116 玉響さん②

 夜風の手を握る玉響のぬくもりと笑顔は、故郷の両親と同じくらいかけ替えのない存在になっていた。


「玉響さん……!」


 散歩や近所の友人宅へ遊びにいく時でさえ開け放してある玄関扉は、鍵がかかっていた。夜風は念のため隣の自宅を確認し、銀河は玉響の家の周りを見にいく。


「どうでしたか!?」

「いや。声をかけながら回ったが、いる気配もない。そっちもダメか」


 銀河にうなずき返しつつ、夜風は額に手をやる。友人の家に行ったのならいいが、まさか港島を目指したのだろうか。そうすると探す手立てがない。


「とりあえず兄貴たちといっしょに近所を回って捜すか」


 今できることはそれしかないだろう。

 夜風は目元をグッと拭って前を向く。家の裏手にある玉響が大切にしている水畑のあぜ道を通り、水路の向こうにある隣家へ行こうとした時だ。


「ミー」


 どこからともなくビクフィの鳴き声がした。振り向くと一匹のビクフィが水畑用の水路を通って近づいてくる。口に噛ませた手綱。その斜め上にある黒い丸を見つけ、夜風は目を疑った。


「ビク、丸ちゃん……?」

「ミー」


 そうだよ、と答えるかのような鳴き声を聞いてもにわかには信じがたかった。

 旧市街島の水路は中ノ島や港島のような輸送路ではない。ほとんどが農作業用や生活用水で、狭かったり浅かったりと整備が進んでいなかった。

 だから高齢者にこそ必要なビクフィタクシーが入ってこれず、交通の不便さが旧市街島民の悩みでもある。ビクフィがこんなところにいるはずがないのだ。人間と過ごし水路に慣れた個体だったとしても。


「なんで。お前どうやってここに」


 体を壁にこすりながら来たのか、白い毛並みを茶色く汚しているビク丸に近づいて、銀河は存在を確かめるように触った。ビク丸はその手に大人しく身を委ねながらも夜風をじっと見つめてくる。

 なぜだかついさっきまでと様子が違うように映った。水路が狭くて身動きが取りづらいせいかと思ったが、それだけではない。

 声だ。ビク丸はいつも元気いっぱいな鳴き方をする。目も無邪気そのもので、つぶらな黒目は喜びに輝いていた。

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