終章 いいえ、もう間違えません
139 一歩を踏み出して①
夜風がカフェのオープンテラスでファッション雑誌をめくっていると、正面の席に赤髪をみつあみに結った人がかけてきた。
「お待たせ」
顔を上げた夜風と目が合って彼はひかえめに笑う。微笑みを返した夜風のほうへちょっとイスを寄せて、彼も雑誌に目を落とした。
「なにか買いたいものでもあるの?」
「んー。まだ決まってないんだ。これはおしゃれの勉強のために買ってみたの。私も一歩踏み出してみようと思って」
言いながら夜風の手は自然とポニーテールへ伸びた。トイレの一件はもうなんとも思っていないのだが、自分の中で妙なジンクスができてしまったらしい。ポニーテール以外の髪型にすると不吉なことが起こる予感がしてならない。
だけどそれと同時に、このジンクスはいつか破らないとならないという思いも強かった。
「じゃあ俺がシュシュ買ってあげようか。ヘアカフもいいな。あ、思いきってショートヘアにするのはどう? 夜風なら似合うよ」
髪に触れた夜風の思いを察して、彼はヘアアレンジを勧める。やさしく髪を梳く彼の指が心地よく、夜風は身を傾けてうっとりと目を細めた。
「そうですね。私もちょうど切ったほうがいいんじゃないかって思ったところです」
「だろ。ボブカットが流行ってるらしいんだ。ふわっと癖をつける感じでやったら、いいイメチェンになると思うな」
「じゃあいっしょに切りません? その長い髪暑くないですか朝陽さん」
名前を呼ぶと彼はきょとんと瞬きした。だがすぐに唇を尖らせて顔をしかめる。
「なんだよ。夜風まで俺を兄貴と間違えるのか」
夜風は笑みを絶やさないまま胸中で感心した。笑みで冗談だろと言い返さないあたり、本人にとても近い。黒の簡素なシャツも鎖骨をなでるみつあみの正確さも、完璧だ。夜風も正直ひと目では気づけなかった。
けれど違う。その自信がある。
「いいえ、もう間違えません。銀河はまず最初に『そのままでいいのに』って消極的なこと言うでしょうし、流行なんか知りませんよあの人」
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