第10話 ロレンヌ王国には無能と呼ばれる王子がいる
ロレンヌ王国の王都には崇高なる城が存在している。
国を統べるのは『賢王』ルードヴィヒ七世。そしてそれを補佐するのは第一王子ユリウス・アドリアーノ・ロレンヌ。ユリウスは四十一歳にして次期国王としての素質を備えていると呼び声高く、城内の貴族や国民からの人気も高い人物だった。
年老いたルードヴィヒを的確な意見で支え、剣の腕も国内随一。
臣下からの信も厚く譲位は時間の問題であり、即位した暁にはきっとロレンヌをより良き国に導いてくれるだろう、と口々に褒めそやされている。
逆に心配されているのは第二王子のヘンリー・レッセーニケ・ロレンヌ。こちらは二十五歳とまだ年若く、政治的能力が兄のユリウスに比べて数段ばかりか数十段は劣っている、と揶揄されている人物だ。見た目もユリウスが高身長、背筋が伸びすらっとしていて顔立ちも整っているのに対し、ヘンリーはちょっとなよっとしていた。
剣を取らせては兄に数段劣り、政策に関しても大胆さに欠ける。
「第一王子に比べて第二王子は無能だ」と影で囁く貴族も多い。
イシルビュートは今現在、そのヘンリーの私室にてゆったりとソファに座っていた。この部屋の持ち主であるヘンリーは窓の外を見やっていてこちらから表情は見えない。
イシルビュートは座った状態で窓の外を眺める。遠く王都の彼方、ロレンヌとテオドライト国境の沼地はこの城の上階にいると目視することができた。
ため息をつき、窓から目を離してヘンリーは振り返る。垂れ下がったまぶたが情けない印象を与える顔立ちに、情けない表情が浮かんでいた。
「それで、『荒野の魔術師』殿。あの瘴気をどうにかする手立てはないのですか」
イシルビュートは藍色の髪から同色の瞳を覗かせてヘンリーを見る。わずかに首を横に振った。
「現状だと難しいかと」
「そうかぁ」
ヘンリーは肩を落として落胆し気の抜けた笑顔を浮かべた。そのまま歩いて部屋を横切ると、ソファへと座る。
「国境の街には今にも瘴気が流れ込みそうで、なんとかしてくれという陳情が山の様にきていてね。兄上も困っているんだ。僕もなんとかしたいと思ってる。毒竜はどうだい? 討伐すれば瘴気も減るんじゃないか」
「皆、誤解しがちですが毒竜は瘴気とは無関係です。討伐したところで問題は何も解決しないどころか、却って状況は悪くなるばかりですよ」
「けれどね、荒野の魔術師殿。何か成果を見せなければ国民は納得しないんだ」
ヘンリーはますます困った様に眉根を限界まで下げて、首をふりふりする。
「なんとかならないかなぁ」
ヘンリーはすがりつく様な瞳でイシルビュートを見た。
イシルビュートとロレンヌ王国との付き合いはもう十年にもなる。
ロレンヌ王国はテオドライトとは異なり魔術師の数が少なく、扱う魔術陣も圧倒的に少なかった。ここに目をつけたイシルビュートが遺憾無く才能を発揮し、治水や飢餓を防ぐための対策を施したり衛生環境の向上に務めたりした結果、こうして城に自由に出入りするまでの権力を手にするまでに至った。
街での手助けにはクレアを連れていくこともあるが、城に来るときはいつも一人だ。先の経験から、王城の恐ろしさをイシルビュートは知っている。権謀術数渦巻くこの場所に無邪気なクレアを連れて来る気にはならなかった。
ユリウスに招聘されてロレンヌの城に来ると、こっそりユリウスに「弟の様子を見てやってくれないか」と言われるのもいつものことだった。
家臣になんと言われようとユリウスにとってヘンリーは血の繋がった弟だ。評判がよろしくないことを心配しているらしく、相談役になってくれと頼まれている。外部から来るイシルビュートならば、城内の人には言えないようなことも腹を割って話せるのではないか、という気遣いらしい。
もしここにクレアがいれば友人のような振る舞いと言動をしたに違いない。イシルビュートはクレアに、宮中での振る舞いというものを教えていなかった。何というか、彼女の性格を鑑みるに無駄な気がしたのだ。
クレアは魔術の才能が恐ろしくあるが、同時に危なっかしい性格をしている。
