第6話 第1章 ピアノ姫は森で惑う④

「こうして一緒に帰るのも久しぶりですね。」

 音楽教室に向かって歩いている途中にヒナコから言われる。そういえばそうだ。中学からサッカーばっかやっていたし、ヒナコもレッスンでなにかと忙しそうだったし。

「音楽室ではけっこう喋ってたけど、帰るのは久しぶりだね。」

「キョースケくんいつもサッカーで忙しそうだったし、それに・・・いっつもファンの女の子がいっぱいいるから、なかなか声がかけづらかったのよ?」

 ヒナコがいたずらっ子みたいに笑う。少し元気が出たみたいで良かった。

「そんなことないでしょ。いつでも声かけてきてよ。」

「あら?自覚がないの?・・・・・・・・キョースケくんはお付き合いされてる方とかいらっしゃらないの?」

 ヒナコが少し俯きながら聞いてきた。

「んーいないなあ。というか今までいたことないや。」

「意外ですわね。何人にも告白されているでしょ?」

「あーそれはそうだけど。あんまりピンとこなくてね。」

「それですと、恋愛自体に興味はあるのですね。それはそれで意外ですわ。」

「興味はあるよ!でもせっかく付き合ったりするならこっちも本気で行きたいわけよ。相手に無駄な時間取らせても申し訳ないし。」

「キョースケくんらしいですわね。ちなみにどんな子が好みなんです?」

 ずいぶんグイグイ来るなあ。まあ女子というものは恋バナが好きなんだろうな。

「んーーーこれといってないんだよね。ビビっとくるかどうかだけかもしれないや。」

「まあ男の子だから私に言えない恥ずかしい好みとかもあるかもしれませんし、あまり詮索はしませんけどね?」

 またしてもいたずらっ子みたいに笑うヒナコ。なんかテンション高い?

「ちなみに私はEです。」

「なんの情報なの!?」



「そういえばセーラさんとはどちらで知り合ったのですか?」

「うーーーんまあなんていうか、自分が押し掛けたって感じで知り合った。」

「まあ!ビビっと来たんですの?」

「というより、屋上からずっと部活を眺めてて変な人だなあって気になったらもう止まらなくてさ。つかまだ知り合って1日しか経ってないや」

 改めて考えると驚くな。1日しか経ってないのにすごい昔からの知り合いみたいだ。

「まあそうだったんですの!?あんなに仲良さそうだったのに不思議ですわね。」

「俺も不思議なんだよね。その雰囲気なのかな、もしかしたらヒナコともすごい仲良くできるんじゃないかと思って連れてきたんだ。」

「ええわかってましたわ。とても楽しい方で、すぐに仲良くなれそうです。」

「実はさ、ヒナコ最近元気なさそうだったからなにかできないかなって思ってたんだよ。」

 とりあえず本音をぶつけてみることにした。ヒナコは少し嬉しそうな顔をしていた。

「お気遣いありがとうございます。でも私は全然なんともありませんわ。」

 強がりなんだろうなきっと。でも問題が明確ではないから解決も難しい。

セーラに見栄を張って『君の才能を活かす』的なことを言ってしまっているから後には引けない。とりあえず、踏み込んでみよう。


 と思った矢先、目的地に到着してしまった。

「なんか入るのちょっと怖いな。」

「ふふっ。何言ってるのよ、はやく入って入って!」


「三門先生、こんばんは。」

「はいこんばんは、ヒナコさん。」

 たしか先生は60歳くらいだったろうか。昔とあんまり変わってない感じがする。見ための優しい感じがそのまま性格にも表れている人格者だ。

「今日はスペシャゲストを招いちゃいました。」

「あら?ヒナコさんが人を呼ぶなんて珍しいですね。どなたなの?」

「入ってきていいわよー!」

 ヒナコに呼ばれる。なんだろうすごく恥ずかしい。

「ど、どうもー三門先生。お久しぶりです。」

 目を丸くする三門先生。

「まあまあまあまあ、ヒナコちゃんの彼氏!?まあーーーーー!!!」

 先生がすごいはしゃぎ始めた。成長しすぎて分からなくなったのか?

