111 夜風を信じて②

 すらりと長い脚に白い体色は高地に生息するハイウルフの特徴だ。争いを好まないかの種は霊犬とも呼ばれ、その知能は人間の四、五歳に匹敵し自己判断能力にも優れている。

 だが玉響が気にかかったのは下あごからはみ出した二本の牙と小振りな耳、そしてうっすらと浮かび上がる斑模様だ。


「人が、歪めたのね」


 雨音に掻き消される声でつぶやいて玉響はきびすを返し、来た道へと母子の肩を押す。叫び声をすんでで堪えた顔をしている母親に「私の家へ」と耳打ちした。

 こうなればもう家に隠れるしかない。

 ところが橋と陸地の境目まで戻った時、母親の恐怖を感じたのか赤ん坊が泣き出した。するとにわかに背後で吠え声が響く。

 母親は泣き止ませることに気を取られて足が止まり、女の子の震えが繋いだ手から伝い走った。


「こっちよ……!」


 玉響は瞬時に家まで戻る猶予はないと判断し、母親を橋の袂にある階段へ引っ張る。中ノ島と旧市街島の間をたゆたう海峡沿いの通路へ下り、西に行ってしばらく進んだところにある水路へ母子三人を押し込んだ。


「玉響さんは……!?」


 肩を弾いた勢いのままあとずさる玉響に、若い母親は泣きそうな声を絞り出す。


「だいじょうぶ。心配ないわ」


 ふと後ろで、跳ねた波音に耳を傾けて玉響は微笑んだ。


「じきに私のお友だち、水色髪の女の子が助けに来るわ。それまでがんばるのよ」


 言うや否や、玉響は東側へ走り出す。橋の下を通る際、野犬たちの激しい吠え声と爪の石橋を蹴る音が降りかかってきた。




「夜風止まれ! どこに行くんだ!」


 夜風はエレベーターの扉が開ききるのを待たずに隙間から飛び出した。

 ぽかんとする朝陽の後ろから追いかけてくる銀河の声を無視し、エントランスホールを埋める避難者の間を縫っていく。

 氷人の連絡を受けて朝陽は、村の見張りと怪我人の看護のため隊を分けて本社へ帰還することにした。

 朝陽が六人の部下を選ぶ際、夜風はいっしょに行きたいと懇願した。危険だと言われてもヘリの座席が足りないと突っぱねられても、ゆずらなかった。

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