89 助っ人の白夜①
「治癒師の役割は、絶対に倒れないこと! お前さんさえ助かればみんな助かる! 勇気を捨て臆病になれ! なにがあっても怪我するんじゃねえぞ!」
往診の謝罪も忘れて夜風はしばし橋の上の上司から目が離せなかった。
いい上司だね、と氷人が前を見たまま言う。やはり彼の耳にも上司の言葉は心構えではなく、夜風を気遣うものに聞こえたようだ。
奮い立つ心の隅っこで震えていた不安や恐怖が、ぽつぽつとやさしいぬくもりに溶けていく。夜風は静かに「はい」とうなずき、氷人の肩を掴み直してもう振り返ることはしなかった。
制服の上下一式からベール、くつ下にブーツ、ゴーグルまで、差し出した腕に次々と乗せられていく装備によって夜風は前が見えなくなった。
「はい。これでひと通りかな。サイズは一番小さいものでそろえたけど、大きいと思うからベルトとかくつひもでなんとかしてくれ。ロッカーはダイヤル式。好きなとこ使っていいぞ。よし、着替え時間十分でよろしく」
「えっ、十分!?」
夜風の非難の声はパンッと打ち鳴らされた氷人の手によって掻き消された。その音とともにカウントダウンがはじまったと知れば、夜風はくつ下を落としそうになりながら背後のロッカールームに駆け込むしかない。
とりあえず目についたロッカーに抱えたものを放り込んで、手早くローレライの制服を脱いでいく。夜風はてっきりこのロングテールワンピースで行くつもりでいたが、考えてみれば動きにくくて不適切だ。
氷人から支給された服はしっかりズボンで、ベルトもついている。ブーツもふくらはぎまで覆い守り、ジグザグに編まれたくつひもで固定できるタイプだった。
普通のスニーカーより通し穴の多いそれにちょっと手こずりつつ、縛り終えて上着に取りかかったところで夜風は叫んだ。
「なにこれえええ!?」
「夜風え。あと三分ね」
「えっ、ちょ……もう!」
とりあえず説明してもらうのはあとだ、と腹を括り上着に袖を通す。よくわからないベールは首に引っかけて残ったゴーグルを手に持ち、脱ぎっぱなしの服をロッカーに突っ込む。
その頃には氷人の秒読みが扉の向こうで響いていた。
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