「あら~こんなかっこいい彼氏ができたなんて!ヒナコちゃん美人だものねえ。お似合いよお似合い。あらあらお赤飯用意すれば良かったかしらねえ」

「ちっちがうから先生!よく見てよ!」

「ん~?よく見てもかっこいいわね、あなた。よし、ヒナコちゃんに相応しいか私がテストいたします。」

 そういうと先生がピアノの前に座るよう促してくる。

「では一曲弾いてみてくださいな?」

 目が本気だ・・・怖い。というかもしかして

「先生、気づいてますね?」

「なんのことかしら?私はヒナコさんのお相手にふさわしいかテストしているだけですよ」

 ここで音楽室でのヒナコの話を思い出す。

『先生もキョースケくんに会いたがっていたわよ。今度こそ一曲弾かせてみせるんだってね。』

「もう先生ったら、バレてますよ。」

 ヒナコが三門先生をたしなめる。

「んもう残念ね!・・・コホン。お久しぶりですね。キョウスケくん。こんな立派になって、この教室から脱走してはしゃいでいたころとは大違いですね。」

「三門先生こそお変わりなく、お元気そうで何よりです。」

「あらそんな丁寧な言葉まで覚えて、本当に立派になったわね~。もっと立派になるには一曲くらい弾けるようでないとダメですよ?」

「いやはははは、また次回ということで。」

「ところで本当にお二人は付き合ってないのかしら?」

 先生がニヤニヤしている。ヒナコは少し恥ずかしそうだ。

「付き合ってませんよ!今日は久しぶりにヒナコのピアノが聞きたくなって来たんです。三門先生にも会いたかったし。」

「あら~硬派ねえ。そこがいいところなのかしらね、ヒナコさん?」

「さ、さあ何のことでしょう?」


 レッスンが始まる。ヒナコは真剣な顔をしている。相変わらず、素晴らしい演奏だと思う。

 三門先生と俺はヒナコの邪魔にならないよう小声で少しだけ会話する。

「今日は来てくれてありがとうね、キョウスケくん。」

「ん?急にどうしたんですか?」

「あんなに楽しそうなヒナコさんを見るの本当に久しぶりなの。ヒナコさんずっと辛そうだったから。」

 三門先生には色々伝えたほうがいいと思った。この人はカギを握っているはずだから。

「実は・・・今日はその話を聞きに来ました。俺にできることがあればなんでも力になってあげたいんです。」

「・・・わかりました。明日時間があれば、ヒナコさんより先にここに来てください。少し、難しい話になると思いますので。」


 そうして、レッスンが終わった。コンクールが近いからか、かなり遅くまで頑張っていた。


「では、キョウスケくん。またいつでもいらしてくださいね。そして、一曲弾いていってくださいね。」

「ありがとうございます、先生。また来ます」

 俺はヒナコを家まで送る。近所であるから必然と帰宅ルートと重なる。

「キョースケくん、今日は楽しかったです。また、一緒に行きましょうね。」

「ああ。俺も楽しかったし、先生に会えて良かったよ。」

「・・・では、おやすみなさい。また学校でね。」

「おやすみ、ヒナコ」

 ヒナコは家に入っていった。

 さて、三門先生とのアポイントメントは取った。先生は何か知っている。ヒナコの悩みに着実に近づいている感じはするが、はっきりとしない。


「・・・くそっ。」

 もどかしさでいっぱいであった。テストやサッカーのほうが単純明快でうまくいくのにな・・・。



「それで?今から先生のところにいくのね。」

 昨日の出来事をセーラと屋上で共有する。

「ああ。セーラの言う通り先生はなにか知っているみたいだ。」

「ねえ、1つ聞いていいかしら。」

「ん?いいよどうした?」

「ヒナコとご両親は仲がいいのかしら?」

 なんでそんなことを聞くのだろう。・・・まさか!

