第103話 クレアは師匠に会いたい
「あれぇ、おかしいな。お師匠様どこに行っちゃったんだろう」
クレアは城の中を走り回りながらイシルビュートの姿を探していた。ドレスの裾をつまみ上げ、下品にならない程度の速度で走りつつ、つい先ほどまで謁見の間にいた師匠を探す。
ひと月前、国を揺るがす大騒動が起こったあの日からクレアはイシルビュートとまともに話せていない。互いにやることが山積みになってしまったので仕方がないことなのだが、クレアとしてはいい加減師匠と腰を据えて話したかった。
しかし探せど探せど城の中にはどこにもその姿が見えず。
「ドットーレさんなら居場所知ってるかな」
最近のイシルビュートは魔術機関の副官になったばかりで、よくドットーレと行動を共にしていた。本日も叙勲式の後に彼のもとを訪れていても何ら不思議ではない。よし、そうと決まれば魔術機関へと行こう。
クレアは立ち止まり、手近な窓を開ける。そして念のため左右をキョロキョロと見回して誰もいないことを確認すると、エイっと窓から飛び出そうとした。
「アンヌ様、こら、ダメですよ!」
しかし既のところで後ろから叱責の声が飛んでくる……クレアがそうっと後ろを向くと、そこにはツインテールのメイド、リリーが腰に手を当てて仁王立ちしているではないか。クレアは窓に足をかけたままに愛想笑いを浮かべた。
「あはは、リリー……」
「あはは、じゃないですよ。護衛達が心配していましたよ、アンヌ様がどこかに行ってしまった! って。もう、御身に何かあったらどうするおつもりなんですか」
「大丈夫だよ、私、すっごい強いから」
「それでも皆、心配なんです! あとドレスでそんな大股を開いたらダメですよ。王女様はそのようなことはなさいません」
「お姉様は大股開いて戦ってたけど」
「レイア様もドレスの時は歩幅を狭めて歩いておられます」
オデットとして再潜入していたリリーは再びリリーに戻っていた。ロレンヌの間者としての役割を終え、今ではクレア付きのメイドとして城で働いている。まだ味方が少ないので、こうして側に心から信頼できる人がいるというのは心強い。
だが今現在はちょっと厄介でもあった。
何が何でも逃すまいというオーラをまとったリリーを前に、クレアは一旦窓にかけていた足を絨毯へとおろし、そして胸の前で手のひらと手のひらを合わせた。
「お願い、リリー! 見逃して! 私もう一ヶ月もまともにお師匠様と話してないんだよ!? そろそろお師匠様成分が足りないの、このままだと枯渇して干からびちゃうよ!!」
「人間はそんなことで干からびません」
「干からびるの、精神的にっ!!」
立場が変わったクレアは怒涛の環境の変化についていくのがやっとであった。
アレヨアレヨと言う間に王族の居住区に一室を与えられ、ドレスを着せられ、髪を結われて化粧を施される。頑丈な守りの中に閉じ込められ、十二年のうちにあった出来事をつぶさに聞かれ、何がどうしてイシルビュートとともにレイア救出にやって来たのか詳細の説明をさせられた。
完全に籠の中の鳥状態で、このひと月はいく場所を厳しく制限されていた。師匠の元へ行こうにも、それを許してもらえないのだ。
さりとてクレアには、イシルビュートを自分の元へ来るよう命じることには激しい抵抗感と忌避感を持っていた。
自分と師匠の関係は、命じたり命じられたりする間柄では決してない。そんな事は絶対にしたくなかった。
だからクレアは会いたくなったら自分で探して会いに行く。
「お師匠様、魔術機関の副官になった上に男爵位まで貰ったんだよ? おめでとうの一言を言いに行くくらいいいじゃない! どうしてもダメだと言うなら、私、リリーを倒してでも行くから!」
クレアは構えた。胸元につけている、レイアから譲り受けたかつて幼かった頃の自分が渡したネックレスを外してピンとまっすぐリリーに向ける。手荒な真似はしたくないので、眠らせよう。
物騒な気配を察したリリーは眉根をグッと寄せるとしばしクレアを睨み、そしてため息をついた。
「……どうしても行くんですか?」
「どうしても、行く!」
クレアは心に決めていた。何が何でも今日こそは師匠に会いに行くのだと。
クレアとリリーはたっぷり三十秒はそのままにらみ合う。やがて意志の強さを感じとったらしいリリーは諦めたような表情を浮かべた。
「二時間、です。それ以上はごまかせませんから」
「ありがとうっ!」
クレアはパッと顔を輝かせ、早速飛行魔術を発動させる。
「帰って来たら、言うこと聞いてもらいますからね!」
「勿論! 大好き、リリー!」
久方ぶりに魔術を使い城を飛び出す。それは解き放たれた鳥のようで、クレアは晴れ渡る空の下を一目散に魔術機関に向かって飛行した。
魔術機関の四角い塔、その最上階まで滑空したクレアは窓辺にきっちりと寄って停止する。中を見ると、クレアに背中を向けるようにしてドットーレが書類を読んでいるのが見えた。
「ドットーレさーん! 開けてください!」
クレアは窓をコンコンコンと叩きながら大声を出す。勝手に開けることもできるがマナー違反だろう。それを言うならきちんと正面から入るべきなのであろうが、そんな事したら絶対に城に連れ戻されてしまう。クレアは可及的速やかに師匠に会いに行きたいので、万難を排する必要があった。
窓を叩く音に気がついたドットーレが首を巡らせ、クレアと目があう。それからぐるりと椅子を回すと、巨大な体躯を生かして手を伸ばし窓を開けてくれた。
「アンヌ様、おてんばは程々にしてくださいよ」
「十分大人しくしてたと思うんですけども」
苦言を呈すドットーレに反論したクレアはスーッと部屋の中へと入るとふかふかの絨毯の上に着地した。椅子に座ったままのドットーレは立ち上がろうとしたが、クレアは手を振って制する。
「あ、座ったままでいいですよ」
「しかしアンヌ様」
「いきなりお邪魔したのは私ですし、そもそもドットーレさんは背が高いので、座ってもらっていた方が目線が合って話しやすいと思います」
ドットーレは中腰になったまま足をスクワットさせ、座ろうか座るまいか迷った挙句、結局椅子に腰を下ろした。
その様子を見届けたクレアは早速本題を切り出した。
「お忙しいところすみません、ドットーレさん。お師匠様を探しているんですけど、どこにいるか知ってます?」
「あぁ、あいつならーーーー」
告げられた場所に、クレアは目を見開いた。そして口元が自分でも無意識のうちに弧を描いている事に気がついた。
喜びを隠しきれていないクレアの顔を前にして、ドットーレはふっと笑みを漏らす。
「悪いがクレアちゃん、行ってやってもらえるか?」
その問いかけにクレアは満面の笑みを浮かべる。
「はいっ! お邪魔しました!」
ネックレスを手にパッとその場からいなくなったクレア。その様子を眺めたドットーレは「俺もクレアちゃんにこのくらい慕われたい……」とポツリとつぶやいたのだが、それは誰の耳にも届くことはなかった。
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