68 思い出のサンドイッチ①
「ううう……。あごって、なんだっけ……」
「え。しゃくれてたり割れたりしてるやつ?」
寝起き早々、人の顔を覗き込んでくる不躾男を見て夜風は数秒誰だっけ? と考えた。垂れた赤髪から落ちた水滴に唇をピンッと弾かれて意識が冴える。
「朝陽さん! あれ、ここは」
夜風は飛び起きてあたりを見回した。ころころと丸みを帯びる小石からちょうど芝生に変わった湖畔で横たわっていた。
最後に見た時、白と青の絶壁となって襲いかかってきた湖は嘘のように凪ぎ、巨大カエルの姿も見当たらない。近くに自分たちを脅かす者はいないと喜ぶかのように、そばの茂みから虫たちの伸び伸びとした讃美歌が流れていた。
「ヌシの津波でここまで押し流されちまったんだ。見た感じ怪我はなさそうだけど、どっか痛いとこない?」
言われて夜風は軽く手足を動かしてみた。
「だいじょうぶみたいです。朝陽さんは?」
「俺も平気。だけど、あー……ごめん。ヌシとちょっと追いかけっこするつもりが、怖い思いさせちまったよな……」
朝陽は首裏を掻きながら歯切れ悪く言って項垂れた。その横で白い塊がむくりと起き上がる。ビク丸だ。「ミー」と遠慮がちな声をもらし、長い首を伸ばして主人の顔を見つめる。
その健気な様子にビク丸も無事だったと知って夜風は安堵の息をついた。するとにわかにさっきまで焦っていた自分や懸命に泳いでいたビク丸、津波に余裕を崩した朝陽の姿がよみがえってくる。
住処にさえ近づかなければ巨大カエルも湖も魚も虫たちも空も、こんなにおだやかでやさしいのに、やぶをつついて嵐を呼んだのは自分たちだ。
せっかく乾きはじめていた服がもうちょっとやそっとじゃどうにもならない有り様になった挙げ句、今回は朝陽までいっしょになってずぶ濡れだ。どんな時もまるで春風を喚ぶかのように揺れている赤髪が、ぺったりと額や首に張りついてしょぼくれている様に夜風は堪えきれなかった。
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