第2話 少女との再会

「―ん…?ここは…?」


うっすらと目を開けると、見たことのない部屋だった。

真っ白な部屋。カーテンで区切られたベッド。


「…どこ…?―つぅ…!!」


ずきん!と左脚に鋭い痛みが走る。

かろうじて視線をそこにやると、何が私に起きているのかを私の頭が理解しようとフル回転し始めた。


「…そっか…私…階段で足を…」


ギブスでがちがちに固まった脚と、その痛みで、私は階段から足を滑らせたのを思い出した。


そして、思い出したのは…あの光景。


波の中に入っていく少女。

夜の海の向こう側を真っ直ぐ見つめ…そう、なにかに取りつかれたように…いいえ、もしくは、何かに疲れてしまったみたいにも見えた、あの少女が、海に飲まれようとしていた、あの光景。


「あの子は…あの子はどうなったの…?」


ひょっとしたらあのまま…?

そんな…!


私がどうやってここに運ばれたのか分からない。

でも、私よりもあの少女を助けて欲しかったのに。


見回しても、どうやらこの病室には私しかいない。


あの光景を思い出し、あの子を心配していると、突然、ドアが開いて一人の少女が入ってきた。


「―あ、よ、よかったぁ!目を覚まされたんですね!」

「あ、あなたは…!!」


一瞬の間、時間が止まったようにその少女が私を見つめる。

歳の頃は、15、6歳だろうか。

肩甲骨あたりまで真っ直ぐ伸ばした、綺麗な黒髪。

少し垂れた目が、どこか甘えたような印象を与えている。

この少女の表情が、さっきまで思い浮かべていた光景と重なる。


「よかった…!私のせいで…私のせいでこんな目に遭わせてしまったから…」


大きな瞳が真っ直ぐ私を見つめて…そして、みるみるうちに潤んでいき、涙で溢れていく。


大きな声で謝りながら泣いているこの少女は―


あの時、海に入っていたあの子だった。




「…落ち着いた?」

「…は、はい…ご、ごめんなさい…もう何日も目を覚まさなかったから、打ち所が悪かったのかなって…もう気が気じゃなくて…」


しばらく私の傍で泣き続けたその少女は、ようやく落ち着きを取り戻し、ナースコールをしてくれた上で、状況を説明してくれた。


私の悲鳴が聞こえ、我に返ったこの子が、救急車を手配してこの病院まで付き添ってくれたようだ。


私の状態は、左足が骨折していて、その他にも全身に打撲があったようで、発熱も続いていたらしく、その夜から3日も経って、ようやく今目を覚ましたらしい。


私の様子を見て一安心した看護師さんが、先生が後で回診に来てくれるから、と言い残してまた病室を出ていった。



それを見送って、改めて私はその子を見て…私が思っていたことを口にした。


「…私ね…ホントに驚いたの。お酒を少し飲んでたから気のせいかな、とも思ったんだけど…でもあんなに明るい月夜だったから、見間違いのはずがないし…。真っ暗な海に向かってあなたがどんどん歩いていくのを見て背筋が凍っちゃって…」

「…ごめんなさい…本当に…」

「あ、あぁ、別にいいのよ!あなたが助かったのが分かって、本当に安心してるんだから。もし私だけが助かってて、あの女の子に万が一のことがあったら…って思ってたの。」

「…本当に…馬鹿なことをしたなって…」


とめどなく溢れる涙が頬を伝う。

長い睫が濡れ…潤んだ瞳が私を見つめる。

その表情が、なぜかたまらなく綺麗で…

少しハスキーな声が、年に似合わず色っぽく聞こえて…


―っ!!


思わず、私は息をのんだ。


なぜか私は、その少女が後悔の涙を流すその表情に、胸を締め付けられるような思いがした。


キュン、と…甘く、どこか切ない胸の痛み。



今まで、可愛い女の子からもたくさん愛の告白をされたし、頬を赤く染めて、瞳を潤ませて私を見るその表情は、同性から見ても可愛いなとは思っていた。


でも、だからと言って同性と恋愛しようと思うには至らないわけで。

だから私に思いが伝わらない、彼女たちの涙も同時に見てたけれど…


―でも…なぜ、この子には、こんな気持になるんだろう―



そんなことを頭の中で必死に考えているうちに、心の中である欲求が頭をもたげはじめる。


―あぁ、この子を抱きしめたい。この胸で抱いてあげたい―


自慢じゃないが、肩がこるほどの私の双丘で、思いっきり甘えさせてあげたい!


涙にくれるその子を見ていると、そんな邪な考えが浮かび始めてしまう。



よく考えると、この子が自殺を図ったりしなければ、私はきっとこんな風に怪我なんてしなかったし、二日酔いに苦しみながらも翌日をいつも通りに過ごしていたと思う。


でも、それがなければ―この少女とも出会えなかった。


そう思うと―私のことを思って…そしておそらく、彼女自身の心の底に閉じ込めた、深い闇を思って泣いている、その少女に…今まで私が感じたことがない、強い感情の高まりを感じてしまう。


肩を震わせるその少女に…手を伸ばす。


そう。なるべく自然に。


自信をもって、朽木詩音!

これは、やましい下心なんかじゃないの。

涙にくれる、いたいけな少女を慰めてあげる、大人のオンナとしての行為!