いつだったか留守番を頼んだ時、あろうことか家の中で炎系上位の魔術陣を発動させて家を半分吹っ飛ばした時もあった。危険を検知したイシルビュートが慌てて家に帰ったところ、バツの悪そうな顔をしたクレアがえへへと笑って「ちょっとボヤ騒ぎ起こしちゃいました」と言った時には額に青筋が浮かんだものだ。
家を半壊させた事もだが、そもそも家の中でそんな危険な魔術を使うという考え方がやばい。怪我がなかったのは不幸中の幸いだ。
そんなことを考えつつ、ヘンリーの提案を丁寧に、しかし頑として断る。
「俺は毒竜討伐は絶対にしません」
「何故なんだい?」
「何故でも何でもです」
「うーん、困ったな……」
頬をぽりぽりとかきつつヘンリーはちょっと肩を落とす。
「どうせ君も僕に話しても意味がないと思っているんだろう。役立たずの王子だと」
「役に立つか立たないかは自分の心持ちひとつだと俺は思っています」
「それだとまるで僕にやる気がないみたいじゃないか」
少し機嫌を損ねたヘンリーがムッとした声音になった。
「これでも僕は努力したんだよ。けど、執務の手腕は兄に到底敵わず、剣の腕では近衛兵にさえ劣る。人の上に立つような人間じゃないんだよ、わかるだろう?」
完全に自分に自信をなくしている王子は僻みっぽくそう言う。
こんな時、どうすればいいか。まあ単純な話をすれば励まして自信をもたせたらいい。これまで何度も何度も辛抱強く口にしているセリフを今またここで言葉にする。
「ヘンリー王子、ユリウス王子は貴方に期待を寄せています」
「そうかなぁ」
「そうです。だから出来る事をしましょう」
「出来る事……あまりないんだ」
二十五歳にもなる成人男性が、なぜこうも自信なさげなのか……イシルビュートにはちょっと理解ができない。こんな風に説き伏せるのではなく、もっと荒療治が必要なのではないかと思う。
反論しようと口を開きかけた時、右手につけているブレスレットのうちの一つが赤く輝き熱を持った。
とっさにそれを見つめーー。
イシルビュートの顔色がさっと青くなった。立ち上がり、早口で言う。
「申し訳ない、俺は急用ができました。今すぐ行かなければ」
「えっ……」
そんなイシルビュートの腕をヘンリーががしっと掴む。
「ちょっ、待ってくれ、まだ話の途中じゃないか」
「いや、本当に急用で」
「王族の僕を差し置いてまで行かなければならない急用とは一体なんなんだい?」
イシルビュートは苛立った。
ブレスレットの熱はチリチリと肌を焦がすほどの高温となっている。これは持ち主の命の危機の度合いによって温度が変わるのだが、かつてないほどの熱を帯びていた。
どう考えても、今現在このブレスレットを身につけている人物は瀕死の重傷を負っている。あっという間に熱くなったということは、じわじわと命を削られているのではなく即死レベルの攻撃を受けているらしい。
今にも死んだっておかしくないような状況だ。
ぎりりと歯ぎしりをしてヘンリーを睨みつけた。いつもは及び腰のヘンリーなのだが、どうしてか今日に限ってしつこかった。グイグイとイシルビュートの腕を掴み、絶対に逃さない、という意思をその瞳から強く感じる。
「答えてくれよ、荒野の魔術師殿」
事ここに及んで自分の事しか考えていないヘンリーにこれ以上構っている暇はない。
無理矢理に転移してここを去ろうとする最中、ヘンリーはなおも追いすがるような、追い詰められたような、こんな叫びを絞り出した。
「何処かに行こうというのならーー僕も連れて行ってくれ!」
「!?」
何を言っているのか理解しているのか。しかしイシルビュートはそのヘンリーの眼差しを捉え、見つめると、覚悟を決めた。
そして被っていた対王族様の物腰も脱ぎ捨てた。
「いいだろう。毒竜討伐がなぜダメなのか、教えてやる。だから巻き込まれる覚悟をしておけよ!」
イシルビュートは腰に挟んでいた細い枝を抜き取り、右手を振って魔術陣を展開する。
そして右腕にすがるヘンリーごと、ブレスレットの持ち主のところへと移動した。
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