるその場所でクレアはしばし立ち尽くす。

 それからゆっくりと、足を踏み出して近づいた。

 ドアノブに手をかけてゆっくりと引くと簡単に開いていく。そうっと、本当にそうっと扉を開ききると中に体を滑り込ませた。

 

 ーーーー見慣れたリビングには、一冊の魔術書を読んでいるイシルビュートの姿があった。


 魔術機関から支給されたのであろう豪奢な濃紺のローブを雑に椅子の背に引っ掛け、その隣に栄光奈落を立てかけてある。下に着ている衣服はクレア同様に数段階立派なものになっているが、イシルビュート自身はさほど変わった感じはなかった。藍色の髪に藍色の瞳。ページをめくる手が規則的に動いている。

 こつりとヒールが床を叩く音にイシルビュートが目をあげた。久々に見るその藍色の瞳がまっすぐにクレアを射抜くと、クレアはあれ程会いたかった師匠を前に妙に落ち着かない気持ちになった。


「あの、お師匠様……」


「おう、おかえり、クレア」


「ただいま戻りました……」


「何かしこまってんだ、座るか?」


「はい……」


 異様に緊張しているクレアとは対照的に、イシルビュートの態度は以前と全く変わっていない。 テーブルを挟んでイシルビュートの向かいに座ると、そこは自分の定位置のはずなのに凄まじい場違い感を感じる。きっとこの服装のせいだ、とクレアは思った。


「茶でも淹れようか」


「あ、はい」


 言うが早いがイシルビュートは栄光奈落ではなく、そこらへんで拾ったであろう木の枝を手にとって振る。キッチンからお茶セットが一式飛んできてテーブルの上で水が注がれ、お湯が沸騰する。蒸らしたお茶がカップに注がれると、コトリとクレアの前へと置かれた。


「いただきます……」


 手にとってカップを手のひら全体で包み込み、口に運ぶ。じんわりと広がるのは懐かしい味わいのお茶だった。自分で淹れたり師匠に淹れてもらったり、日常的に飲んでいたこのお茶は、以前潜入した時もそうだったが王宮では飲むことが出来ない。

 カップ越しに師匠を伺い見ると、目が合った。頬杖をついてクレアを眺めるその様はどこまでも自然体で、この家で暮らしていた時と何ら変わりがない。


「あのーお師匠様」


「何だ?」


「魔術機関の副官と、男爵位の叙爵、おめでとうございます」


「ああ、あんがと」


 クレアからの祝福を非常にあっさりと受け入れるイシルビュート。これならば「今日の夕飯は鶏の丸焼きです」と言った時の方が百倍喜んでもらえる。副官の地位も、男爵になることも、イシルビュートの中では鶏の丸焼きに劣るのではないだろうかとクレアは半ば本気で疑った。

 クレアはいつもの元気は何処へやら、この後はどう話を繋げようかと迷って目線をテーブルの上へと走らせる。目に止まったのは先ほどまでイシルビュートが読んでいた魔術書だ。


「何の魔術書を読んでいたんですか?」


「ん? これか?」


 言ってイシルビュートはパタリと本を閉じて表紙を見せてくれた。そこには少し崩された字体でこう書いてある。


「ビュート・アレクサンダー? あの英雄魔術師の?」


「そう。その英雄魔術師が実際に使っていた、現存する唯一無二の魔術書だ」


「何でそんなものをお師匠様が持ってるんですか?」


 疑問に首をかしげると、イシルビュートはあっさりと言う。


「そりゃ、俺の師匠がそのビュート・アレクサンダーだからだ」


「ええ??」


 クレアはますます首をかしげた。


「その人って確か、百年くらい前に死んだはずじゃ……? お師匠様のお師匠様??」


 首をひねってひねってうんうん唸るクレアを見て、イシルビュートは苦笑を漏らした。クツクツと喉の奥で笑った後、自分用のカップに入った茶を飲んだ。


「まあ、俺の師匠の話は置いておくとしてだな。俺からも聞きたいことがある」


 言ってカップをテーブルに戻すと、イシルビュートはすっと目を細めた。その表情にクレアはどきりとする。これは何か、クレアにとってあまり良くない話をする時の師匠の顔だ。


「クレア、単刀直入に聞こう。?」


 その言葉にひゅっと喉が鳴った。短くも的確すぎる問いかけに、クレアは膝の上でドレスをきゅっと握る。


ーーーーやっぱり、バレてた。死者蘇生の魔術の代償を、お師匠様は知っていた。


 クレアは思った。トボけることはできないだろう。師匠はクレアの嘘を即座に見抜いてくるし、そもそもクレアはあまり嘘をつくのが得意ではない。

 ゴクリと生唾を飲み込むと、重い口を開いて正直に答える。


「後……五年か、長くても十年くらい……」


 それは、イシルビュートをこの世へとよみがえらせた術による代償だ。

 強大すぎるその魔術は、死んだ者を復活させる奇跡と引き換えに術者の命を大幅に奪う。それでもクレアは後悔なんて一度たりともしていなかった。

 たとえ同じ場面を百回繰り返そうとも、クレアは絶対にいつも同じ選択をする。クレアにとってイシルビュートは唯一無二の存在で、かけがえのない師匠だ。生き返らせる手段がある以上、それを使わないという手は無い。


