第9話 VS毒竜

 クレアと師匠が住んでいる沼地のすぐそばにある毒の沼地は、テオドライトとロレンヌの間に存在する広大な場所だ。

 人間が徒歩で横断しようとすると三日はかかるだろう。そのくらい広い。

 そんなに広い場所の大部分を瘴気漂う死の大地に変えてしまったというのだから、先の大戦の激しさがうかがい知れるというものだ。

 大規模な魔術陣は複数の人間が関わって発動する。特に、これだけの場所に被害を出した魔術陣となると複合魔術陣を何人もの力ある魔術師で展開させ、発動させたのだろう。

 大戦から十二年も経っているのに瘴気は衰えるどころかますます濃くなるばかりなのだから全く始末に負えなかった。きっかけは大戦だとしても瘴気が濃くなった原因は毒竜に違いない。

 飛行の魔術を使えるクレアにとって広さは脅威になり得ない。

 多重に展開した結界と、対毒物無効化の魔術陣によって沼地を覆う瘴気も別に問題にはならない。しかし視界の悪さは結構厄介だった。



「もう、視界が悪すぎるーっ」


 飛びながらクレアは文句を言った。一歩先が紫色の靄に閉ざされていて何が出て来るかわかったものではない。気配察知と索敵、それに飛行の魔術陣に結界と幾重にも張り巡らせた魔術はクレアの魔力を地味に削って行った。


「毒竜だけじゃなくて魔物にも気をつけないとね。っと、早速いるじゃん」


 瘴気は人間にとっては毒の塊でしかないが、魔物にとってはこの上ないご馳走だ。喰らった瘴気を体内で栄養に変えてより強い魔物へと変化して行く。

 そんなわけでこの沼地に巣食う魔物達は通常の魔物より強力な個体ばかりだった。

 

殺人巨熊マーダーグリズリー四体に赤い悪魔レッドインプが五体……」


 猛烈な速度で飛行しながらも出現した魔物の個体を把握し、瞬時に攻撃の姿勢をとった。右手にペンを持ち、意識を集中する。

 円環が無数に現れ瞬時に魔物に向かっていった。


「ギッ……」


 魔物達がクレアの攻撃に反応するより前に円環が直撃し、あっという間に首と胴体が離れる。べちゃっと鈍い音がして沼地に体が崩れ落ちた。


「んーっ、楽勝ね」


 魔術陣は膨大な数があるが、複雑になればなるほどに魔力も消費するし、発動も難しくなる。数万もの魔術陣を完璧に記憶しておくことは不可能なため、通常の魔術師は厳選した魔術陣を魔術書に記しておくーーが、クレアはイシルビュートから学んだ大小様々な魔術陣の一切を完璧に記憶していた。 

 どんな状況でどんな魔術陣が必要になるのか。

 それを一瞬で判断できれば戦闘時に非常に有利だ。

 その後も出て来る魔物を簡単に一掃しながら飛んで行く。

 

 そうして飛んでいくと、目当てのそれはすぐに見つかった。正確な場所を把握していた上に暴れまわる竜の大きさが巨体すぎて、靄がかかった瘴気まみれの沼地であっても見つけるのが容易だった。


 初めて見るそれは、噂に違わず凶悪な見た目をしている。

 十メートルを超える巨体、紫色の毒々しい鱗に長い尾。何よりも特徴的なのは九つの長い首と頭だろう。それぞれの赤い双眸が不気味に光っており、見ているだけで終末的な光景だった。

 全盛期にはその圧倒的な力と九つの口から吐き出す猛毒により人類の半分を死に追いやったという。

 これがーー『死の運び手』『死神の代弁者』『人類の敵』『厄災の竜』、毒竜ハイドラ。

 そしてその威容に隠れるようにして一人の人間が沼地に這いつくばっているのもクレアはちゃんと検知していた。

 

 ハイドラの中央の首がゆらゆらと動き、口が開く。鋭い牙が何本もびっしりと並んだ口内はみるもおぞましいが、この後に起こるだろう展開を考えると怯んでなどいられない。

 それにクレアは、どちらかというと恐怖心よりも高揚を感じていた。

 強敵と見<まみ>えたことへの、背中から湧き上がるゾクゾクとする感覚。

 

「……はっ」


 舌が痺れるような胸の高ぶりを感じながら、クレアは素早くペンを抜いて魔術陣を展開する。

 青く光る魔術陣がハイドラと倒れている人物の間に割って入り、半円のドームがその人を中心に囲った。直後に吐き出された『毒の息吹』がドームを覆い尽くすも、全部を防いで中には入れない。 

