65 追いかけっこ?③

 夜風は後ろを見ないようにしながらビク丸の背中を叩いて加速の合図を出した。本能が危険を告げるのか、ビク丸も鳴き声ひとつ上げず前傾姿勢を取って水を掻く。しかし背中に跨がった主人はのんきに笑っていた。


「あいつはこの湖のヌシだ。湖の底にある地下空洞に棲みついてるらしい。でもだいじょうぶだよ。泳ぎは遅くてビクフィには絶対追いつけ――あ」


 とても嫌な「あ」が聞こえた。次の瞬間、夜風は右手を取られて力強く引っ張られる。急な方向転換に大きく振られたポニーテールを、薄桃色の丸太のようなものがかすめていった。

 間違いない。カエルの舌だ。夜風の背筋を悪寒が震わせる。


「あ、ああ朝陽さん!?」

「やべー。ふたり乗りなの考えてなかった。舌届くのか。すげえ」

「感心してる場合じゃないです! もうっ、もうもう!」


 夜風は前を向いたまま探り当てた朝陽のひざをひっぱたいた。


「ごめんごめん! がんばって避けるから! 岸まで行けばこっちのもんだ。あいつは縄張りの湖から出ない」


 そう言って朝陽は夜風といっしょに手綱を握った。半身振り返りつつ、カエルの出方をうかがう彼の赤髪が風に踊る。背後に迫る水音は衰える気配がない。


「左だ!」


 朝陽の鋭い指示と同時に夜風も手綱に力を込める。ビク丸の筋肉が瞬時に反応して隆起するのがわかった。思いきって体を傾け、滑るようにカエルの舌をかわす。

 ビクフィの耳は耳介じかいがなく穴がへこんでいるだけだが、全神経をそばたて指示を聞いているのが肌でわかった。こんなてきとう主人を信じて、息を荒げながら懸命に泳ぐビク丸に夜風は申し訳ないやら愛しいやらで胸がいっぱいになる。


「ごめんねビク丸ちゃん、私たちのために……! 帰ったら水菜いっぱい買ってあげるからね!」

「俺は俺は? 避けるコツ掴んできたけど!」


 そう言って朝陽はビク丸を右寄りに走らせた。そして巨大カエルが軽く身を反り構えたところを見計らって手綱を左に引く。右側を狙って放たれた舌から余裕を持って回避できた。

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