57 モテモテ夜風①

 夜風はビーチ奥にでんと構える本館を見て首をかしげる。エサやりや周遊などを楽しむならあちらで受けつけしているはずだ。朝陽はビクフィ舎になにをしに行ったのだろう。


「ミー!」


 そこへかわいらしい鳴き声がして振り返ると、一匹のビクフィが水中から顔を出していた。夜風のいる桟橋の際まで寄ってきて、しきりにまるい頭を振っている。


「わあっ。珍しい。あなた懐っこいのね」


 ビクフィはとても温厚だが怖がりな一面もあるため、慣れないうちは自分から寄ってくることはない。

 しかしこのビクフィは好奇心旺盛な性格のようだ。夜風がひざをついて身を乗り出しても逃げない。それどころか遊ぼう、と誘いかけるように器用なひれで水をかけてきた。

 冷たさに夜風はきゃたきゃた笑う。するとビクフィは水中深く潜っていった。目で追いかければ白い短毛の輝きがどんどん小さくなっていく。


「行っちゃった」


 残念だがとても貴重な体験だった。湾内に放されているビクフィは、網で仕切られた触れ合い広場にいるビクフィと違って人にそれほど慣れていない。家族と数えきれないほど訪れているが、放し飼いビクフィをこれほど間近に見れたのははじめてだった。

 さっそく来た甲斐があったなあと立ち上がりかけた夜風の目の前で、水しぶきが上がる。


「ミー!」


 行ってしまったと思ったビクフィが飛び出してきた。ひれをぴたりと体につけ、長い首をまっすぐにして桟橋の高さを軽々と越えてくる。

 お腹まで真っ白なんだ、とせつな呆けた夜風はその白い腹にモヨンッと伸しかかられた。


「ミーミー!」

「えええ!? ちょ、ちょっと待って……!」


 桟橋に押し倒される形になって夜風は慌てる。しかしビクフィには悲鳴が歓声に聞こえるのか、鼻先を夜風の顔に押しつけてキスの雨を降らしはじめた。

 どこぞの赤毛なんて目じゃないほどの懐っこさと手の早さだ。夜風はなんとか上からどかそうと海獣の体を押しやる。

 しかしその時気づいてしまった。すべすべの短毛の下に隠された脂肪。それのなんとやわらかいこと!

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