最終話 月夜に出会ったオンナノコ

泣きじゃくる朱希ちゃん。

必死にそれを―男であることを隠そうとする朱希ちゃん。


「見ないで…詩音さんにだけは…あなたにだけは…こんな形で知られたくなかった…」


その涙は、あの時、病室で見せた朱希ちゃんの涙と一緒だった。


あの涙は…朱希ちゃんの、信じられないほど激しい、内面の闘いの証拠だったんだ…


キッと、目の前にいる男を見やる。


不思議な気分だった。


怒りは、限度を超えると、こんなにも穏やかな気持ちになるのか…


下種男に視線をくれると、げらげらと品の無い笑いをまきちらした。


「へ!…だれだか知らねぇけどお前もこいつの仲間か?美人だけどやっぱ男なのか?あぁー?」

「い…いやぁー!!!!」

「がはははは!まさかこんな可愛い高校生が男だったなんてなー!!はははは、とんだ変態女装野郎だったぜ」


その男の言葉に、朱希ちゃんが耳を塞ぐ。

それにも関係なく、大声でわざと朱希ちゃんを中傷していく。


心臓が、ぎゅうっと縮こまる。

この言葉が、どれほど朱希ちゃんを傷つけているのか、この男は理解していない。

何年も、心の傷になることを、理解していない。



―分からせてやろう。


ゆっくりと、近づく。


男が反応した。


「な、なんだよ!お、俺はなぁ、がっかりしたぜ。いくら可愛くたって男とはヤれねぇからな!せめてしゃぶらせてやりたかったが、途中でてめぇが入ってきたから興ざめだ。」

「…」

「あーあ、苦労して連れ込んだのに損したぜ。おい、もういいぜ。連れて帰れよ、そこのおかま野郎を…ヨ!?」


ガン!!


松葉づえに、大きな衝撃が伝わる。

男の顔の、数センチ横にずれた位置に、松葉づえをつきたてた。


とたん、男が蒼白になる。


「な!な、なにしやがる!!て、てぇ出してねぇんだ…うわぁあああ!!!」

「―動くな」


ガン!!!


「あ、あああああ!!!や、やめろ!!!やめろ!!」

「―しゃべるな」


ガン!!!!


男の首皮を一枚だけ抉ってやる。


汚らしい豚のような悲鳴が響く。


「ぎ…ああああああ!!!!」

「口を開くな。しゃべると喉を潰す」

「―!!!!!!」

「ゆっくり仰向けになって脚を開け」

「ひ…た…たすけ…」

「口を開くな、と言ったが?」


ガン!!!!


同じ個所を、もう一度、少しだけ抉る。

わずかに出血した。


「ぎ…あああああああ!!!わ、分かった!分かったから!!」


男が言われたとおりに仰向けになり脚を開く。

私はそのままその男に跨り、松葉づえを持ち上げる。


男が顔面蒼白になり、大声で訴える。


「や、やめろ!!な、何するか分かんねぇけどやめてくれ!!やめ…」


ガン!!!!!!


「―っひ…ひ…」


開いた脚の付け根…股間から数センチを狙って思いっきり杖を打ち下ろす。


「―お前の言葉は朱希ちゃんの一生を傷つけた」


ガン!!!!!!


さらに股間からの距離を狭め、わずか1センチ余りの箇所を全力で狙って打ち下ろす。


「ひっ…ああああああっ!!!!」


「―お前の言葉は、朱希ちゃんが闘ってきた今までをすべてぶち壊した」


ガン!!!!!!


「ぎゃあああああああ!!!!」


太ももを少しだけ抉る。

肉が食い込んで血がにじんでいる。


「―お前のしたことは…絶対に許されない。言ってしまった言葉は取り消すことなんてできない。だから…私はお前を許さない」


すぅっと杖を持ち上げる。


股間の直上に狙いを定める。


男が苦痛と恐怖で喚き散らす。


「や、やめ…お、俺が…わ、わるか…ほ…ほんとに…だ、だから…それだけは…それだけは…」

「…自分が言った言葉の意味を噛み締めてみるんだな」

「や、やめ…う…ああああああああ!!!!!」


ガン!!!!!!!!!!!



