84 迷い①

「ああ、未知数。いいね。そそる響きだ」


 突然、大変な現場に放り込まれたら彼女はどうする? 目の前で出血と毒に苦しみ今にも死にそうなやつがいたら? 格安診療所なんかでは無用の素晴らしい能力を開花してくれるかもしれない。その片鱗へんりんをこの目で見ている。


「知らないことは罪だ。能力は活かされてこそしかるべき」


 夜風を現場に連れていかない理由を連れていくべき理由にすげ替えて、氷人はひとりほくそ笑む。ついでに朝陽をもっと驚かせる楽しい案を思いついたら、足元は軽やかに弾んでいた。




 人魚の尾ひれを象る結晶体が放つ癒しの魔力を意識外へと切り離し、夜風は一冊の小説を手に取る。それを五分ほど読んでから魔法を止め、小説を患者役になってくれた上司に渡した。

 胡散臭げな眼差しを寄越す上司に、夜風は手で小説を示して胸を張る。ため息といっしょにパラパラとページをめくる音がしばしつづいた。


「んじゃあ、いくぞ。冒頭の一文は?」

「『ちょっくら野グソしに行ってくるわ』」

「このおっさんは野グソしに行ってどうなる?」

「ドラゴンに襲われる」

「おっさんの娘の目の色と、その友だちのお姫様の髪色は?」

「灰色とピンク!」


 夜風が自信満々に答えた直後、勢いよく閉じた小説からパンッと小粋いい音が鳴った。


「全問正解! 信じらんねえなあ! 治癒魔法の発動は安定してたし……あっ。この小説、事前に読み込んでたんじゃないのかあ?」

「今日発売されたものをさっき買ってきたんです。私が封を開けるとこ、マネージャーも見てましたよね?」


 立ち読み防止のセロハンが本に巻きついていた。夜風が目の前で剥がしたそれが机に乗っている様を見て、上司は後頭部を掻く。


「いやあ、まいった。魔装具を使いながら別のことができるなんて。もしかして夜風はダブル魔法の習得を目指してるのか? それができたら実動隊クラスだぞ」


 実動隊と聞いて朝陽の顔が思い浮かび、夜風は机に視線を落とした。魔法をふたつ同時に使えないか、意識するようになったのは彼がきっかけだ。

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