旅人の思惑

 どうしよう。

 領主館の門を遠巻きに見つめ、途方に暮れる。朝食もそこそこに家を出たはいいが、勇み足は門番の姿を目にして止まってしまった。糸の納品は、毎週金曜日。授業と称してユリアーナが呼びに来る日もあれば、顔を出さない日もあった。昨日エッダが屋敷を訪れたことは、門番も知っているはずだ。要件を告げられない以上、門前払いを食うに違いない。

「君、どうかした?」

 出直そう。朝市が終われば、皆が一斉に仕事を始める。この場所は、耕地から丸見えだ。

「ねえ、君」

 戻ろう思った矢先に肩を叩かれ、エッダは飛び上がった。振り返ると、見知らぬ男が立っていた。つばの広い帽子に外套、背中からはみ出した大きな荷物。どうやら、旅人のようだ。

「君も、お屋敷に用事? ちょうどよかった。おじさんもなんだよ。だけど立派なお屋敷だろう。何回行っても気後れしちまってね」

 一緒に行こう。と、促されても困る。黙って眉を下げるだけのエッダに、男は不思議そうな顔をした。「もしかして、お約束がないのかい?」そのとおりではあったから、ひとまず首を縦に振る。

「おい、何をしている」

 威圧的な声が響き、再びエッダは飛び上がった。門番が向かってくる。旅商人のベルントと名乗った男に目礼で応えると、エッダを睨みつけた。

「ここはおまえが易々と来て良い所ではない。ユリアーナ様が情けをかけてくださるからといって、調子に乗るなよ」

 まあまあ、とベルントが大仰な仕草で取り成す。

「ユリアーナ様のご友人でしたか。でしたら、心配で来たのでしょう。私も、つい先ほど馬を預けたときにね、奥さんから聞きましたよ。ご結婚が決まったって。相手は、あのギュンター様だというじゃないですか。酷い話だ。そりゃ、ご友人が駆けつけるのも無理はない」

 門番が、顔を歪める。

「身の程知らずが。痛い目に合いたくなければ、さっさと行け!」

 一目散に大通りまで離れれば、足は自然と坂を上り始めた。何度も逃げ帰った道を、身体が覚えてしまっている。だが、今は恐怖よりもベルントの言葉で頭がいっぱいだった。酷い話とは何だ。どういう意味だ。

 死んでしまった方が楽かもしれない。ふと、ユリアーナの暗い声が蘇る。似つかわしくない、沈んだ顔。あれは、エッダの今後を想像し憂いているのだと思っていた。突如として浮かび上がった別の可能性に、しばし呆然と立ち尽くす。彼女が、死を……? 

 慌てて、エッダは踵を返した。もし、彼女が望まぬ結婚を強いられているのだとして。自分にできることはない。それでも、ユリアーナが対峙する絶望の理由すら知らないで、送り出すのは嫌だった。

 朝市を賑やかす物売りの声。一日の始まりに活気づく人々。川のせせらぎと、それを跳ね上げる水車。鍛冶屋からは金属のぶつかる音が響き、犂を引く馬の蹄が土を蹴る。はしゃぐ子どもに、犬が吠え、ガチョウが鳴く。

 その喧騒をすり抜け、エッダは村を出た。


「あれ? さっきの子かい? どうした?」

 幸い、さほど待たずしてベルントは現れた。彼の方から話しかけてきたことに安堵する。口を開き、そして閉じた。また開き、はくはくと息だけが漏れる。荒くなる呼吸を落ち着け、なんとか絞り出した。