男の股間から、数ミリの位置に杖をたたきつけた。



じょろろろろろ…


とたん、男の股間から不快なアンモニア臭が漂ってくる。


「ひ…ひぃ…ひぃ…殺される…殺される…」


だらしなく尿をまきちらす下種男を見下げ、もう一度呼びかける。


「―おい。」

「―ひ、ひぃ!!」

「パンツを脱いでみろ」

「―っや、やめ…ゆ…許して…た、助けて…助けて…」

「―朱希ちゃんは何度もそう言っただろう?」

「―っ!あ、ああ、あああ…」

「早くしろ…杖が重くて狙いが外れる」

「―ひ、ひいいい!!!!」


がちゃがちゃと、ベルトを外す音。

やがて、男の尿にまみれた陰部が露わになる。


さすがに直視するにはためらわれ、顔をしかめながらこう言った。


「汚い…もはや必要ないだろう?取ってやる。」

「―や、やめ、やめ、やめ…」

「動くと余計に痛いぞ?動くなよ…」

「ぎ…ああああああああああ!!!!」


―!!!!!


寸止めしたところで、男が泡を吹いて気絶した。


「…ふん…」


これで朱希ちゃんの傷が癒えるはずもない。

しかし、この男はこれで、朱希ちゃんが抱える傷の、数百分の一くらいは、痛みを知ることができただろう。


だらしなく伸びる男を蹴り、隅で怯えていた朱希ちゃんに、ゆっくり近づいた。

私が着ていた上着を羽織らせてあげる。


「…朱希ちゃん…」

「…詩音さん…詩音さん…私…私…」

「今は…帰ろう?…お家に。」

「…うん…」


その後、警察がやってきて、朱希ちゃんが強引に連れ去られ、暴行されるところだったことを話した。

被害者である朱希ちゃんも当然事情を聞かれることになったが、今日はひとまず勘弁してほしい、と警察に願い出て、私も朱希ちゃんもパトカーで家まで送ってもらうことになった。


家に帰ると大変だった。

ご主人も奥さんも泣きながら朱希ちゃんを出迎えて、朱希ちゃんも安心して、堰が切れたかのように泣き…。



その後警察の対応などをご主人に任せ、私と朱希ちゃんはすぐに入浴しに行った。


「…」

「…」


互いに言葉が出ない。

でも、つないだ手だけは、離したくない。

そんな思いを、多分私も朱希ちゃんも抱いていた。


女湯の浴室まで来て、初めて朱希ちゃんが手を引こうとする。

私は構わず、強引に女湯に連れてくる。


「あ、あの…し、詩音さん…私…私…」

「…いいから。一緒に入ろう?ずっと、ずっとそうしたかったの。」

「…は、はい…」


そういうと、私は恥ずかしがる朱希ちゃんの前で、するする、と服を脱ぎ、タオルを巻く。


恥ずかしがる朱希ちゃんも、観念したように服を脱ぎ始め―

同じようにタオルを胸の位置で巻く。


朱希ちゃんが股間を押えたままなのを見ないふりをして、私は朱希ちゃんと手を繋いで湯船に浸かった。


背中同士をくっつけるようにして、一緒に浸かる。


「ふぅ…」

「…」

「ふふふ…やっと一緒に入れた。ずっとね、朱希ちゃんとお風呂に入りたかったんだ」

「…」


無言の朱希ちゃん。

でも、何かを決心したように…こう続けた。


「詩音さん…どうして…今まで通り接してくれるの?私、だましてたのに…男の子だったのに…」


涙がこぼれていく、朱希ちゃん。

すすり泣く声が、背中から聞こえる。

その声にこたえるように、私は続ける。


「…私ね、朱希ちゃんに秘密にしてたことがあるの」

「―え?」

「実はね…私、女の子にばかり告白されるの」

「…っ!」

「私自身は、別に女の子が好きなわけじゃないの。そう思ってたし、高校生の時も、大学生の時も…それに…社会人になってからも…色んな人に告白され続けてるけど、だからって私が同性を好きになんかなれっこない!ってずっと思ってたの。」

「…詩音さん…」

「もっと言うとね。私、恋愛自体興味なかったの。大学のころに一度だけ彼氏がいた時期もあったけど、1週間と持たなかったし。原因もね、私に執着心がなさすぎたの。ふふ、だって、付き合うって言っても、やっぱり好きっていう感情が良く理解できなかったんだもの。」

「…そう…だったんですか…」

「…だからね、恋愛なんてくだらなくて、人生において不要な要素でしかないってずっと思ってた。それよりも、いかに教養を身につけ、社会に貢献できる力をつけるか、そんな事にばかり興味があってね…」

「…」

「そんな時よ。朱希ちゃんに会ったのは。」

「―っ!」

「ちょうど…そうね、こんな月がきれいな日だった。海辺にいると、一人真っ暗な海を進む一人の女の子がいた。」

「…それは…」

「その子はたぶん、ずっとずっと自分と闘ってたの。いいえ、自分の周りの人間や、環境や、自分じゃどうしようもない、世界そのものと。誰にも言えず、心の傷を負って、それをずっと抱えていた。だからその女の子は、世界と闘うことに疲れてしまったの。」