「…………そうか」


 長い長い沈黙の後、イシルビュートは一言、そう言う。

 藍色の瞳の奥には何も読み取れない。怒っているのか呆れているのか、それとも……。

 

「探すぞ」


 告げられた言葉は予想外のもので、理解が追いつかなかった。


「えっ?」


「寿命を元に戻す手段を探す」


 イシルビュートは断固たる決意をにじませた口調で言う。


「そ、そんなこと、できるんでしょうか」


「死んだ人間が生き返る方法があるんだ。寿命を戻すくらい訳ないだろ」


「いや、でもあれは、ちゃんと魔術書に書いてあったわけで……寿命を戻すなんて魔術は聖女の魔術書にも存在しませんでしたし……」


「聖女の魔術書にはなくても、他のどこかにきっとある」


 しどろもどろに反論を試みたが、イシルビュートに一蹴されてしまった。師匠はこんな冗談を言う類の人間ではないので、これは全て本気ということになる。本気でクレアの寿命を元に戻そうとしているのだ。


「あの、お師匠様。そんなに気にしなくても私は後五年生きられれば十分といいますか、あの」


「何言ってんだよ、クレア?」


 イシルビュートはピクリと眉を跳ね上げると、その声にあからさまな怒気を含ませながら台詞を被せてきた。


「後五年で十分? そんな訳ないだろ、お前幾つだと思ってる」


「……今、十七歳です……」


「だろう? 五年生きたって二十二歳、死ぬには早すぎる。本当は俺なんぞを蘇生するために、お前の命を犠牲にするべきじゃなかったんだ」


「それは、違います」


 クレアはだんだんと下がっていた目線をきっ、と上げた。


「私があの時動けていたら、お師匠様は死んでいなかったかもしれません。あれは私が招いた事故です……だったら私がお師匠様を生き返らせたのは、何もおかしな事じゃありません。私が後五年で死ぬのなら、それは私の過失によるところです」


「馬鹿。どこの世界に弟子を犠牲にして生き延びる師匠がいる」


「そういう師弟が一組くらいいてもいいじゃないですか」


 別にクレアとて早々に死にたいわけではないけれど、イシルビュートにはこれからやる事がごまんとある。父である国王イグニウスと総督となったドットーレを支え、政に関わり、国を変えていく。

 そうした重大な折にクレアにかまけてそちらをおろそかにして欲しくないのだ。

 聖女ならばレイアがいる。クレアが数年後に欠けても、レイアならばきっと立派に役目をこなすはずだ。

 平行線を辿る言い合いに、はぁとイシルビュートは大きなため息をついた。


「クレア、俺はお前に生きていて欲しいんだ。一緒に国を変えていきたい。お前には俺の手助けをして欲しい……俺のたった一人の弟子として」


「…………」


 お師匠様はずるいとクレアは思う。誰もかれもがクレアのことを「生き延びていた奇跡の聖女である第二王女様」と褒め称えるのに、イシルビュートだけはそう言ったことを一切言わない。

 今までと変わらず、あくまでも「弟子のクレア」として接してくるのだ……一月会っていなかったにもかかわらず、ごく自然に。それが当たり前であるかのように。

 こんな言われ方をしたら断ることなんて出来ないではないか。

 

「……私、魔術師の資格持ってないんです」


「これから取ればいいだろ。時間なんていくらでもあるんだから<・・・・>」


「……お師匠様は、ずるいです」


 心の内を口に出してみると、イシルビュートはふっと笑った。


「大切な人を失うのは、もう御免なんだ。一年以内になんとかする方法を見つけ出す。だからお前は、それまでに魔術師の資格を取っておけ」


「…………はい」


 会話が途切れ、少し開いていた窓から風が部屋へと吹き抜ける。

 何気無しに二人で外を見た。

 晴れ渡る空は鮮やかな青。そこに白い雲が浮かぶ。


 十二年間二人で暮らしていたこの家は今、柔らかな風が吹く、抜けるような快晴の空の下に存在していた。

 


---------



 ここまでお読みいただきましてありがとうございます。

 追放された魔術師が記憶喪失の少女を拾って弟子にし、共通の敵を打ち倒すという当初予定していた結末まで書き切る事ができました。

 これも読んでくださった皆様のおかげです。

 お気軽に感想などいただけると、作者は飛び上がるほど喜びます。

 

 アシュロンが王位にこだわった理由、裏に潜む巨大な陰謀、ロレンヌとの関係やクレアの寿命がどうなるか、イシルビュートが持っている杖の呪いの行方。

 はたまたアシュロンとイシルビュートの学生時代の因縁や、ビュート・アレクサンダーがあの村にいた理由、ハイドラが戻ってきてやりたい放題する話などなど。

 まだまだこの物語には語るべき事が沢山ありますが、ひとまずここで完結にいたします。

 続きにつきましては、ちょっと他の作品を書き終えてから再開しようと思っております。

 その時にまたお付き合いいただけると幸いです。


 では、最後になりますが執筆の原動力となりますので目次ページの☆を★に変えて頂き、ぜひこの作品の評価をよろしくお願いいたします!!


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魔術師の師弟〜追放された天才魔術師が拾った記憶喪失の少女、実はすごい出自でした〜 佐倉涼@10/30もふペコ料理人発売 @sakura_ryou

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