97 治癒師の戦場⑤

 多少、毒の残滓を感じるが治癒魔法によって強化された隊員自身の抵抗力が抑えている。もう解毒魔法は必要ない。夜風は輝蝶きちょうの結晶体から造られた指輪の灯りを落とした。

 そしてすかさず、肩から首に深い傷を負ったもうひとりの隊員の様子をる。顔が火照っていた。意識外に追いやった魔法は細かい調節ができず、高魔力にさらされつづけたせいだ。

 夜風は副隊長に断りを入れて、水を探しに行った。

 納屋を出ると持ち主だろうか、農家の男が気が気でない顔をして見守っていた。夜風はその男性に案内してもらい、井戸で水を汲む。山からの湧き水だというそれは、夏の日差しに負けずひんやりしていた。


「どうか隊員たちをお救いください、人魚様」


 清水は山から海へと繋がる恵み。そして、患者ふたりの生命の灯であるかのように瞬く人魚のひれの指輪を見て、アクレンツェの守り神に祈らずにはいられなかった。

 夜風はなみなみと注いだ木製のバケツをふたつ下げて戻り、ひとつを副隊長に渡した。

 それから高魔力の熱に顔を赤らめている隊員の両脇と両手のひらを、清水に浸して軽く絞ったガーゼで冷やす。しばし顔色と呼吸音に気を配りながら、中程度の魔力を集中させ点々と残る毒素を根気よく浄化させていった。


「こ、こは……」


 痙攣を起こし、かなり危うい状態まで陥った隊員の首筋を冷やしたガーゼで清めていた時だった。うっすらと開いた瞳からひと筋の涙がこぼれ落ちる。夜風はそれを掬い取って、目を覚ました隊員に微笑みかけた。


「きみは、人魚……?」

「邪魔するぞ」


 その時納屋の引き戸が大きく開き、強い陽光が差し込んできた。副隊長がすかさず硬く大きな声で「お疲れ様です」とあいさつする。陽光の中でいっそうキラキラ煌めく赤髪を見て、夜風は心臓が跳ねた。深くお辞儀をするのが精一杯だった。

 白地にえんじの差し色が入った実動隊服をまとう朝陽は、返事があったことに驚いたような顔をして戸を静かに閉める。さっと木箱ベッドに横たわる部下たちを見て、副隊長に問いかけた朝陽の声はふわふわと覚束なかった。

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