 高難度の<魔術結界>だ。

 クレアはもう一つ、魔術陣を頭に思い浮かべる。<加速>によって一段階速度を上げたクレアは今しがた毒の息吹から守った人物のところへと弾丸のような速度で飛んで行った。


「大丈夫ですかっ!?」


「!?……あ、ああ……君は?」


 その人は、女の人だった。白銀の甲冑を身にまとい、ショートカットの金髪が血に塗れ、整った美しい顔を毒と瘴気にやられて青白くしている女の人だ。まだ若い。クレアより少し上、二十代半ばほどだろうか。魔術陣の刻まれた剣を沼地に突き立てて、荒い息をしている。

 誰なのか、一体何の目的でここに来たのか。

 聞きたいことは山ほどあるが、ゆっくり話している暇はない。


「!! 毒竜の攻撃が来るぞ!」


 鋭い声にクレアの判断は早かった。

 右手に握ったペン先から光る円形の魔術陣が浮かび上がる。

 あらん限りの防御魔術陣を甲冑の女の人に施すと、くるりと向きを変えて毒竜と対峙する。クレアの全身よりもなお巨大な顔が三つ、凄まじい速度で迫ってきて噛み砕かんと口を大きく開けていた。

 

 腰まで伸びた亜麻色の髪がたなびく。

 同時に四つの緑色の魔術陣が空中に展開した。


「ーー切り裂け!!」


 突如何もない空間から竜巻が現れ毒竜顔面を横殴りにぶっ飛ばした。

 毒竜は大きいが、それと同じほどの大きさを持つ竜巻が四つ突如襲いかかってきたことにより、竜の方も態勢を整えざるを得ない。禍々しい紫色の翼をばさりを広げると、竜巻を避けるべく地を蹴って大きく飛び上がった。

 その風圧により泥が飛び散り、クレアと女の人に跳ねかかる。

 クレアは女の人の腰を抱き、毒竜から目を離さないままに後方へと跳んだ。


「凄いな、君は……魔術師か!? 魔術書も杖もなしに、こんな大規模な魔術を放てるなんて」


「えへへ、私のお師匠様が凄い人なんですよ。それよりあなた、見た所だいぶ瘴気と毒でやられてますね? あとは私がなんとかしますから、休んでいてください。防御魔術陣をかけたので大体の攻撃は防いでくれますし!」


「何? 君一人であれと戦う気か? それは無茶だ、私も加勢する」


 女の人は気丈にそう言って剣を構えるも、毒にやられて呼吸は荒いし足は震えているしでとても戦えそうには思えない。それにクレアは一人で戦うことにも割と慣れている。師匠以外の誰かと共闘したことがない以上、慣れた戦法をとったほうがいいだろう。


「大丈夫です、ささっと行ってやっつけて来ますから」


「いや、毒竜の強さを甘く見ないほうがいい……っておおい!?」


 クレアは女の人をその場に残してぴうっと毒竜の元へと飛んで行く。

 竜巻から逃れた毒竜はそのまま滞空し続けており、十八もある赤い瞳でクレアのことを睨みつけている。足元からは毒気が漂い、周囲には瘴気がはびこり、おまけに巨大な竜がこちらを見下ろしている。まさに世紀末的な光景だ。

 しかしクレアは微塵も恐怖を感じておらず、負けるとも思っていなかった。

 腰まで伸びた亜麻色の髪をばさりとなびかせ、爛々と輝く猫のように大きな金の瞳で毒竜を見据える。


「よーし、毒竜め、来るなら来い!」


 右手に構えたペンを指先でくるくると弄んで回転させてから、ビシッと毒竜に突きつけた。

 久々に見える強敵との戦いにクレアの胸は嫌が応にも高鳴る。


 先手を取ったのはクレアだ。

 展開する魔術陣は先ほどと同じく風の魔術。

 火力が高いのは雷や炎なのだが、発火して爆発する類の毒を吐き出されたら厄介なために毒系の攻撃を仕掛けて来る敵には使えない。

 代わりに風の魔術で相手を切り刻むというのが師匠に教わったセオリーだ。

 

「ふっ!」


 かまいたちによる攻撃を仕掛けながら、クレアは跳躍した。

 毒竜は的が大きいために攻撃を当てやすいが、同時に頑強な皮膚を持っているために生半可な術では太刀打ちができない。いともたやすくかまいたちをはじき返すと、跳んできたクレアに向かって九つの首が一斉に口を開く。

 高密度な『毒の息吹』が繰り出され、周囲が紫色の毒霧で見えなくなる。

 その毒自体がクレアに届くことはないのだが、視界が遮られた。


「ガアァッ!!」


「っ!!」


 濃霧を盾にして間近に迫った毒竜の牙。

 クレアは最大限に防御結界を張りめぐらせる。

 しかし毒竜の攻撃力は、結界を遥かに上回っていた。バキリバキリと音がして、多重に展開した防御結界がその物理的な攻撃力により一枚一枚剥がされていくのを感じつつ、クレアは次の魔術陣を練り上げたーー攻撃技だ。

