56 ビクフィファームデート④

 頭に浮かんだ言葉の大胆さに夜風は驚いて口を押さえた。離した赤毛をさらっていった海風がふと弱まり、朝陽の体が目の前に立ち塞がる。


「夜風ちゃんさあ。髪も性感帯になり得るって知ってる?」


 お返しとばかりに朝陽の指が夜風の髪をすいていく。わずかな刺激が髪を伝ってぞくりとうなじを粟立たせ、夜風は熱くなる耳を隠しうつむいた。

 しかし朝陽の視線が絡みつくように追ってくる。ふたりの間でサングラスが揺れた。


「特にそんなかわいい格好でかわいいこと言いながらだと――」


 突然、あごに添えられた手に上向かされて夜風はとろりと夜露をまとった目に囚われる。


「俺様その気になっちまうぞ」


 低くささやいた唇が目の前に迫った瞬間、パッと手が離れた。


「なーんてな! 冗談冗談。びっくりした?」

「もうっ、朝陽さん!」


 慌てて怒った顔を作る夜風に、朝陽はいたずら好きな少年のような笑みを深めてきびすを返した。

 夜風は今になってドクドクと警鐘を鳴らしはじめた胸に手を置く。自分の経験の浅さが嫌というほどわかった。朝陽はうぶな心を察して夜風の軽率な言動を冗談にしてくれたのだ。

 気転が利く彼でよかったと安堵や感謝を覚える一方で、心がムズムズとうずく。


「……かわいい格好って言ってくれたのも、冗談かな」


 スニーカーを履いた足に視線を落として、夜風は小さくため息をつく。人目なんてつまらないことを気にしてしまったものだ。

 水上バスは旧市街島の端に出て、沿岸をぐるりと旋回しはじめた。もう少しかかるから席座ろうか、と言った朝陽に夜風は空元気を出してうなずいた。




 水上バス同士がすれ違うのもやっとな細い入江を通り抜けた先にビクフィファームはあった。円形のクッキー型にくり貫かれたような湾には、エメラルドグリーンの海と白砂はくさのビーチが広がっている。

 その中で自由に放されたビクフィたちは思い思いに水中を駆け回り、時折跳ねては乗客たちを喜ばせた。


「ちょっと待ってて。すぐ戻る!」


 朝陽はバスを降りるとそう言ってビクフィ舎のほうへ駆けていってしまった。

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