130 交わることのない想い①

 アクレンツェの街に毒狼どくろうを放って人々を恐怖に陥れ、ついには犠牲者を――夜風の大切な人を奪った怒りに目を染め銀河は口を開く。その瞬間、海から突風が吹きつけた。


「外洋の島から地下空洞を掘って街に侵入かよ。ずいぶんと気の遠くなる話だな」


 男は深い呼気を吐き出し、写真を見つめたまま言った。


「自然の空洞も利用したから大した時間はかかっていない。ほんの五年さ。僕にとっては瞬きの時間に過ぎない。妻と息子を永遠に失った苦しみに比べれば」


 くたびれたチェック柄のシャツの胸ポケットに写真を押し込み、男は振り向いてメガネを軽くかけ直す。前髪と頭頂部だけを長めに残しきっちりと刈り上げた頭髪は生真面目そうで、休日に家族と公園に出かける姿が似合う平凡な男だった。

 ややこけた男の頬はしかし、銀河の銃を見ても強張ることはない。男の足元には二匹の毒狼が伏していた。銀河が目を向けると、上向きに突き出た牙を剥いて低くうなり声を上げる。


「その犬を手懐けるのにも相当手をかけただろうが」

「ああ。温厚で賢いハイウルフと毒を持った野蛮なダークウルフの交配には少し手間取ったよ。でも仕方ないんだ。こいつらにも罪を償わせなくちゃならなかったから」

「どういうことだ」

「僕の身重の妻はダークウルフに食い殺された。生まれてくる息子のくつ下を家で編んでいただけなのに」


 かわいそうに、と顔を覆いうつむく男に毒狼は気遣わしげな目をしてすり寄る。すると男は突如「汚らわしい!」と罵声を浴びせ毒狼の頭を殴りつけた。

 甲高い悲鳴を上げしっぽをまるめてあとずさる獣たちに、男はまるで人が変わったように今度は柔和な表情を見せて「痛かったかい」と甘い声で労りなでる。

 男の歪んだ愛と狂気に銀河の肌は嫌悪で粟立った。


「だったらなんでアクレンツェを狙った。ダークウルフの襲撃は事故だろうが」

「事故? あはははは。僕がエクラ社に訴えた時もきみたちはそう言って自分たちの罪から目を背けたよね」


 口を押さえ身を折り、心底おかしそうに肩を震わせていた男は、目の前の小石を蹴飛ばして憤怒を顕にした。

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