「…詩音さん…」

「そんな女の子を傍で見ているうちにね。何か…心がぎゅっと締め付けられるような、苦しいような…でも嬉しい…温かい…そんな気持ちになるのに気付いたの。」

「…っ!」

「その子が時折見せる暗い顔を見るたびに。時々見せる、うぶな反応を見るたびに。その子の…笑顔を見るたびに。私の胸は、トク、トク、トク…って鳴り響くの。もっと笑顔が見たいって。」

「―し、詩音さん…!!」

「それに、今日あんなことがあって、はっきりしたの。ずっとずっと、私は朱希ちゃんの苦しみを、どうにか和らげてあげたい。少しでもいいから、その闇を明るく照らすのを手伝ってあげたい。大好きな人の、明るい笑顔をずっと見ていたい。そう思ってたんだって…」

「…詩音さん…」

「あれだけ自分が同性に好かれて嫌な思いをしてたのに、私はやっぱり同性愛者なのかなって思う時もあった。しかも、私の半分も年が離れてる女の子に、こんな思いを抱くなんて、って…」

「…」

「でも…朱希ちゃん。」


ざば、と朱希ちゃんの方を向く。

朱希ちゃんの顔は…涙で、濡れていた。


あぁ、この顔だ。

嬉しそうに泣く、この顔を、ずっと見たかった。


そっと、私は伝える。

ずっと言いたかった言葉を。

朱希ちゃんに会って初めて出会えた言葉を。


「やっぱり…朱希ちゃん…好きなの。恋愛対象として。」

「―詩音さんっ!!」

「きっと、ずっとずっと、悩んでたんだよね。私には、その重さは計り知れない。でも…一緒に、背負ってあげることは、できると思うの。」

「…ひっく…詩音…さん…」

「…朱希ちゃんが男の子でも。女の子でも。私は朱希ちゃんに恋してるんだよ?」

「詩音さん!!」


ざば、と湯船が波立つ。

朱希ちゃんの温もりを感じる。

朱希ちゃんの涙が、私の頬にも伝わってくる。


「私も…私も、ずっと詩音さんに惹かれていました。あった時から、ずっとです…でも…私は、ずっと『性別違和』に苦しんできました。この男の子の身体が、憎らしかった。膨らまない胸が、大きくなるおちんちんが、たまらなく嫌でした。なんで私は女の子じゃないんだろう。ずっとそう思ってました。」

「…朱希ちゃん…」

「でも詩音さんに出会って…混乱しました。どうしようもなく詩音さんに惹かれて…。でも私の心は女の子のはずなのに、どうして同じ女の人に惹かれるんだろうって。でも、私の中の男の子は、どうしようもなく詩音さんに反応して…」

「…あー…それは…ひょっとして昨日の…」

「…驚いたんです…すごく…その…エッチな夢を見て…詩音さんが、すごい煽情的なことをして…そ、それで寝て起きたら…む…『夢精』してて…だから何が何だか分からなくて…結局私は男なんだって思い知って…もうどうしようもないって分かって…」

「朱希ちゃん…」

「でも…詩音さんが言ってくれたように…私も、やっぱり詩音さんに恋してるのは変わらないって、そう思いました。私が男の子でも、女の子でも、詩音さんへの恋心は、だれにも邪魔されることはない。だって、思いは自由だから。」

「…朱希ちゃん…」

「…詩音さん…」

「目…閉じて?」

「―っ!!」

「ん…んん…」

「ん…!!」


朱希ちゃん…私の好きな、オンナノコ。

身体は男の子だけど、だれよりも女の子らしく、可愛らしい。

少し垂れた瞳が、とってもキュート。


そんな朱希ちゃんとのキスは

何よりも甘くて、濃厚な味がした。


私の、大切な年下の恋人は、蕩けたような表情で、私を見上げている。


私の、イケナイ虫が騒ぎだした。


「…朱希ちゃん…私も経験少ないから…」

「―!!!!」

「…い、一緒に…オトナになろうね?」


ボン!!!!と湯気を出したみたいに真っ赤になった朱希ちゃんも可愛い。


そんなことを考える私は、欲求不満なんだろうか。

何せ初めてできた恋人だ。

分からないことだらけだ。


でも、ひとまず、今日のところは唇を。


もう一度、うるんだ瞳でおねだりするかのような朱希ちゃんに、唇を重ねた。


人生に、恋は必要だったんだ。

これからそれを、朱希ちゃんと一緒に証明していこう。

ね、朱希ちゃん。


お・わ・り


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