 右手より迸る魔力の奔流。渦を巻き、魔術陣が解放された。


衝破しょうは!」


 至近距離より穿たれた高密度に圧縮された風の衝撃波が毒竜の首を襲った。

 狙うのは真ん中の首だ。

 毒竜は再生能力に優れた竜で、真ん中の首を吹っ飛ばさない限り周りの八つの首はいくらでも再生する。故にクレアは真ん中の首に狙いを定めた。が、そうやすやすと狙い通りにはいかなかった。

 周りの頭が素早く盾になって中央の首を守る。

 一つの頭を撃ち抜いた衝破はしかしそれだけに留まり、魔術陣は霧散する。

 クレアが次の手を打つより前に毒竜の動きの方が早かった。

 背後から襲いかかってきた毒竜の長い尾がクレアの右手に鋭く迫る。反応するより素早い速度で突きを放ってきたその尾は、寸分たがわずクレアが手に持っていたペンを打ち抜き、ペンは手を離れて宙を舞う。


「ああっ!」


 毒竜はペンに尾を巻きつけると木っ端微塵に砕いてしまった。

 ペン自体はまあ普通の材質のものなので当然の結果だ。

 現在発動済みの魔術陣に関しては解けることはないのだが、しかしこちらの攻撃手段を封じられてしまった。

 まずい。


 クレアは予備になるものがないか自分の服をペタペタ触ったが、残念ながら何もない。

 急いで出てきたせいでペン一本しか持ってきていなかった。

 クレアは結構、おっちょこちょいだ。


「やばっ……どうしよう」


 そうこうしているうちにも敵の攻撃の手は緩まない。クレアはひとまず攻撃をかわしつつ地面に降り立ち、何か代わりになりそうなものを探す。が、生憎何もなさそうだった。

 普通だったら枝なり石なりを媒介にするのだが、この毒気に満ち満ちた場所は全ての草木の存在すら許さない死の場所である。草一本生えてすらいない。

 指先から魔術を放つことも可能だが、ブレが出る。

 精緻な図形である魔術陣は細い切っ先を持つ媒介が必須だった。

 

 やばいやばい。

 すごいカッコつけて助けに入ったにもかかわらず、クレアは早くもピンチだった。


 毒竜は待ってくれない。

 こちらのピンチを明らかに察知しているらしく、にたりと笑うと凄まじいスピードで滑空して襲いかかってきた。


「ーーっやばいーっ!!」


「おいっ、どうした、大丈夫か!?」


 絶叫を聞きつけた女の人が声をかけてきて、クレアは振り向いた。

 そうだ、あの人の持っている剣ならば媒介になるかもしれない。ちょっと大きすぎるし、重たいものはあまり媒介に向いていないのだがこの際そんなことは言っていられなかった。

 クレアは不安定な魔術陣で加速を施し女の人の元まで走りつつ、叫ぶ。


「媒介っ!! 媒介になるものが必要なんです!!」


「成る程!」


「その剣を貸してもらえませんかっ、て、それ!!」


 間近まで走って迫ると、女の人の胸元にキラリと光るネックレスが目に入った。銀色に光るそれはちょうどクレアの人差し指ほどの長さの棒状で、小さな金色の魔石と赤い魔石が嵌っている。


「そのネックレス、貸してもらえませんか!?」


「な、なんだと!?」


「ネックレス、媒介にちょうどいいから! 早く、早く!!」


 驚いたのか胸元に手をやって戸惑い気味の女の人に、クレアは迫ってそのネックレスをひっつかむ。ぶつりと音がしてチェーンがちぎれ、クレアの手中にネックレスがおさまった。


「ごめんなさい、あとでちゃんと返しますし直しますから!」


 右手に持ったネックレスを突きつけ、魔術陣を練り上げる。

 すぐそこに毒竜の凶悪な歯牙が迫っており、もはや一秒の余裕すらない。とにかく最速で出せる攻撃魔術で弾き返さなければ、とクレアは夢中で魔術陣を練り上げた。

 カッと光が走って、緑の閃光が視界を染め上げる。

 風の刃が乱舞してクレアの耳朶に風圧による空気の唸りが届いた。

 同時に毒竜の叫び声も。


 展開したのは中級の魔術陣で、今までの毒竜の耐性を考えるとさほどダメージを与える類の攻撃ではないはずだ。

 しかし実際はどうだろう。 

 直撃を受けた毒竜の鱗を切り裂き、無数の深い傷跡が顔中に残っている。青い血を吹き出した毒竜は苦悶の叫びをあげながら一度クレアから距離を取る。


 クレアは、気がついた。

 これがネックレスに嵌った魔石による魔術陣の増幅効果だということに。


「今まで……魔石付きの媒介を使ったことなかったけど、すっごい威力」


 ニヤァと笑い、好戦的な瞳を毒竜へと向ける。心なしか竜の表情がひるんだ気がした。

 これなら勝てる。

 自信と確信を持ったクレアは第二ラウンドへと突入すべく態勢を整えた。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る