31 朝陽という男④

 気づけば痛いくらいの沈黙が医務室に降りていた。夜風に撤回する気はなかったが、あまり朝陽を見ていると涙がにじみそうだった。

 視線を逸らして脇をすり抜ける。と、手首を掴まれて驚き振り返った。


「ごめん! 確かに俺が無神経だった。許して? お願いお願い!」


 手を合わせ深々と後頭部をさらす姿に固まる。数瞬の間を要して理解した。

 優秀な人材を集めた実動隊の中でもさらに選ばれた者だけがなれる部隊長という立場にありながら、あっさりとその矜持と体裁を捨て、臨時に派遣されたに過ぎない治癒師に謝ってみせる。これが赤毛のわんこくんか。

 顔を上げた朝陽に今にも涙があふれそうな目で見つめられ、夜風はたじたじとなる。まるでこちらが悪者になった気分だ。


「わかってくれたならそれでいいです」


 声に不満が残った。真っ当なことを言っただけなのに、いつの間にか融通の利かない人間は自分で朝陽の思い通りになっている。

 夜風はなんだか疲れを感じて息をつく。話はこれで終わったと思ったが、突然勢いよく両手を握られた。つんのめった先で朝陽の満開の笑顔が咲き乱れている。


「ありがとー! 夜風ちゃんやさしい! 仕事に真摯しんしで尊敬しちまうよ! 俺様も見習わないとなー!」

「も、いいですから。離してください!」

「じゃあ通信魔装具の番号だけ教えて! 時間できた時また改めて誘うからさ」


 この時夜風は未知なる珍獣に遭遇したかのような衝撃に見舞われた。時間を置かれたって朝陽とは食事をしない。そのつもりで断った。なのにこの男は失言をした舌の根も乾かぬうちに、次の手で攻めてくる。

 夜風は助けを求めて視線を飛ばした。しかし鏡花は圧のある笑みで突き放し、氷人は肩をすくめて目を逸らす。夜風よりも遥かに朝陽を知るふたりでも止められないというのか。

 冷や汗が垂れる思いで考えを巡らせた夜風は、とっさに嘘を思いついた。


「私、通信魔装具は――」

「持ってないなら俺が買ってあげる」


 完璧な回り込みだった。夜風は恐慌状態となり、真っ白になった頭でただ朝陽の笑顔を見つめることしかできない。悪足掻きで引っ張ってみた手は、朝陽にがっちりと捕まえられていた。

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