そんな考えがぐるぐると頭を駆け巡っている私。


ドキドキする瞬間。

そして、私がその少女を抱きしめようとしたまさにその時。


―ピルルルル。ピルルルル―


「―ぐす…あれ?携帯ですか…?」

「―っちぃ!」


私のじゃないか。くそ!電源まだ残ってたのか。

いっそのこと電池切れになっていればよかったのに!


―もう一歩のところでチャンスを逃してしまった。

もし携帯が鳴らず、上手くいっていたら―!


そう思うと、心臓から羽が生えて飛んで行ってしまいそうだ。


…それにしても、なぜそんなことに気落ちしてしまうのか。


同性に対してそんな気持になるなんて、と思いながら電話に出ると―


「―やっとつながった!朽木君、大丈夫か?生きてるのか!?」

「―へ?あ、課長ですか?」

「何があったんだ?もう火曜日なのに昨日から出勤してこないし、年休を取るとも聞いてなかったし。何度も掛けたがつながらなかったから心配してたんだ」


しまった。そういえば仕事が…


「申し訳ありませんでした…」

「あ、ああそうだが…いったい何があったんだ?」

「実は…」


医者の回診がまだなので詳しいことは分かりませんが、と前置きし、骨折で入院していることや、打撲や発熱もあったことを伝え、ひょっとしたら長くかかるかも、と伝えた。


「―そうか。それは大変だったね。」

「こんなことになってしまってご迷惑をおかけして…」

「いやいや、これを機に少し休んでおきなさい。朽木君は仕事に打ち込みすぎだからね。後輩にも仕事をさせるいい機会になる」

「―ありがとうございます」


パタン、と携帯電話を閉じると、その少女が傍で私をじっと見つめていた。


再び高鳴る私の心臓。


―いったいどうしちゃったの?ホントに…


胸の鼓動を忘れようと頭をぶんぶんと振っていると彼女が話しかけてきた。


「…ごめんなさい。お仕事もお休みすることになって…」

「え?あ、い、いいのよそんなの。滑った私が悪いんだし…」

「でも…でも…」


再び涙がこぼれそうになる少女。

それを見て、ぷつん、と私の何かが切れてしまった。


思い切って彼女に腕を伸ばし、胸に押し付けるように抱きしめた。


「―きゃっ!」

「…いいの。あなたに何があったか、今は聞かない。でも…きっとすごく何に追い詰められて、どうしようもなくて…ああするしかなかったんでしょうね…」

「…う、うぅ…ぐす…」

「…あなたが助けてくれたから、こうして手当が受けられてるの。仕事ばっかりしてたし、正直、さっき課長に言われたとおり、ちょうどいい休暇になるのかもしれないし。ね?」

「―ご、ごめんなさいー!!」

「うん。よしよし…」


私の胸で大泣きする、まだ名も知らない女の子。

何かに傷ついて、悩んでいるこの少女が、私の胸で涙するのが、ものすごく幸福で…。


どこか躊躇するように泣くこの子を、思いっきり抱きしめてあげる。

なぜか身体を固くしているけど、気にしない。

スキンシップが少し苦手なのかもしれない。


そうしていると、ゆっくりと力を抜いて、私の胸を涙で濡らしていった。



しばらく泣いて、落ち着いた彼女が、恥ずかしそうに頭を上げる。

照れた様子で私を見るその様子に、また私の胸の奥がキュンと締め付けられそうになった。

よからぬ衝動を必死に抑え、気になっていたことを尋ねる。


「そういえば、あなたの名前って?」

「―あ、ご、ごめんなさい!わ、私、おっちょこちょいで…わ、私|桜宮朱希(さくらみやあき)っていいます!」

「朱希ちゃん…私は、朽木詩音(くちきしおん)よ。よろしくね、朱希ちゃん」

「は、はい詩音さん!」



朱希ちゃんっていうのか…


うふふ、可愛い名前だなぁ


恥ずかしそうにこっちを見てる視線がゾクゾクしてくる



…と、そんなことを考えていると朱希ちゃんが少し思い悩んだ後、こう言った。


「あの…詩音さん…」

「え?な、なぁに?」

「その…私のせいで入院させちゃったから…これからしばらくお世話させてください!」

「―え?い、いいのそんなこと?」

「はい!ぜひそうさせてください!だってそうでもしないと…」

「じゃあ…よろしくね、朱希ちゃん」

「は、はい!」


こんなことが起こっていいのかしら!?

朱希ちゃんに毎日お世話してもらえるなんて…!

そ、そうだ!どうせなら…


「ね、ねぇ朱希ちゃん?」

「あ、はい!何でしょう詩音さん」

「よ、よかったら私たち…お、お友だちにならない?」

「―っ!わ、私と…と、友だちになってくれるんですか?」

「えぇ、あ、あなたさえよければ。…むしろそれ以上だって全然…」

「え?」

「へ?あ、い、いやいや何でもないわよ?」


―って、私は何を考えてるの?


一人で暴走した考えをいさめようとしていると、その子が…

本当に嬉しそうに笑っていた。


「あ、あの…ぜ、ぜひお願いします!」

「ホント?じゃあ…よろしくね、朱希ちゃん」

「はい、詩音さん」



涙がまだ残るその瞳と、彼女の笑顔―

その姿に、やっぱり私は心を奪われた。



こうして私は、朱希ちゃんに出会った。

今までさんざん同性に言い寄られてもピクリとも動かなかった私の心が、ここにきてなぜ朱希ちゃんには反応してしまうのだろうか。


考えても分からないけど、でもこの時は、私は、朱希ちゃんと友達になれたことだけで嬉しさで飛び跳ねそうだった。

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