67 キスの意味

 重なったところからじわりと広がる安堵が夜風の心を暖め、呼吸が楽になる。夜風はその安らぎに身をゆだねて、そっとまぶたを閉じた。




――キスには場所によって意味があるって知ってる?


 ふと、女性の声が響いた。どこで聞いた言葉だったか、思考を巡らせていると整髪料のぷうんとしたにおいが鼻腔をかすめる。そうだ、あれは美容院に行った時だった。

 席に着いた夜風に店員は数冊の雑誌を持ってきた。どれも普段手に取らないファッション誌ばかりだったが、暇を潰すために流し読みしているとひとつのコラムが目に留まった。

 色えんぴつ風のタッチで描かれた女性が、キスの場所とその意味や男性心理を語るものだった。

 キスなんて家族間の親愛を表す頬のキスか、映画で観る唇へのキスしか知らなかった夜風は、ざっと見て十以上はある項目にまず驚いた。ひとえに顔といっても額や鼻、耳といった具合に細かく分類されそれぞれに友愛や慈しみなどの意味が添えてある。

 仲睦まじくキスをする男女のイラストにドキドキしつつ、キスに込められた意味や男性の思いを知っていくうちに夜風は憧れを抱いた。

 いつか好きな人からこんなキスをされてみたい。

 胸を高鳴らせ指先でなぞった憧れの姿は、まぶたとあごにキスを贈るイラストの男性だった。

 まぶたは憧憬どうけい。そこには慈しみの他に、ひとりの人間として敬う気持ちが込められていると感じた。恋人同士愛し合うだけでなく、互いから学び敬意を払える人のそばにいられることはきっと誇らしいだろう。

 そして、あごにそっと唇を寄せる男性の絵に目を移した時、急激に視界が白くせていく。慌てて目を凝らすも文字はすっかり消え失せていた。

 光が強過ぎる。夜風は眉をひそめて顔を横に背けた。すると頬をチクチクとつつくものがある。

 ああ、そろそろ起きなければいけないんだなとぼんやり思った。


「夜風ちゃん。夜風ちゃん」


 自分の名前を呼ぶ声を煩わしいと思う夜風の心はまだ、あの日見た雑誌の記事に囚われていた。

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