「仲は良いと思うよ。多分家庭環境に問題はないと思うぞ!」

 よくこういった場合、家庭環境に問題がある場合も多いが、ヒナコには当てはまらないだろう。

「そんなのはヒナコを見ればわかるわよ。そうなってくるとキョースケ、あんたにはやってもらうことがたくさんあるわよ。」

 なんだ・・・?いったいセーラにはなにが見えているというのだ。

「セーラ、なにかわかったのかい?」

「まあだいたいのことはね。あとは確証と状況が必要って感じ。」

 セーラがもったいぶるように言う。昨日のもどかしい気持ちも相まって少し強く言ってしまう。

「それを共有しないか?仲間だろ。」

「いいえ。これは共有しても意味がないわ。もし、あなたが自分で気づくのならいいのだけれど、そうでないのならそのままの方がいいの。」

 セーラは真っ直ぐこちらを見て言った。セーラの強い信念が感じ取れたためか、思わずたじろいでしまう。

「・・・わかった。セーラのことを信じるよ。それで俺はなにをすればいいの?」

「ヒナコに気づかれないように、三門先生、ヒナコのご両親、ヒナコの友人から話を聞いてきてほしいの。もし可能なら、私も同席したい。」

 たったそれだけでいいのか。それなら俺にもできそうだ。

「わかった、任してくれ。とりあえず今日は、俺一人で三門先生のところに行こうと思う。そこでセーラのことも話そうと思うんだけれどいいかい?」

「いいわよ。私はこれからヒナコとガールズトークをしに行ってくるわ。」

 こういう行動は共有してくれる。やはり、共有してくれないことにはなにか意味があるのだろう。

 不意にセーラがニヤッとした。

「にしてもあんた、『俺がなんとかする』っていておきながら大したことないわね~」

 ・・・今、一番言われたくないことを言われた。なにも言い返せない。

「まあいいわ。私もヒナコには悲しい顔してほしくないからね。じゃ、お互い頑張りましょう。」

 そういうとセーラは音楽室に向かって行った。俺も三門先生のところに急がねば。


「いらっしゃい、キョウスケくん。」

 三門先生は優しく出迎えてくれた。

「紅茶でいいかしら?それとも麦茶の方がいいかしらねえ。昔から好きでしょう?」

「では、麦茶でお願いします。正直、走ってきたので疲れました。」

「ふふっ、昔と変わらないわね~。」

 一息ついた後、本題に入る前になぜ自分がかかわるようになったのかを話す。

「ヒナコのピアノは割と定期的に聞きに行っていたんです。でも、弾いている間ずっと楽しくなさそうというか辛そうで・・・俺、居ても立っても居られなくて。」

 先生は優しく微笑む。そして、ヒナコの現在について語る。

「あなたは昔から優しい子でしたね。そして行動力もある。素敵な大人に成長しましたね。」

「ヒナコさんはあなたご存じの通り、昔から神童と呼ばれるほど才能があり、さらには努力家で非の打ち所がないです。」

「しかし、残念なことに結果がついてきません。昔はコンクールでも圧倒的な結果を残してきました。中学生に上がったくらいでしょうか、ヒナコさんにこんなことを言われました。」

「『先生、最近ピアノを弾いていても前ほど楽しくないの。どうしてかしらね?』と。そのころからヒナコさんの成績は徐々に圧倒的ではなくなり、ついに抜かれ始めたのです。」

「正直、私は焦りました。楽しくピアノを弾くを教育理念としていた私はこのままでいいのか。もっと厳しくすべきではないのか。このままではヒナコさんの才能を潰してしまうのではないか。」

「しかし、彼女はそんな私の焦りを超えるほどさらに努力をします。『先生、ごめんなさい。またコンクールで負けてしまいました。もっとがんばります。』と言い、何時間も練習します。何とも言えない辛そうな顔で。私はハッとしました。」

「危うく私は忘れるところでした。ピアノは楽しく弾けなければ意味がないのだと。自分が楽しく弾けなければ聞いている人の心を動かすことなんてできやしないと。」

「それ以来ヒナコさんにうんと優しくしようと決めました。頑張っている人に頑張れなんて無責任なことは言えないものです。ヒナコさんがまたあのころみたいにピアノを楽しく弾ける日が来るまで支えようと思いました。」

「ヒナコさんにもその話をして、ヒナコさんはどうしたいのか一緒に話し合いました。彼女は高校3年間はコンクールに専念して、コンクールで勝ちたいと言うのです。ならば私はその目標に全力で楽しく応えるだけです。」

「ただ・・・ヒナコさんがピアノを楽しそうに弾くことはありませんでした。私の前では楽しそうに振る舞うのですがやはりどこか辛そうなのです。」

「キョウスケくん。やはり私の指導が悪いのでしょうか。もちろん楽しそうではないというだけで技術は上達しているのです。ただ、分からないんです。彼女がなぜ楽しくピアノを弾けなくなってしまったのか。」

 先生は少しだけ、目に涙を浮かべていた。

「・・・・・・・・・先生は悪くありません。もちろんヒナコが悪いわけでもない。」

 俺は知っている。サッカーの世界でも同じだ。努力した分結果に返ってくるなんてことはほんの一握りの人だけに与えられた特権であることを。才能だけではない、発揮する環境に適応する運だって必要だ。多分先生もヒナコもそのことをわかっているから高校3年間という縛りを設けているのだと思う。それ以上は心がもたないとわかっているから。

