78 終わらないで③

 朝陽の驚いた目が振り返った。夜風は思わず首を竦ませて「ごめんなさい」と言おうとした。

 けれど浅瀬色の瞳がやわらかく細められて、朝陽は微笑を唇に乗せたままつづきを歌う。ゆるく首をかしげる仕草に「おいで」とささやかれて、夜風は思いきり息を吸い込んだ。

 彼のハートを掴んでみせる。意気込む女性の心がサビに入って波に乗る。朝陽は女性シンガーソングライターのまねをして声にしなを作り、夜風を笑わせた。

 ならば、とこちらも手拍子で曲を盛り上げ、アイドルファンよろしく「朝陽くーん!」とかけ声を挟む。歌番組では必ず観客にハイタッチを求める間奏直前、夜風と朝陽も勢いよく手を合わせ小粋いい音を響かせた。

 その瞬間弾けた彼の笑顔は近くて遠くて、焦がれるほど愛おしかった。


「本当にこんなもらちゃっていいのか?」


 旧市街島の下宿まで送り届けてもらった夜風は、もらいもので悪いですけどと言いつつ水菜をありったけ朝陽に持たせた。


「湖のヌシから助けて頂いたせめてものお礼です。ビク丸ちゃんにたくさん水菜買ってあげるって約束したしねー?」


 手ずから水菜を食べるビク丸に笑いかける。するとビク丸はもごもごと口を動かしながら鼻を寄せてきて、夜風の唇にキスを落とした。そして、そうだよ! と言わんばかりにひと声鳴く。

 まだ手に半束ほど残っている水菜をしっかり見つけた賢い頭をなでてやりながら、全部地面に置いてあげた。


「ビク丸ちゃんといっしょに食べてください。スープにしてもサラダにしてもおいしいですよ」


 夜風は朝陽を振り返ってつづけようとした言葉を飲み込んだ。

 どちらかと言うと行きのバス代のお返しだった。だけどお金のことを気にされるのは、朝陽の本意ではないと理解している。仮眠室でも水上バスの甲板でも、夜風が無事なら、楽しんでくれるならそれでいいと言ってくれた。

 だったらお金は関係ない行為に対しての礼なら受け取ってくれるかもしれないと考え、玉響たまゆらが育てた水菜を紙袋に詰めた。

 朝陽はどう考えてもひとりでは食べきれない量の水菜を見つめている。ビク丸もいるからと思ったが、さすがに入れ過ぎただろうか。

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