54 ビクフィファームデート②

「あのたち研究部の娘でさ。よく差し入れくれるんだよね」


 朝陽の紹介に夜風は確信を得てうつむく。ジェラートを持ったふたり組の女の子はどちらも髪を下ろしていて風貌ではわからなかった。

 けれども笑い声が似ていた。今でもはっきりと耳にこびりついている。ガンッと背中にぶつかってきたバケツのかしましい音を皮切りにして、降り注いだ罵声、嘲笑。


「お。こっち気づいた」


 幻聴に急き立てられるように夜風はあとずさった。


「あれま。行っちゃった」

「えっ?」


 パッと顔を上げ目を凝らすと、朝陽の言う通り研究部の女性たちは足早に雑踏へ消えていくところだった。

 朝陽が好きなあまり過激なこともしていたファンの行動としては信じられない。案外、本人を前にすると奥手なのかと思ったが、それにしても逃げるような歩調だった。

 夜風は思わず朝陽を見上げる。彼は行ってしまった女の子たちを気にした風もなく、「ん?」と首をかしげ微笑んでいる。もしかして女性研究員たちに注意でもしてくれたのかと考えるのは、さすがに思い上がりだろうか。

 ガラスの屋根で陽光を弾きながら水上バスが滑り込んでくる。動き出す列に朝陽は夜風へ手を差し伸べた。その手をすんなり取れたのは、あえてなにも言わない朝陽のやさしさのお陰だ。

 頭ひとつ分背の高い彼の隣に、支えてくれる手に、夜風は安堵を覚えていた。


「ビクフィファームに行くんですね」


 屋根のある座席には座らず、夜風と朝陽は甲板に出て海風を楽しんでいた。


「そ。あ、今さらだけどビクフィ苦手だったりしない?」


 ビクフィファームは旧市街島よりも外洋に浮かぶ小島だ。ビクフィタクシー会社が運営する牧場があって、エサやりや近海周遊などのビクフィと触れ合える体験が人気の娯楽施設となっている。

 家族ともよく行った思い出がよみがえり、夜風は自然と笑顔になる。


「全然。ビクフィ大好きです」


 よかったと安堵する朝陽の表情がくすぐったくて、夜風は声を立てて笑った。

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