「教えて。リアナの結婚のこと」

 ベルントが目を丸くする。

「こんなところで待ち伏せして、お嬢さんは何が知りたいのかな?」

「ぜ、全部」

 全部ねぇ、と探るような目つき。空気が張り詰めたのも束の間、嘘のように軽い調子で彼は続けた。

「……ま、話してもいいが、いつまでもここでぐずぐずしているわけにもいかないんだ。一緒に来るって言うなら、道中いくらでも語ってやるがね」

「一緒に?」

「なに、そんなに長くかかる話でもない。聞き終えて引き返せば、昼飯には間に合うだろうさ」

 少し躊躇い、頷いた。ベルントが、西へと馬の首を向ける。

「お嬢さんは、どこまで知ってる?」

「結婚して村を出る、とだけ」

「じゃあ、今日はお祝いに?」

 エッダが小さく首肯すると、ベルントは鼻を鳴らした。

「なら、門番に感謝すべきだ。会えなくて良かった。とても祝える結婚じゃない」

「でも、相手は偉い人だって」

「なまじ偉いからたちが悪い。甘やかされて育った典型的なお坊ちゃまが、そのまま歳を取っちまった。金遣いも女遊びも酷い。おまけに癇癪持ちで、少しでも気にくわないことがあれば殴る蹴るの暴力沙汰。その周りには、ギュンターに追従して甘い蜜を啜ろうとするやつらばかり。その中へ飛び込むってんだから、ユリアーナ様にとっちゃ災難だろうよ」

 あのとき、ユリアーナはどんな気持ちでいたのか。彼女の報告を受け、自分のことしか考えなかった。それが今更になって悔やまれる。

「ここまでは、有名な話だ。災難ではあるが、そう珍しいことでもない」

 そしてここからは、あの子も知らない話だ。と、様子を窺うように、ベルントが

エッダを見た。

「ギュンターは仮にも次期領主、いつまでも独り身でいられては困る。世間体、は既に散々だが、跡継ぎの問題もあるからな。だが、当然どこからも相手にされない。それで、押し付けられたのがクラウゼ家だ。ちょうど女の子が産まれたばかり。身分は劣るが、断られる心配もない。その女の子が年頃になったら、うちのギュンターと結婚させよう。ということになった」

「それが、リアナ」

「いいや、違う。姉の方だ。正確には、姉とされている、クラウゼ家の一人娘の話だ」

 ひとりむすめ。

 馬が、ぶるりと体を震わせた。積み荷が擦れ、キイキイと嫌な音を立てる。

「何を、言ってるの?」

「自分たちの大切な娘が、あれの下で苦労することになるのは我慢ならない。魔の手から逃れる方法は、ただ一つ。ギュンターを、別の誰かと結婚させることだ。と言っても、クラウゼ家であてがえるような身分の者では領主側が良しとしないだろう。

だったら、身代わりをクラウゼ家の子として差し出せばいい。そのために迎えられたのが、ユリアーナだ」

「うそ……」

「正直、詳しいことは分からん。両家の思惑も、推測でしかない。確かなのは、金の巻き毛に碧眼の赤子を裏でクラウゼ家が探していたこと。条件に当てはまった彼女が、大金と引き換えに売られたこと」

「嘘よ」

「信じられないかい。かまわんさ。全部教えてくれと言うから、俺の知っていることを話しただけだ」

 ベルントの言うとおりだ。彼が嘘を吐く理由もない。だが、そう簡単に信じられる話でもない。

「証拠はないの?」

「証拠ねぇ。証拠になるかは分からんが、マリアンネに会ってみるかい?」

「え?」

「病気っていうのは、結婚を逃れる口実だからな」

「でも、森で」

「療養中、ってやつか。屋敷に住んでりゃ、病気を装おうにも限界があるからな。森で伸びやかにお育ちだよ」

「本当に?」

「ピンピンしてるのを見りゃ、少なくともあの一家が嘘つきだってことは分かるだろう」

「だけど、どうやって? 森には入れない」

「健康な娘が、何年も森の中に閉じこもっていられると思うか? 森を抜けた先に、バーリッヒという街がある。そこは、ツヴァイク領じゃないからな。羽振りの良い親子の正体が、ばれる心配もない。近々、バーリッヒでは見本市が開かれるんだが、クラウゼ親子も間違いなく顔を出すだろう。ヒスベルクから森を抜けるよりは遠回りになるが、このまま向かえば、明日の夜には着ける。俺も進む方角は同じだ。お嬢さんが確かめに行くってなら、バーリッヒまで面倒見よう」

 ちょうど懐が温まったばかりなんだ、とベルントは片頬を上げた。

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