26 産業医・鏡花④
のどかで静かでなにもない寂れた村。唯一の長所はアクレンツェに近いところだが、近過ぎて観光客はもちろん仕事車も素通りしていく。
けれど両親は、夜風が欠点だと思うところを美点だと言った。その心は夜風にはまだわからない。
「あ……」
ふと、田舎の風景に赤髪の男の子が映り込んだ。涙の跡が残る頬をかすかにほころばせて、伏し目がちに小さくつぶやいた声がそっと響く。
――助けてくれて、ありがとう。
ずっと忘れていた。いや、たった今気づいたのかもしれない。そのかすれたお礼が夜風の胸の隅っこで大切にしまい込まれていたことを。
「なに?」
首をかしげた鏡花に顔を覗き込まれ、夜風はぼうっとしていた自分を笑みで誤魔化した。
「小さい頃、近所で怪我していた赤髪の男の子を助けたことがあったんですけど。その時お礼を言ってもらえたことがすごくうれしかったんです。だから私は治癒師を選んだのかもしれないって、今思いまして」
「赤髪の男の子? まさか朝陽くんじゃないわよね!?」
突然話に食いついてきた鏡花に気圧されつつ「朝陽くん?」と聞き返す。すると鏡花は大きな目をこぼれんばかりに見開いた。
「朝陽くんといったらセキュリティ部実動隊の朝陽くんでしょ! 養成学校を首席で卒業して、最年少で部隊長になったエリート! おまけにルックスも最高で性格も子犬のように明るくて懐っこいことから、赤毛のわんこくんと呼び親しまれてるエクラのアイドルよ!」
「存じません」
「信じられないわ!」
鏡花はエメリーボードを放り出して頭を抱えた。やたら大げさな反応に夜風は今一度記憶をさらってみる。だけどやっぱり「朝陽くん」の名前に覚えはなかった。
夜風の勤務する第三支部は中ノ島の外れで旧市街島寄りだ。港島や街の中心地の噂は少し届きにくい。おまけに同年代の同僚も夜風と同じく地方出身で、アクレンツェの情報には疎かった。
「でも、知らないってことは赤毛違いなのかしら?」
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