「私は正直に言ってしまえばコンクールなんてどうでもいいのです。彼女がなぜピアノを楽しく弾けなくなってしまったのか、どうしたら楽しく弾けるようになるのかそれさえわかれば。」

 先生が思わず本音をこぼす。先生の気持ちもわかってしまう自分がいる。

「先生。俺も・・・俺もヒナコには楽しくピアノを弾いてほしいです。実は、その問題をなんとかするために今、1人の仲間と行動しています。もしよければ、そいつともう一度来てもいいですか?あいつは実はもうなにかつかんでいるみたいなんです。」

 セーラから与えらえた仕事。セーラを同席させること。

「・・・それは本当かしら。でもキョウスケくんのお仲間さんならいいかしらね。こういったセンシティブな内容の話をあまり他人にしたくはないのだけれど。」

 先生はすこしためらいながらも承諾してくれた。

「ありがとうございます、先生。」

 先生に感謝し、さっそくだが次にセーラと来る日程を詰めようとしていたところだった。

     ピンポーン   

 チャイムが鳴った。

「はーい、今行きますね。」

 先生が応対する。聞き覚えのある女性の声がする。そして先生と女性が部屋にやってくる。

「あらーキョウスケくんじゃない!またピアノ始めたの?」

「香織おばさん!こんにちは。」

「あら?おばさんは余計よ、キョウスケくん。」

「あっ、すいません香織さん。」

「うふふっいいのよお。久しぶりねえ、元気にしてた?」

 ヒナコそっくりの外観、まだ20代といっても通じる若さを見せつけるこの女性は、佐咲香織ささきかおりさん。ヒナコの母だ。

 なんてタイミングがいいんだろう。このチャンスを逃すわけにはいかない。

「キョウスケくんはね、ヒナコさんを心配してくれててなにか力になれないかって相談に来てくれていたのよ。」

 先生が今の状況を説明してくれる。ナイスパス先生!

「へえ~!なあにあなたたち、付き合っているの?キョウスケくんなら大歓迎よ!」

「なんでみんな付き合ってるとかそういう話に持っていくんですか!?」

「あらあ~?学生の本分でしょ?恋愛っていうのは。キョウスケくんも随分かっこよくなっちゃたし、なんなら私が立候補しちゃおうかしら?」

 香織さんはヒナコと違いだいぶファンキーな感じだな。

「おじさんとヒナコが悲しみますよ。」

「冗談よぉ。それよりヒナコが心配ってもしかしてピアノのことかしら?」

「そうです。ヒナコにどうしたらまた楽しくピアノを弾いてもらえるか先生と話してました。」

「・・・そう。ありがとうね、ヒナコのために。あの子はねパパに似たのか真面目過ぎるのよね。たとえ辞めたって誰も責めやしないのにね。」

 香織さんもやはりものすごく心配しているようだった。

「あの香織さん。もしよろしければ、ヒナコのこともっとよく教えてもらえませんか?」

「!!! キョウスケくん、あなたも罪な男ねえ。ヒナコに今のセリフ言ったら喜ぶわよ」

 香織さんが笑いながら言う。

「いやそういうんじゃなくて、俺、本気なんです!」

「うふふふっ、わかってるわよ。かわいいわねホント。そうねえ、今度の休みにでもウチにいらっしゃいな。ヒナコは一日レッスンだろうからいないし。」

 さりげなくヒナコに内緒にしてくれている。なんて気が利く人だろう。

「やっぱりサプライズって大事よね。そういうのをさらっとやっているように見せるのもモテる秘訣よね!」

 やっぱただ色ボケなだけなのか?

「あと、すみません。この件で協力してくれている仲間が1人いまして、そいつも連れてっていいですか?」

「ええいいわよ。おいしいスイーツでも用意しておきましょうねえ。」

 よし、とりあえずセーラから言われた仕事をだいぶ進められたぞ。

「じゃあ私は帰るわね。キョウスケくん、まったね~」


 香織さんもレッスン費を払いに来ただけみたいだったのですぐに帰ってしまった。そろそろヒナコも来る時間だろう。俺も帰るとするか。

「先生、今日はありがとうございました。また来ます。」

「ええ、こちらこそありがとうねキョウスケくん。」


 さて、昨日今日でこんなに進捗が良いとは・・・。しかし、まだ全容が見えない。いったいなにが問題なのか、俺には本当に皆目見当もつかない。

 もどかしい気持ちはまったく収まらない。とにかくセーラと今日の出来事をいそいで共有しなければ。

 スマホを取り出したところで気づく。

「セーラの連絡先・・・知らないや」


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