スナフキン
サラリーマンの日常は僕にとって退屈すぎた。土日祝日休み。9時から18時で働く。残業はたまに30分程度。給与は同年代の平均給与を少し上回るくらい。贅沢三昧とはいかないまでも、独身で生きてく分にはお昼に回転寿司を食べたり、帰宅前にふらりと居酒屋で一人酒を楽しむ程度には生活のゆとりはある。あれだけイエスをいうことが嫌いだったのに、今ではとりあえずイエスといっておくだけの器用さを得られた。形だけでも歳をとって大人になれたのかもしれない。それくらいには器用になれたからこの会社に就職できたのかもしれない。でも人間の欲望やさみしさに果てはないのだろう。もっと上や、学生の頃からずっとまともに生きるために努力をしてきた人たちを垣間見る。彼らは学生時代にそれなりに勉強をして、それなりに受験戦争にもまれて、勝ったり負けたりしながら僕と同じ地点にいる。僕なんかはたまたまラッキーで中途採用されたから。彼らとは違うなって思う。サラリーマンに僕の居場所はない。ああ、いくばくかの居場所を求めて、僕はモトカノにSNSを送ったんだ。
「生きてる?」
モトカノは俗にいうリストカッターで切っちゃった…と連絡をしてくるような痛い子だった。でも無邪気に笑った顔がいとおしかった。でも女の子って怖いから、僕がそういう顔が好きだから、そういう顔をしていたのかもしれないと、今となっては思う。親に虐待されているとか、母親が離婚してその旦那に性的ないたずらをされているとかいっていたけど、それが本当かどうかなんて僕にはわからない。そういう嘘をずっとついていたのかもしれない。でも幻想くらいが、そういう夢みたいなくらいが人と人が幸せでいられる距離なのかもしれない。なかなか返信は着信されず、気が付けばストロング缶の2本目を空けようとしていた。
「久しぶり」
返ってきた。生きてる?の返しに久しぶりの返答とは何事か。僕は少しうろたえた。そう、この子はそういう子だ。ある意味では期待通りだったといえるだろう。そういう刺激を求めている。いっちゃってる子はそういうところが魅力的だ。なんだかんだでその子しか見えなくなる。その子を軸で考えられるようになる。自分という存在を気にしなくて済む。その実目を背けているだけなのに。
「久しぶり!!生きてたんだね!!!!返してくれてめっちゃうれしいんだけど!!!」
嘘エイトオーオー。まずは機嫌をとろうとしてみる。
「…どうしたの?」
現代の病。どうしたの?に含まれる裏はなんだろう。このいっちゃっている子は怒っているのか、同情しているのか、何も考えていないのか、何も伝わらない。
「最近どうしてるのかなって思ってさ」
月並みに質問を再プッシュ。気がありすぎることを悟られてはいけない。余裕しゃくしゃくの人間だと思わせなきゃならない。女はいつでも余裕がある強い男が好きなのさ。
「どうしたもなにもフツーに生活してるよ」
「フツーってどうフツーなのさ?結婚でもしたの?」
できるわけないさ。
「結婚したね。なんなら子供もいるよ。」
「へえ、そうなんだ!おめでとう!!!よかったね!!!」
うろたえている自分を悟られてはいけない。男ってのはいつでも強くあるもんさ。
「うん、ありがとう。君は?」
「おれは幸せだよ!人生で一番幸せ!君なんかと違ってまっとうで素敵な女性と付き合ってるよ!」
そうさ、あえて、たまたま、連絡したことを伝えなくてはならない。男は、おれは、いつでも強いから
「へえ、そりゃよかったね」
返す言葉が見つからなかった。圧倒的に、余裕があるのは、君のほうだった。幻想は幻想のままのほうがよかったんだ。モトカノという幻想にすがって、ださく生きているほうがよかったんだ。真実は知らないほうがよいことのほうがきっと多い。僕は実はストロング缶の5本目を空けていたことだって知らないほうがいい。全部嘘だったらいいのに。君も僕も、全部。ぐにゃあとなる。思考が渦を巻く。僕は、嘘みたいな町で、嘘みたいな人生を歩んでいるよ。楽しそうだねと人には言われます。それが嘲笑なのかもしれないし、本当によく思われているのかもしれない。でも大事なのは、きっと、自分の足でたつということで、幸せは相対的なものだから、比べた時点でもはや不幸ははじまっているのかもしれない。スナフキンは言いました。
「たいせつなのは、じぶんのしたいことをじぶんで知ってるってことだよ。」
自分のしたいことってなんだろう。働きたいのかな?働くのは生活のためで、バンドをやめたのは、自分は平凡ながら幸せな暮らしがしたいからで。何も知らない僕は大切なことを知らないまま、あるいは捨ててしまって大人になってしまったのかもしれない。ストロング缶の3本目を飲み切って、宙を眺める。
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