73 どちらかと言うと嫌い。でも①
野犬の時は出会った――再会したばかりだ。子どもの頃に会ったことがあると言ってもたった一度だけ。互いをまったく知らないに等しい関係性でキスに意味があるだなんて早過ぎる考えだ。
あれは誰にでもやさしくて、特に女の子にはまずい弁当もおいしいと言ってのける朝陽なりのサービスが無難だろう。
けれどまぶたへキスした朝陽は、悪質な嫌がらせを受けてひとり閉じこもる夜風を連れ出し叫んだ。
――夜風はかっこいいよ!
かわいいとからかうだけではない。あの時自分を貫いた揺るぎない眼差しに首筋まで焼かれる。
「あのさ、夜風ちゃん。ごめんな」
「は、はい?」
そろりとうかがうように顔を覗き込まれて声が裏返った。思わず火照る頬を手で隠し身を引く。朝陽はそこに言うべき言葉を落としたかのように芝生をまぜ返していた。
「その、キスしちまって……」
心まで見透かす朝陽に夜風は小さく悲鳴をもらし、ますます熱くなる体を
「やっぱり、嫌だったよな。本当にごめん」
嫌? その言葉が夜風の心に引っかかる。だが同時に、そんな自分が不思議だった。夢見ていたはじめてのキスを奪われた衝撃と怒りを忘れたわけではない。今でも、思い出しただけで心臓が暴れなければ文句のひとつふたつ言ってやりたいところだ。
「……もちろん、よく知りもしない人から突然キスされるのは不快です。いえ、不快を通り越して恐怖です。今後は二度としないでください」
でも、と言葉を繋げる夜風の脳裏には、タオルと着替え代を気にする自分を叱ってくれた声が響いていた。
「朝陽さんを知る機会を得て、少しわかりました。あなたは、根がいい人です。だから今回は特別に許してあげますよ」
「……夜風ちゃんには敵わねえなあ」
どこかおどけたように言って、朝陽は水筒から注いだレモネードを差し出してくれた。
夜風こそ、敵わないと思う。巨大カエルの攻撃をかわした時だけでなく、この人は会話でも立ち回りがうまい。相手の機敏や流れを読む直感と、さりげない気配りで空気を変える術を持つ。
ひと息つかせてくれたレモネードがいつもより甘く感じられた。
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